衝撃の後の消失
――な、何これ!!!
あまりの衝撃に、私は体を崩してパニックになる。
乱れた思考の中、何とかソファの方に体を倒すことで、床と激突する未来だけは避ける。逆に黒瀬は衝撃によってソファから転がり落ちており、かなり痛そうな音を立てて床に激突していた。
私は無心でソファを掴み、床に放り投げられないよう踏ん張る。けれど衝撃は一瞬のことで、すぐに館は元の静けさを取り戻していた。
しかし一瞬とはいえ全身を襲った強い衝撃。すぐには心も体も立ち直れず、揺れが収まってからもしばらくはソファにしがみついたまま動けずにいた。
「痛い……」
どれだけ時間が経ったのか。不意に下から黒瀬の声が聞こえ、ようやく私はソファから体を起こした。
驚くべきことに、あれだけの衝撃があったにもかかわらず家具はほとんど動いていなかった。私が図書室から持ってきていた本も、少しページがめくれているだけでテーブルに載ったまま。
つまり衝撃以前と以降で大きく位置が変わっていたのは私と黒瀬だけ。部屋を見渡す限りだと、さっきのことが夢だったんじゃないかとさえ思えるほどだった。
しかし今の揺れがまさか夢なはずもない。実際黒瀬は床に落ちて頭に大きなこぶを作っているし、私だってまだ全身が恐怖で震えている。
こんな時だからこそ、少しでも落ち着かないといけない。私はぐっと腕に爪を突き刺し、冷静さを保とうとする。
――大丈夫。こんな揺れ、暗闇に一人取り残されることに比べれば何も怖くない。
何度も自分にそう言い聞かせ、徐々に震えが治まってくるのを感じる。
今度こそ歩ける程度に回復したなと思ったところで、勢いよく談話室の扉が開かれた。
「深倉さん、大丈夫!?」
息を荒げて部屋に入ってきたのは渡澄さん。こんな時でも自分の心配ではなく私の心配をしてくれるのかと、流石の私も心が温かくなるのを感じる。
少しでも彼女を心配させまいと、私はできる限りの笑みを作り駆け寄った。
「私は大丈夫。ちょっとびっくりしたけど、ソファに摑まってたらすぐに収まったし。それより渡澄さんは大丈夫だったの? 本棚とか倒れて怪我しなかった?」
渡澄さんは安堵した様子で息を吐きながら、
「ええ。不思議なことに本棚は全然動かなくて。本もほとんど落ちてこなかったの。よっぽどしっかり固定されていたのかしら?」
「横揺れじゃなくて縦揺れだったからかな? 何はともあれ、お互い無事でよかったよ!」
興奮していたからか、私にしては非常に珍しいことについ彼女の手を握ってしまう。自分自身その行動に驚き手を放そうとするも、渡澄さんはぎゅっと手を握り返し、笑顔を弾けさせた。
――もしかして、これが友情なのかな?
彼女の笑みに見惚れぽけっとそんなことを考える。
しかし私と彼女の友情タイムは、黒瀬の不機嫌そうな声に阻まれてしまった。
「そこの二人さー、喜びを分かち合うのもいいけど、他にもやるべきことがあるんじゃない? 僕みたいに怪我をした人がいるかもしれないんだから、元気ならみんなの安否を確認してきなよ」
ぐむむ、生意気な。あんただって今こうして文句を言えるくらい元気なくせに。年下なんだし、せめて敬語を使えと注意しようかと口を開くも、
「黒瀬君、どこか怪我したの!?」
という気遣わし気な渡澄さんの声を聞き思いとどまった。
「あ、うん。さっきの衝撃でソファから転がり落ちて、頭を思いっきり床に――」
「頭を! 大丈夫なの!?」
そう言って、私の手をほどき黒瀬の元まで走り寄る。
――うん、彼女は誰にでも優しい善人だ。
昂っていた気持ちが少しだけ落ち着く。渡澄さんに心配そうに頭を看られている黒瀬は、どこか照れたような顔をしつつも、「僕は大丈夫だから早くみんなを見に行けよ」と生意気な返しを行っていた。
今まで彼の取り巻きには渡澄さんほどの美少女はいなかったのか、それともお姉さん系が好みなのか。
私は内心ゲスの勘繰りをしてから、渡澄さんに声をかけた。
「大丈夫って言ってるんだから大丈夫なんじゃない。それより他の人の安否も確認しに行こう。もっとひどい怪我を負ってる人もいるかもしれないし」
「そうね……。でももし途中で気分が悪くなったらちゃんと言うのよ。頭の怪我は本当に危険なんだから」
「……分かったよ」
心の底から気遣うような渡澄さんの瞳に負け、黒瀬はそっぽを向きながら小さく頷く。
彼が頷いたのを確認すると、少し安堵した様子で渡澄さんは立ち上がった。
「くれぐれも安静にね。それじゃあ行きましょうか」
私と渡澄さんは、黒瀬を談話室に残し他のメンバーを探しに行く。
取り敢えず確認したいのは階段下だ。談話室と図書室の家具がほとんど倒れなかったことから、何か物が落ちてきて怪我をするという可能性は低い。となると危険なのは、黒瀬のようにどこかから落ちて怪我をすること。そう言う意味で最も危険な場所と言えば、言うまでもなく階段だからだ。
通路に出て左右を見るが、人が倒れている様子はない。次に玄関ホールまで移動して階段を見てみる。幸いにも、階段の下にも半ばにも倒れている人は見当たらなかった。
角度的にここからでは二階の通路が見えないため、まだそこに人が倒れている可能性はある。しかしまだ足がパンパンな私は、目の前の無駄に長い階段に躊躇してしまった。すると渡澄さんが、
「二階と三階は私が調べるわ。深倉さんは部屋数の多い一階を確認しておいて」
と言い、階段を駆け足で上がっていった。
部屋数が多いとはいえ、既に談話室と図書室は確認してある。明らかには渡澄さんの方が労力がかかるのに……、また私を気遣ってくれたようだ。
どうしてこんなに自然に親切な行動ができるのか、私のような人間には理解しがたい。しかし今はただただそのことに感謝し、大人しく一階を見て回ることにした。
せっかく玄関ホールまで来たので、このまま右側の通路から確認しようと足を向ける。
まずは一番近い食堂。扉を開けて中をざっと見まわすが、人の気配はない(ついでにこの部屋も、揺れがあったとは思えないほど変わりなかった)。念のためテーブルの下なども覗いてみたが、誰かが隠れているということはなかった。
続いて厨房。こちらも軽く見回るが人の気配なく、部屋も私が料理した時のままだった。ただ、念のためと思い冷蔵庫の中を見てみると、ここだけはかなり激しく揺れの影響を受けたのか、食材がひどく散乱していた。なぜ食糧だけこんなことに? と疑問を抱くも、今は人命救助が優先と思い直し、部屋を出た。
さらに隣室のトイレ。無駄に広く、個室トイレが二十近くあるので全部見るのにやや時間がかかる。けれどこちらも空振り。個室の中でぐったりと倒れている人がいるなどということもなく、もぬけの殻だった。
右側通路最後の部屋であるお風呂も見てみるが、脱衣所の時点で脱いだ服が見当たらず、当然中には誰もいなかった。
皆一階ではなく二階三階に行っているのか? そんな疑問を抱きつつ、来た道を戻り今度は左側通路へ。
一番手前の医務室に入ってみるが、こちらもやはり誰もいない。棚に置かれていた薬瓶も倒れてるものは一つもなく整然と並んだままだった。
続く談話室、図書室は既に確認済みなので、一気に角部屋の遊戯室まで行く。ここまでの流れから誰もいないだろうと高を括って開けると、予想通り部屋の中に人の姿はなかった。
もしかして他のメンバーは三階で客室争奪戦を行っていたのかもしれない。そんな馬鹿なことを考えつつ、念のため各遊技台の下を覗いてみる――と、ビリヤード台の下に、体を真ん丸にして蹲っている日車の姿があった。
私は一瞬びくりとするも、すぐに気を取り直し声をかけた。
「日車君大丈夫? もう揺れは収まったみたいだし、出てきても平気だと思うよ」
「………………」
余程怖かったのか、丸めた体を震わせるだけで出てこない。しばらく声をかけてみるがやはり反応はない。とはいえ流石にこのまま放置しておくわけにもいかないと思い、私は彼の腕をとると、「取り敢えず談話室行こう」と引っ張った。
日車は抵抗することもなく、ずるずると床を引きずられる。
こっちだってかなり疲れてるから、自分の足で歩いてほしいのだけど。そう思うも、その交渉をするのが面倒に思えて無理やり彼の体を引きずって談話室まで移動する。
何とか部屋まで運び込むと、急に日車は立ち上がり、部屋の隅に移動してまた丸くなってしまった。
そこまでさっきの揺れが恐怖だったのか?
私はどう声をかけていいか分からず、仕方なく彼をそのまま放置する。黒瀬も部屋の隅で丸まった日車に興味はないようで、ソファに寝ころんだまま動こうとしない。
私は役立たず二人を見てから、さてどうしようかと少し悩んだ。が、結局二階へ上がりたくないという気持ちが勝り、私は三人目の役立たずとしてソファに座って渡澄さんの帰りを待つことにした。
待つことおよそ二十分。
流石に遅いし、何かあったのかもしれないと思いかけたころ、談話室の扉が開き渡澄さんを含めた五人が部屋に入ってきた。
そう、五人。
一人足りない事実に、まさか誰か大怪我をしたのではと身体を固くする。一方部屋に入ってきた渡澄さんは、部屋の中をきょろきょろと見まわした後、
「深倉さん。西郷さんは一階にいなかったの?」
と、困惑気に言ってきた。