トラブルメーカー鈴が峰千夜
通路に立っていたこともあり、今回は掴むものが何もない。そのため私は衝撃をもろに受け、数瞬の間空を飛ぶことに成功した――もちろん着地は大惨事だったが。
当然それは私だけでなく通路にいた全員に当てはまる。皆一様に体のどこかを床と激突させたらしく、痛そうに体をさすっている。幸いにもピクリとも動かず気絶している人はいないようだ。今回も衝撃は一瞬だけだったおかげだろう。
と、そこで私は階段にいた厚木は無事だったのかと慌てて視線をやった。すると彼は階段の手すりにがっしりと摑まっており、怪我をしている様子は全くなかった。
もしかしたらこうなることを予想して、扉が閉まる直前には手すりに飛びついていたのかもしれない。
本来は無事であったことを喜ぶべきなのだろうが、なぜか喜ぶ気になれない。私の彼に対する好感度はかなり低いようだ。分かり切ってたけど。
それはそうと、これは非常に面倒な事態になってしまった。
いち早く立ち上がった黒瀬が出入り口の扉に飛びつき開けようとドアノブと格闘しているが、当然のように開く気配はない。
念のため私も見に行こうかと思ったが、ふと日車が無事なのか気になってきた。昨日の黒瀬のようにソファから落ちて頭をぶつけたりしてたら大変だ。
扉のことは黒瀬と渡澄さんに任せ、私は日車の様子を見に遊戯室に向かった。ちょうど扉を開けようとしたタイミングで扉が開き、中から頭をさすりながら日車が出てきた。
「また地震にゃのか。ていうか深倉、にゃんで勝手にいなくなってるのにゃ。起きたら周りに誰もいなくて凄いビビっちゃったじゃにゃいか」
また猫語に戻っているが、ちゃんと私のことは名字で呼んでくれている。多少は信頼関係が築けたことにほっとしながら、優しく彼の頭を撫でた。
「ごめんごめん。実はまた新しい遭難者が来たみたいで、ちょっと見に行ってたの」
「んにゃ……。また新しい遭難者って、消えた男とは別の奴にゃのか? ていうかさっきの地震はどういうことにゃ? まさかとは思うにゃけど、また閉じ込められたわけじゃにゃいよな……」
「ああ……それがねえ」
さっき起こったことを端的に話す。閉じ込められた件に関してはまだ確定したわけではないが、黒瀬の様子を見るにまず間違いない。
せっかく落ち着いてくれたのに、また不安にさせてしまうかとドキドキしながら日車を見つめる。すると予想に反し、日車はさほどショックを受けてはいないようだった。それどころか興味深げに通路の中央にいる新たな遭難者に目を向けていた。
「……まさか、彼らに対しても死者の待合室がどうこう言いに行くつもりじゃないよね?」
日車は心外そうに首をぶんぶんと振る。
「そんなわけにゃいにゃ! にゃあだってもうその考えは捨てたのにゃ!」
「ならいいけど……それにしても随分と落ち着いてるのは何で? ちょっと前までずっとソファで丸くなって震えてたのに」
「それを深倉が言うのかにゃ? そ、そんなの、深倉がいてくれるからに決まってるじゃにゃいか」
「あ、え、ああ……」
照れた様子ながらもしっかりと言葉にして伝えてくる日車に、私も恥ずかしくなって少し頬を赤らめる。
――いやいや、中学生相手に何を意識してるのよ私! ていうか今はそんな場合じゃないでしょう!
私は必死に心を落ち着けると、「取り敢えず、私たちも行こっか」と彼を連れて玄関ホールに戻った。
日車と話をしている間に他のメンバーも玄関ホールに集まってきたらしい。そこには私の知る限り、現在館にいる全員が集まっていた。その中心にいるのは新しくやってきた浮浪者っぽいおっさんと絶世の美少年。
二人は糾弾されるように囲まれる中、あまり怯えた様子も見せずに自己紹介を行っていた。
「まだ事態はよく理解できていませんが、田中さ――もとい鈴が峰さんが余計なことをしてしまったことは理解しました。とはいえ悪気がなかったことだけは間違いないので許していただけると助かります。こんな浮浪者じみた格好をしていますが、彼はこう見えて優秀な探偵です。『トラブルメーカー鈴が峰千夜』と言えば警察に知らない人はいないほどです。それから私は彼の助手を務める伊月千尋と申します。もし事件が起きているようでしたら彼が必ず解決しますので、その点はご安心ください」
「あのさ千尋君。わざわざトラブルメーカーとかいう必要なくない? それになんとなく紹介に悪意を感じるんだけど」
「気のせいです。というか私がいいと言うまで勝手に口を開くなと言いましたよね。もう約束を忘れたんですか?」
「あ、ごめんなさい……」
鈴が峰という探偵(?)はまたも口を手でふさぐ。
――一体、この二人はどういう関係なんだ?
頭の中でクエスチョンマークが飛び交う。どこからどう見ても探偵である鈴が峰より助手である伊月の方が立場が強そうだ。それに外見的にも伊月が超美少年探偵で、鈴が峰はその奴隷みたいに見える。
あとトラブルメーカーって言うのはどういう意味だろうか? 明らかに探偵につける二つ名としては間違っていると思うんだけど。
そう言えばここには既に探偵を名乗る美少女がいたなと思い、私は彼女らに視線を向ける。
すると妹の新菜ちゃんは伊月の容姿に見惚れているのかとろけた表情を浮かべていたが、姉の伊緒ちゃんは正反対に強張った表情を浮かべていた。
伊緒ちゃんの方は何か知ってるのかと思い、聞いてみようとする。けれどそれより早く、伊緒ちゃんは口を開いた。
「『死神探偵鈴が峰千夜』まさか実在していたとは思いませんでした。これは随分困ったことになりましたねー」
トラブルメーカーより遥かに怖い二つ名が飛び出し、私を含めた何人かが驚いて二人から距離をとる。
伊月はすぐさま伊緒ちゃんの方を向くと、厳しい口調で言った
「鈴が峰さんのことを死神探偵などと呼ばないでください。彼はただのトラブルメーカーであり、それ以上に人を救う探偵です。次にその名で呼ぶようなら、私はあなたを許さない」
「……失礼しました」
伊月のあまりの迫力に――どうでもいいが美少年が怒るとめっちゃ怖い――伊緒ちゃんは顔を強張らせ謝罪を口にする。
これ以上その話をしてはいけない雰囲気になるが、彼のことを全く知らない私からしたら非常に気になる。正直トラブルメーカーだろうが死神探偵だろうが、この状況ではあまり来てほしくないことだけは間違いないのだけど……。
あまり歓迎されていない雰囲気を感じてか、伊月の顔はますます強張る。しかしここで、当の探偵自身が全く場の雰囲気を読まずに「わあ!」と声を上げた。
「ちょっと千尋君! 彼女たち双子だよ! 顔超そっくり! 髪の結び目一緒にされたらどっちがどっちだか分からなくなりそう! しかも探偵みたいだし、凄くかっこいいね!」
「え! なんで私たちが探偵ってわかったの!?」
大人とは思えないようなはしゃぎ声に呆れた視線が飛ぶ中、最後の一言に新菜ちゃんが敏感に反応する。
鈴が峰は笑顔のまま、「いやあ、だってそれ、探偵七つ道具でしょ?」と新菜ちゃんの体を指さし一つ一つ指摘していく。
「靴のところ、妙に浮いてるよね。たぶん中に何か隠してるんじゃないのかな? それから左腕の服が右側より明らかに垂れ下がってる。そこにも何か仕込んでるでしょ。それにお姉ちゃんに比べて服全体が後ろ側に引っ張られてる感じがするから、背中の方にも何か隠してるね。あと――」
まだ会って数分と経っていないのに、彼女たちがこっそり服に仕込んでいた探偵七つ道具の位置を的確に暴いていく。
呆気にとられる私たちを前に、全てのアイテムを暴いた鈴が峰は笑いながら、
「しかも二人とも微妙に隠してる位置が異なっているのが面白いね。仕込んでる道具の数が七つだったから探偵かと思ったけど、これならむしろど――」