知り合いも遭難していたようです
ぎり間に合った……
「失礼します……」
厚木なる男から教わった談話室の扉を開く。
彼の口調的に遭難者は複数いる様子。あまり大勢の人から注目を浴びるのは嫌だなと思いつつ、中を覗き込む。
すると予想に反し、中には一人しかいなかった。しかも私と同い年くらいの小柄な女性。服装は山歩きに適した動きやすそうな格好だが、どことなく清楚感が漂っており、印象としては深窓の令嬢っぽい感じだ。
おずおずと部屋に入ってきた私に気付いた彼女は、驚いた表情を浮かべて私の名を呼んだ。
「深倉さん? どうしてここに?」
「あ、えっと、その……?」
当然のように名前を呼ばれ、私は困惑した視線を返す。
名前を呼んできたということは相手は私のことを知っているはず。しかしここ最近彼女のような美少女を見た記憶は全くない。もしかして高校時代のクラスメイトだろうかと頭を悩ます。
けれどやっぱり思い出せないので、私は目を泳がせながら「すいません、どちら様でしょうか?」と素直に尋ねた。
彼女は少し残念そうに眉を寄せる。その顔も奥ゆかしいというか、まるで一枚の絵画の様に整っている。やはり私の知り合いにこんな綺麗な女の子はいなかったはずだよなと思っていると、彼女は「同じ大学の渡澄飛鳥よ。一応同じ講義を取ってるから、週一で顔を合わせてるはずだけど」と、あっさり私の記憶を覆してきた。
正直大学に入ってからは普段同じメンバーとしか話しておらず、それ以外の人の顔なんて全く見ていない。私の人生に関わらない人にメモリを使うなんて時間の無駄――的なかっこいい考え方ではなく、単純に恥ずかしいし怖かったから。
まあそんな本音を言えるはずもなく、私は小さく頭を下げた。
「その、人の顔を覚えるのはあんまり得意じゃなくて……。不快な気持ちにさせたらすいません」
「ううん。別に不快に思ったわけじゃなくて、ちょっと残念だっただけ。私が一方的に深倉さんのこと気になってたから」
「渡澄さんみたいな綺麗な人が、私なんかを……?」
信じられない気持ちが強く、少し引き気味に彼女を見つめる。
基本的に根暗でコミュ障な私に声をかけたいと思う奇特な人はまずいない。いるとした宗教関係のあれな人や、超胡散臭いセミナーを布教しているやばい人くらいだ。
見た目にはそんな俗なグループに属しているようには見えないが、人は見かけに寄らないもの。猜疑心に満ちた目で眺めていると、彼女はわたわたと手を振った。
「な、なんか変に誤解されてない! 私は本当にあなたに興味があっただけで! ほら、深倉さんって孤高って感じでクールでかっこいいでしょう。友人と話してる時も、いつも冷静であんまり笑わないところとかが凄い素敵だなって」
「………………」
小説や漫画の中だと、ボッチな人をクールと勘違いする人がいたりするけど……まさかリアルで、しかも身近にそんな人がいるとは。
孤高っていうか単に人づきあいが苦手で、うまく会話できないからできるだけ皆との接触を避けているだけ。友達といる時に笑わないのも……というか、私の友達は友達というか、同盟関係にあるボッチ仲間というのが正しい。
人と会話するのは苦手。かといって全くグループに属していないとそれはそれで不安。そんなメンツが集まって、特に共通の話題があるわけじゃないけどなんとなく一緒に時間を潰し合うのが私たちの間柄。
まあそんな関係ゆえ、集まったところでさして盛り上がる話題があるわけでもないので、特に笑顔をこぼすこともないというだけ。
うん。改めて考えるとだいぶひどいな。これは絶対に彼女には言えない。
私はこれ以上この話は止めておこうと、今の状況について話題を移すことにした。
「それで、どうして渡澄さんがこの館に? まさかとは思うけど、ハイキングに来たはいいけど途中で迷子になって彷徨い歩いてたらこの館に着いた、とか?」
渡澄さんは憂鬱そうに溜息をつきながら頷いた。
「そうなのよ。ちょっと気分転換に山登りでもしようかと思ってきたの。そこまで標高が高い山でもないし、ネットでもそれなりに有名な山だったからまあ大丈夫だろうと思って登ってたら――いつの間にか迷子になってて」
「へえ……」
仲間に何となく誘われて何となくやってきた山だったのだが、意外と有名だったらしい。というか気分転換に登山か……見かけによらず結構アウトドア何だろうか?
「渡澄さんはハイキングには一人できたの? 私たちのツアーにはいなかったと思うけど」
周りを見ていないとはいえ、流石に同じツアー客の中に彼女の姿があれば見覚えがあった、はず。正直自信はないけど。
やや不安に思いつつ彼女の返事を待つと、今度は私の記憶違いではないようだった。
「ええ。一人で行動するのが性に合ってるみたいで、ツアーとかは苦手なの。それに一緒に登山してくれるような友達もいないから」
「そうなんだ……」
渡澄さんが声をかければいくらでも登山にお供したいって人が現れそうだけど。でもまあ逆に、彼女ぐらい綺麗だとそれはそれで近づきがたいと思われたりするのかもしれない。
と、よく考えたら今はこんな雑談をしている場合じゃない気がする。お互いに遭難者だとしたら、一刻も早く救助を呼ばなくては。
私は彼女の持ち物に目を落としつつ言った。
「あの、因みに救助とかってもう呼んでたりします? 私のスマホだと、ちょっと電波が繋がらなくて困ってたんだけど」
通信料金が安い格安スマホが私の相棒。しかしこの相棒、山に入ってからというもの全く電波を拾ってくれずただの懐中電灯としての役割しか果たしてくれなくなった。
いざという時に役に立たないようでは今後も何かと困るかもしれない。もし無事に帰れたら大手のに機種変しようかと考えている。まあしないけど。
やや期待に満ちた私の視線を受けた渡澄さんは、申し訳なさそうに首を振った。
「ごめんなさい。私そもそもスマホって持ってなくて……。この館も一通り見回ってみたけど、電話機の類はなさそうなの。だからまだ助けは呼べてないわ」
「ああ、そうですか……って、スマホ持ってないんですか? 今の時代に?」
驚きから(私にしては超珍しく)目を見開いて尋ねると、渡澄さんは恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「だって、必要性を感じないから……そ、そんなことより、助けを呼ばないとよね! でも残念なことに、今ここに集まっている人の中に、外との連絡手段を持ってる人は一人もいないみたいなの」
「そう言えば、この館には今何人の遭難者が集まってるんですか? さっき玄関であったおじさんは、私のことを見てまた遭難者かって言ってたけど」
「ええと、ちょっと待ってね」
渡澄さんは人数を数えているのか、細いしなやかな指を一本ずつ折り曲げていく。
「――六、七、八人、かな? ああ、私自身を入れ忘れてたか。うん、今この館には九人の遭難者がいるわ」
「九人も遭難者が……」
そんなにたくさん。これはあの無礼なおっさんが面倒な顔をしたのもわかる気がする。
やっぱり何かがおかしい。そう思っていると、急に談話室の扉が豪快な音を立てて開け放たれた。