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新・魔風伝奇  作者: ronron
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第十三話 見える人②

 退院が近づいて来ると理学療法士に代わって、日常の動作を訓練してくれる作業療法士がやって来る。

 訓練はどれも三十分から小一時間程度である。


 それが終わると暇である。

 テレビもあまり見ない黒井は、何もすることが無いので横になり、ぼーっとしていると眠ってしまうのであるが、昼間に寝ると夜寝れなくてつらいのである。

 大部屋で六人部屋なのであるが、当然ながら消灯後に話などすることはできない。


 「暇だ‥‥」


 夜中にベッドから起き上がった黒井は休憩室に向かった。消灯時間が過ぎているが、休憩室は電気が付いていて飲み物の自動販売機があり、雑誌やテレビも置いてある(テレビは夜九時から朝六時までは電源が抜かれている)。


 照明がほとんど消えている廊下を歩いて行くと、ペタペタと自分のスリッパの足音だけが廊下に響いて聞こえる。

 当直がいるナースステーションの前を横切り、休憩室に着くと先客がいた。


 奥のソファー椅子に、派手なピンクのパジャマを着た、白髪の七十代に見える男性が座っていた。

 黒井は車いすで移動できるようになってから、何度も休憩室に飲み物を買いに行っていて、これまでに何度か見かけた老人であった。いつもピンクのパジャマを着ているので見間違えようがない。


 軽く会釈をした黒井は自動販売機の前に立った。男性はいつもボーっとしている表情であり、黒井の会釈にも何の反応も示さなかった。


 (少しボケてる人だろうな)


 黒井はそう決めつけていた。

 彼は果実ジュースを買ってゆっくりと飲んだ。


 (あーあ、今夜も眠れそうにないなあ‥‥退院が待ち遠しいよ)


 最後の検査日が近づいていて、問題なければ後一週間くらいで退院である。


 (さあ。病室へ戻るか‥‥眠れないと夜は長いんだよなあ)


 うんざりして立ち上がった黒井は、休憩室を出る前に、もう一度老人に会釈をした。


 「寝るのか?」


 初めて老人は反応して黒井に声をかけて来た。


 「はい‥‥あ、寝られたらですけれど」


 驚きながら返事を返した。


 「そうか‥‥おやすみ」


 そう言うと、またボーっとした目になって、空中に視線を向けたのであった。


 (おかしな人だ)


 ピンクの派手なパジャマも年齢にあっていない。





 ついに退院の日がやって来た。


 支払いを済まし、十時には父親が迎えに来る予定である。

 父親が来ればナースステーションに連絡があり、病室ともお別れである。黒井は荷物を鞄に詰めてベッドに腰を降ろした。


 「長かったなあ」


 ぽつりとつぶやいた。

 約三週間入院したのであるが、その間に同室の患者は次々と退院し、新しい人が入院しても、一週間ほどで退院して行った。


 普通なら長くても入院は一週間くらいである。黒井の場合は骨折カ所が背骨であり、簡単には退院できなかったのであった。


 「恐らく俺が患者では最長老だろうなあ」


 自嘲した彼であったが、あのピンクのパジャマの老人を思い出した。


 「ああ、あの人の方が長老だな‥‥昨夜も休憩室にいたしなあ」


 そんなことを考えていると、女性の看護師さんがやって来た。


 「黒井さん。お迎えが受付にいらっしゃいました‥‥忘れ物は無いですか。チェックしますね」


 看護師は断ってから、黒井が荷物を入れていた棚や引き出しを開けて確認を始めた。

 特に他意は無かったのであるが、後ろ姿の看護師に、あのピンクのパジャマの老人の病気を尋ねることにした。


 「看護師さん。長い間ありがとうございました。教えてもらえるか分かりませんが、深夜にいつも休憩室にいる、ピンクのパジャマを着たおじさんは、何の病気で入院されているのでしょうか?」


 最近はコンプライアンスにうるさいので、多分、教えてもらえないと分かっていたが尋ねてみた。


 看護師は何故かビクッと肩を震わせて停止すると、ゆっくりと首だけ動かして黒井の方を向いた。

 何かおかしなことでも口にしたのかと、黒井が目を点にして首をかしげると。


 「ピ、ピンクのパジャマの老人を見たのですか?」


 看護師は蒼白な顔になって尋ね返して来た。


 「はい‥‥深夜の休憩室で、ほぼ毎日会いましたが‥‥何か?」


 つばをごくりと飲んだ看護師さんは。


 「たまにね‥‥本当にたまにですが、ピンクのパジャマを着た老人が、見えるって言い出す入院患者さんがいるのですが‥‥あなたにも見えた(・・・)のですね?」


 真剣な表情で黒井を見つめた。

 今度は黒井が蒼白な顔に変わる番だった。


 「見えた‥‥って。はあ? まさか幽霊ってことですか? 冗談キツイな。脅かさないで下さいよ。ハハハ」


 黒井は笑ったが看護師は真剣な表情のままだった。


 「いや噓でしょ。ウソウソウソ! あれは本当に絶対に生きてる人間でしたよ。間違いありません。話もしましたから」


 看護師はバツの悪い顔に変わると。


 「よそで絶対に言わないで下さいね。‥‥でも、この病院で働いている者には有名な話しなんです。ずっと昔から出るそうですが、めったに見える人はいないそうです」


 「えーっ! 本当なんですか!」


 看護師はそわそわし出した。


 「お願いですから、私が話したとは絶対に言わないで下さいね‥‥何も実害は無いと聞いていますから‥‥では、お大事に」


 頭を下げると、看護師は逃げるように病室を出て行ってしまったのであった。


 (う、嘘ー! 本当にあれは幽霊だったの?)


 呆然とする黒井であった。





 「あの時からだな‥‥見えるようになったのは」


 ポツリとつぶやいた黒井は、なぜか居酒屋が静かになっていることに気が付いた。

 「ハッ」としてカウンターの向こうの厨房を見ると、マスターが目をいて彼の方を凝視していた。


 マスターは黒井から目を離さずに、ごくりと音を立てて唾を飲み込むと。


 「あ、あんた‥‥誰と話してるんだい?」


 そう話しかけて来た。

 黒井の周囲には誰もいない。


 「あっ。えーと」


 カウンターに座った客の方を見ると、五人ほどいる客の全員が、真剣な眼差しで黒井を見つめていた。


 「す、すみません‥‥お、お勘定をお願いします」


 黒井は告げられた金額をカウンターに置くと、逃げるように居酒屋から出て行った。





 「おい。何だったんだ今の客は?」


 マスターが手伝いの奥さんんへ声をかけた。


 「知らないよ‥‥でも気味が悪かったねえ。誰もいないのに、隣の席に話しかけていたよ」


 「‥‥俺は知ってます」


 客の一人がゆっくりと手を上げた。


 「奴は気づいていなかったようですが、俺も今日は偶然この居酒屋へ来たのですが、俺は奴と同じ会社の社員なんです‥‥奴は会社で有名な社員でして‥‥奴は普通の人には見えないモノが、見えるって噂なんです」


 「ええーっ!」


 居酒屋にいる全員が悲鳴のような声を上げた。


 「まさか! 言っちゃ悪いが、ただの頭が可笑しい奴じゃないのか?」


 「そ、そうそう。そうに決まってる」


 マスターも客も引きつった笑いを浮かべてうなづいている。


 「前に、そこの京阪の駅前で交通事故があったでしょ。若い女性がはねられたって聞いたんですがね、奴は現場を見たわけでもないのに、はねられたのは女性じゃなくて老人で、亡くなったってポツリと言ったんです」


 全員が、同じ会社の社員と名乗った男の話を真剣に聞いている。


 「でね。次の日の新聞には、奴が言った通り、事故にあったのは老人で死亡したって出ていたんですよ‥‥それから、気味が悪くて奴には誰も話しかけなくなってるんです」


 居酒屋は静寂に包まれた。


 「‥‥お、おい。マスター。何でテレビを消したんだ。つけてくれよ」


 客の一人が無理に声を上げた。


 「お、おう。そうだな。そうだよ。明るく行こうぜ」


 青い顔のマスターは、テレビのスイッチを入れるのであった。





 「ヤバイな! やっちまった。場所もわきまえず、夢中になって話しちまった」


 黒井は薄暗い街灯しかない通りを歩いていた。

 この場所からなら、谷町線千林駅より京阪千林駅の方が近いので、そちらの駅から電車に乗ることに決めたのである。


 居酒屋へ誘って来た石川のことは前から知っていた。ノイローゼになり三年前に自殺した同僚である。生きている時は話したことは無かったが、自殺してからは霊となって会社へ毎日現れていた。


 黒井はすぐに気が付いたが、知らぬふりをして過ごしていたのである。


 石川は厄介なタイプの幽霊であった。自分が死んだことが分からずにうろついている霊である。知らないふりをしていたのであるが、どこかで黒井が『見える』と聞いたようだ。

 執拗に黒井を追いかけ始めて、今日は捕まってしまったのであった。


 「今日はちゃんと話して、縁を切るつもりだったんだがなあ」


 顔を上げた黒井は、前方の薄暗い街灯の下に立っている少年を見つけた。


 すぐに下を向いた。


 (チッ! 本当に、どこにでもいるんだなあ、困るぜ)


 黒井が見えると知ると、付いて来る霊がいるので閉口していた。


 知らんふりた彼は、子供の霊を無視して、京阪千林駅に向かって小走りに駆けて行くのであった。

 彼にとってはいつもの出来事である。





 第十三話 見える人 おわり。

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