遭難
執筆の習慣をつけるための毎日更新作品です。毎日更新する分ストーリーはかなり雑で荒い展開になると思いますので、その点をご了承の上で呼んでいただけると幸いです。
暗い、暗い森の中をひたすら歩く。
曇っているのか、都心から離れた山奥であるにも拘らず、空には月明かり一つ見えない。
暗い。暗いのは怖い。
明かりを求めて、ひたすらと森の中を進む。
迷子になった。皆とはぐれた。そう気づいたのはいつのことだったろうか。
最初は楽観的に考えていた。どうせすぐに、皆と合流できる。私がいないことに気付けば、誰かが探しに来てくれる。
しかしそう楽観視していたのが油断を生んだ。迷ったと気づいたならその場で動くのを止めればよかったのに、適当に歩いていれば皆に出会えるだろうとふらふら山の中を彷徨ってしまった。
結果、仲間の一人に会うこともなく、こうして真っ暗になった山の中を一人歩く羽目に。
なんて自分は馬鹿なのか。
そんないつもの自己嫌悪に陥り、自分の腕をぎゅっと強く掴む。
爪が皮膚を貫通する感覚を味わいながらも、それが自身に冷静さをもたらせてくれる。
そして改めて、自分の見通しがまだまだ甘いことに気づいた。
暗いのが怖い。もはやそんなことを言っていられる次元ではない。既に、生きるか死ぬかがかかっているのだ。
まだ冬と呼ぶほどに寒くなってはいないが、夏と呼ぶには寒すぎる気温になっている。要するに秋真っただ中。夜になれば寒さで手がかじかむし、暖かい飲み物なんて持ってない。
そうだ。よく考えれば食べ物がないではないか。
辛うじて水筒にはまだお茶が入っている。しかし今日の飲み残しであり、決して大量ではない。どんなに節約して飲んでも、明日には空になっていることは間違いない。
寒さもしのげず、食糧もない。
本当に、このままでは死んでしまう。
急く心に反比例して、歩く速度は徐々に下がっていく。
当たり前だ。一体全体、何時間こうして山を歩いていると思っているのか。もとからアウトドアなタイプでもないし、体力には全く自信がない。今もこうして歩けていることの方が奇跡に近い。
でも、どんなに体力が底をつこうが、足を動かすことだけはきっと止めない。
だって、暗闇は怖いから。
動いていないと、飲み込まれてしまいそうで、精神を保っていられる自信はないから。
ああ、でも。体はとっくに限界だと告げている。
幻覚でもいい。とにかく、心と体を休めることのできる場所が現れてくれ。
………………
………………
………………
………………?
何か、明るい?
不意に、じんわりとした暖かな光が、視界を包んだ。
まさか、神に願いが通じたのだろうか?
急く心に反し、やはり足は思うように動かない。しかし一歩一歩、ゆっくりではありつつも、光に向かって歩みを進める。
そして――一軒の巨大な館が目の前に現れた。
「失礼します……」
ドアホンがなかったため、扉を叩いて反応を待った。
待っている間ちょっとした好奇心から館とその周囲をスマホで撮影。
撮影が終わってしばらくしても人が出てくる気配がなかったため、試しにドアノブをひねってみた所、驚くほどすんなりと扉が開いてしまった。
こんな立派な館なのに、防犯意識は低いのだろうかと疑問に思う。しかし立地が立地であることを考えれば、不審者などまず来ることはないだろう。そう考えれば、鍵がかかっていないこともそこまで不自然なことではないのかもしれない。
おずおずと館の中に入る。
ぼんやりとした明かりが灯っている、やや暗めの玄関ホール。
正面すぐには二階に繋がる大階段が存在し、また左右に長く通路が続いている。
ついつい中に入ってしまったが、果たしてどうしたものか。流石に勝手に館の中を歩き回るわけにもいかない。不審者として見つかって、通報でもされたら大変だ。
大声を出すのは得意ではないが、この際躊躇ってなどいられない。
館の主に発見される前にと、私は大きく口を開けて――
「君! もしかしてこの家の人かい!」
それより早く声をかけられてしまった。
きょどりながらも声のした方に視線を向ける。
視線の先には、緑色のシャツに茶色のパンツを穿いた背の高い中年男性が立っていた。
男は大仰に両手を開きながら、私の返事を待つこともなく歩み寄ってきた。
「勝手に上がらせてもらい申し訳ない。実はハイキングの途中に仲間たちとはぐれてしまってね。途方に暮れていた所にこの館を見つけたんだよ。勿論入る前に声をかけたりノックをしたりはしたのだがね、一向に反応がないからドアノブを押してみるとすんなりと開くじゃないか! うん、これは老婆心ながら言わせてもらうが、いくら山奥にひっそりと佇む洋館に住んでいるとはいえ、やはり鍵ぐらいはかけておいた方がいいね。まして住んでいるのが猟銃を持った大男でなく、君のようなか細い少女となればなおさらだ。それから――」
「あ、あの!」
遮らなければいつまでも喋っていそうな男に苛立ちを覚え、私はつい荒げた声を発する。
男が驚いた様子で口を閉じたのを見てから、私は視線を下げたままぼそぼそと言った。
「わ、私はこの館の者じゃありません。その、あなたと同じです。仲間と一緒にこの山に来たのだけれど、途中ではぐれて、一人暗い中歩いてたらこの館を見つけて……」
私がこの家の住人じゃないと分かった途端、男は急に態度を変えた。
「なんだ、君も遭難者だったのか。それならそうと最初に言えばいいのに。全く紛らわしい奴だ」
「な……」
そちらが一方的に勘違いしておいて、なんという言い草だろうか。沸々と怒りが湧き上がるが、ここで怒鳴り返すような勇気はない。
男の顔を軽く睨み付けるだけで怒りを発散する。
興味と愛想をすっかりなくした男は、「全くまた家主ではなく遭難者とは……この館はどうなっているのか」と、ぶつぶつ小声で文句を言っている。
一体これはどういう状況なのか?
私は訳が分からず腕に爪を突き立てた。
鋭い痛みが、私の脳に冷静さを与えてくれる。
まず、目の前の無礼な男は一体何なのか。よくは分からないが、彼もこの館の住人ではなく私と同じ遭難者らしい。さらに彼の発言からするに、現在この館には家主がおらず、加えて私と同じ遭難者が他にもいるようだ。
……なんだか、胡散臭い。
実際に遭難することになってしまった私が言うのも変な話だが、同じ日に何人も遭難者が出ることなどあるのだろうか。さらにその遭難者が、偶然山奥にひっそりと佇む、家主のいない館に集結する――やはり、作為的なものを感じてしまう。
もしかして、彼は私のことを謀ろうとしているのではないだろうか。今日この館では何かドッキリの撮影が行われており、偶然やってきた私もついでにその撮影に巻き込まれてしまったとか。もしくはあまり想像したくないことだが、彼は金目の物を探してやってきた泥棒で、あれこれと文句をつけて私を追い出そうとしているとか。
いつものネガティブ思考が発揮され、次から次に最悪の想像が脳裏をよぎる。
逃げるべきか留まるべきか。
数秒私の脳内で議論が交わされるが、すぐに軍配は上がった。
役者だろうが泥棒だろうが、夜闇より怖いものなど何もない。
私は目の前の無礼な男に対し、ぼそぼそと質問した。
「あの、取り敢えず休める場所はありませんか? もう何時間も歩いて、足が限界なんですが」
男はどこか蔑んだ目で私を見下ろす。
「君はなかなか厚かましい奴だな。勝手に人の家に侵入した上に、さらに休める場所を提供しろとは。全く最近の若者というのは謙虚さを知らない」
自分のことは棚に上げ、横柄な態度で男は返事を返してくる。私はそっぽを向いて軽く舌打ちを一つ。
「……あんただって同じ立場のくせに」
「ん、何か言ったかな?」
「いえ、何も。それで休める場所はあるんですか?」
「うむ、まあなくはないな。この左側の通路を進んで二つ目の部屋が談話室になっていてね。かなり広いうえにソファ、暖炉もあって実に居心地がいい。私も鬼ではないからね。この寒い夜空の下に君を追い出そうとは思わないし、そこを使ってくれて構わないよ」
「だから何であんたがそんなに偉そうに言うのよ」
「ん、また何か言わなかったかな?」
「いえ何も。じゃあ談話室で少し休んできます」
これ以上この男と話しているとイライラして余計疲れそうだったので、会話を切り上げ男の言う談話室とやらに向かう。
しかししばらくはここで顔を合わせる必要があるかもしれないと思い至り、首だけ振り向いて尋ねた。
「そう言えば、私は深倉美船です。あなたの名前を教えてもらえませんか」
男は一瞬目をしばたいた後、大儀そうに腕を組みながら言った。
「私は厚木武典だ。しっかり覚えておくといい」