第三話 夏の伝説②
次の日は快晴だった。
寝坊して起きた僕は、朝食とも昼食ともつかない食事を済ませ。駅に向かった。
駅前の商店街で絵ハガキを買う為である。友達の中に絵ハガキを集めている者がいて、M市から出してくれと頼まれていた。
商店街と言っても、道幅の狭い道路に十数軒の商店が軒を連ねている小さな規模の物で、客はまばらである。
僕は数軒の店を回って、絵ハガキとお土産に出来そうなものを買った。
ぶらぶらと遠回りして祖母の家に帰った僕は、今度は遅い昼食をとり、食べ終わった後は海水浴場のある砂浜の方へ行って見ることにした。
「おばあちゃん。砂浜に行って来るよ」
サンダルに履き替えながら奥の間にいる祖母に声を掛けた。
「泳ぐのかい」
「やめとくよ。水も冷たそうだし・・・じゃあ、行って来ます」
僕は玄関を出た。砂浜までは徒歩で十分くらいである。
砂浜はM市の海水浴場になっているのだが、予想した通り、人の姿はほとんど無くて、ずっと弓なりに続く波打ち際の一番向こうに、展望台の岬が見えた。
数組の家族連れが、波打ち際の浅い場所で遊んでいた。僕はそれを見ながら展望台に向かって歩き始めた。
今日の海は穏やかで、良い風が吹いている。ゆるいカーブの波打ち際を歩いて行くと、最後は展望台の岬の岩場が始まり、そこで終わっている。
その岩場が始まる辺りに、ぽつんと白い人影があった。
近付いて行くと、人影は女性であった。
白いワンピースに白い幅広の帽子。長い黒髪の女性である。
彼女は足元の波打ち際をじっと見つめて動かなかった。何やらそこだけ陽が陰ったかのような雰囲気がしている。
「どうかしましたか」
何か困っているのかと、僕は声を掛けた。
女性は僕の声に反応せず、波打ち際を見たままだ。
何があるのだろうかと、僕ものぞいて見た。
砂の上には手の平くらいの大きさの魚が打ち上げられていた。薄い青色に紫の斑点のある美しい魚が、尾をバタバタと振っていた。
「あ。かわいそうに」
僕は海に帰してあげようと、魚に手を伸ばした。
「やめて!」
強い調子で女性が言った。
「え。でも、このままじゃ死んでしまいます」
僕は魚に手を伸ばしたままの恰好で女性に振りむいた。
そして、そのまま固まってしまった。これまで見たことが無いほどの美女だったからである。
年齢は僕より少し上の二十歳前後であろうか。画家が描いたような細く濃い眉。大きなルビーのように輝く目。通った鼻梁。赤くて薄い唇。
僕はこんな綺麗な人を初めて見た。
しかし、遠くから姿を見た時に感じた、どこか寂しげな雰囲気は、まとわり付いたままであった。
「そのままにしておいて上げて」
(しておいて上げて)
・・・彼女は変な言い方をした。
「でも、このままでは死んでしまいます」
僕の言葉に、彼女は一瞬どう言おうかと考えたのか、目をつむって少し間を置き、意を決したかのように真剣な顔をして言った。
「信じられないでしょうけれど・・・魚にも死にたい時があるのよ」
・・・僕は何と言って良いのか分からず絶句した。
(えっ)彼女の言った言葉の意味を理解しようと考えた。
本当なら、噴き出しても可笑しく無い話である。しかし、彼女の真剣な言葉には胸に響くものが込められていて、僕は笑い出せなかった。
僕が言葉を失って彼女を見ながら固まっていると、彼女は僕から目をそらし、そのまま展望台へ続く階段を登って行ってしまった。
僕はしばらく彼女を目で追っていたが、バタバタと魚が尾で砂浜を打つ音に我に返り、彼女の言葉に逆らうことになるが、魚をすくって沖に向かって投げた。
魚は浮かんでこなかったので、大丈夫であろうと僕は判断し、彼女の後を追うことにした。
展望台へ登る階段は、強い風を受けて成長した海側の松の枝が通路に斜めに伸びていて、気を付けて登らないと服を引っかけそうであった。