仕掛けがあるのは館だけか
あまりにもあっさり扉が開かれたため、開けた張本人である新菜ちゃんすらぽかんとした顔を浮かべていた。
なんだか化かされたような思いを抱きつつ、皆ふらふらと扉をくぐり館の外へ。昨日の雨はすっかり止んだらしく、月明りが微かにかかる程度の鬱蒼とした森林が私たちを出迎えてくれた。
使えないとは知りつつも、いつもの癖でポケットに入れていたスマホを取り出す。やはり圏外で助けを呼ぶことはできそうにないが、これが夢でないことを確認しようと、カメラアプリを起動しパシャリと一枚写真を撮った。
外に出ただけではまだ信じ切れていない者が、夢でないことを確かめようと近くの木に触れている。しかしそんなことをしなくても夢でないことは明らかだろう。
私はそう思いつつも、たまたま近くに立っていた日車のほっぺを軽く抓った。
「何するのにゃ!」
「いや、夢じゃないことを確かめようと思って」
「普通そう言うのは自分の体でするものにゃ!」
日車は私の手を跳ね除けると、まるで猫のように警戒した目をしつつ距離をとってきた。
私は頬の触り心地や彼の反応から夢でないことを確信する。
ほどなくして私だけでなく、全員が状況を認識したらしい。外を出歩くのをやめ皆館の中に戻ってきた。
玄関ホールに戻ってきた私たちは、全員がいることを確認してから、一度扉を閉める。十数秒時間をおいてから、再び扉を開ける。当たり前だが扉は何事もなく開き、全く同じ景色が視界に映った。
誰からともなくため息が漏れる。
私も肩を落とすと、「昨日までのはいったい何だったのよ」と呟いた。
どこか緩んだ空気が流れる中、渡澄さんが扉が閉まらないよう木の枝をストッパー代わりに差し込みつつ、口を開いた。
「ええと、無事扉も開くようになったみたいですね。さっきの衝撃で建付けが元に戻ったのか、それとも別の理由があるのか……。いずれにしても、これで館からは自由に出られるようになりました。万が一また開かなくなってしまわぬよう、扉は開けたままにしておきたいと思いますが、異論はありますか?」
渡澄さんの提案に、皆黙ったまますぐさま首を横に振る。
「それでは、今後の方針について話したいところですが――見ての通り外は真っ暗ですし、流石に今から山を下りるというのは危険だと思います。加えてここが一体どこなのかすら、今の私たちにはわかりません。ですので、明日の朝になるまでは昨日と同様の方針がいいと思うのですが、いかがでしょうか?」
今度は多少思うところがるのか、何か言いたげに考えこむ者もおり、すぐに返事は返ってこなかった。
私自身、扉が開いた以上一刻も早く館を出たほうがいいんじゃないかという気がしている。理屈としては渡澄さんの言葉が正しいのは間違いなく、今山を下りるのは無謀だと思う。けれど感情的には、多少の危険を冒してでもこの意味不明な館から出たいという気持ちが強かった。
おそらくそう思ってしまう最大の理由は、扉が開いたからにも関わらず、彼の姿が見えないから。
「西郷の姿が館の外に見えない点を、お前はどう考える」
唐突に、白杉が口を開いた。それもちょうど私が気にかけていたのと同じ疑問を口にしている。
西郷の姿が見えなくなったことへの理由付けとして、最も考えられたのは出入り口の扉が開かなくなったことによる館との分断。何かの理由でたまたま衝撃直前に外に出ていた西郷は、扉が開かなくなったために館に戻ってこられなくなったというものだ。
しかしこの考えが事実なら、扉が開いた今外に西郷の姿が見えないのはおかしい。単に扉が開かないからと諦めて、今日のうちに山を下ってしまったのだとすれば問題はない。しかしそうでなかったたとしたら……。
渡澄さんはそのことに気付いているのかいないのか、当たり障りのない言葉を返した。
「おそらく一人で山を下りたか、もしくは館から少し離れた場所で休んでいるのではないでしょうか。西郷さんの荷物は館の中に見当たりませんでしたし、下りることに抵抗も少なかったでしょうから。まあそもそも、彼の持ち物を私は一度も見ていませんけれど」
そう言えば西郷はいつも手ぶらだった。この館に着いたばかりの時点では、皆の荷物は談話室に置いてあるか自ら持ったままかの二択だった(ちなみに今は、それぞれ自分が寝る場所に荷物を移動させている)。そんな中、西郷は談話室に荷物を置いている様子もなければ、リュックやポーチを身に着けてもいなかった。
そんな荷物ゼロの男だったため、館の中に入ることよりも、山を下りることを優先するのはそこまでおかしくないのかもしれない。
けれど白杉はその回答では引き下がらなかった。
「私は彼が何者かは知らない。しかし彼が最もこの館に異常性を感じ、危機感を抱いていたことは知っているつもりだ。そんな男が、館に戻れなくなってすぐに下山を考えるのか。考えたとして、何一つメッセージとなるものを残していかなかったのは不可解だと感じる」
「……つまり何が言いたいのでしょうか?」
「西郷は館の外に出ていたがために消失したように見えたのではなく、館の仕掛けによって消失させられたんじゃないかという話だ。ゆえに館が開いているうちに下山を始めたほうがいいと考えている」
「……随分と、宗旨替えをしましたね」
「別に何も変えてはいない。私は常に自身が思っていること言っているだけだ」
二人の間をぴりついた空気が流れる。
なぜ今こんな空気にならないといけないのか分からず、私はおどおどと二人の顔を見回した。
もともとは館の危険性を訴えていたのが渡澄さんで、楽観的に考えていたのが白杉だったはずなのに。どうして立場が逆転しているのか。そしてどうして対立が深まっているのか。
どちらの発言も正しいように思えて、どっちの肩を持つべきかもわからない。
私はこの場を収拾してくれそうな人物に、思わず目を向けた。私の懇願する瞳を察してくれたのか、黒瀬が小さくため息をつきながら二人の間に割って入った。
「二人とも、少し落ち着こうか。状況が変化して選択肢も増えて、議論にも熱が入りやすくなったのは分かるけど、事態はむしろ好転してるんだ。わざわざここで雰囲気を悪くする必要はないでしょ」
「だがどちらを選択するかはここで決めておくべき問題だ。またいつ異常事態が起きるかわからないんだからな」
「そうだね。それは一理ある。でも白杉さんには大事な視点が一つ欠けている」
「夜の山の恐ろしさか? それなら君より遥かに知っているが」
「違うよ。僕らをここに連れてきた相手が、館以外にも仕掛けを施している可能性だ」
「……」
黒瀬の強烈な一言に、白杉は反論できず無言になる。
私もその発想は完全に頭から抜けていたため、思わず「あ!」と声が漏れた。すると腰のあたりをツンツンと突っつかれる感触が。首だけで振り返ると、まだ警戒心を目に宿した日車がこちらを見つめていた。
「にゃあにゃあ。館以外にも仕掛けがあるってどういうことにゃ? 何で白杉は黙ったのにゃ」
私のことは警戒しているものの、他の人とは関りがなさ過ぎて仕方なく質問してきたと言った様子。私はちょっと皮肉を交えつつ、彼の質問に答えてあげた。
「ここを死者の待合室って考えてる日車君には納得できないだろうけど、今までの話から私たちは誰かの手で知らない山の知らない館に運び込まれたって考えてるわけ。で、西郷が急に消えちゃったことや変な衝撃とかから、この館には何か特殊な仕掛けが施されてる可能性が高い。だから白杉は早く館を出るべきだって言ってたの。だけど、よく考えたらこの山だって何者かが選んだ場所でしょ。だから山自体にも仕掛けが施されてるかもしれないから、今無策で降りるのは危険だって黒瀬は反論したわけよ」
「にゃ、にゃるほど……」
日車自身、ここが死者の待合室だという考えは捨てつつあるようだ。私の皮肉に対しても特に嚙みついてこず、むしろ怯えた様子さえ見せている。
いい加減彼に関しては、少し腹を割って話をしたほうがいいかもしれない。
フードを目深にかぶり体を震わせる日車を見て、私は柄にもなくそんなことを考えた。