第十二話 笛の音④
武志は敏行の話が終わるまで、静かに口を挟まずに聞いていた。
「‥‥話は分かりました‥‥大変な体験をされましたね」
頭の凝り固まった人間が聞いたなら、笑ってしまうような荒唐無稽な話なのであるが、武志は優しく労いの言葉を掛け、それだけで相談に来て良かったと敏行は安堵した。
相手は自分の話を、信用してくれていると、はっきりと感じられたのだ。
今度は武志が質問を口にする。
「その夜店を照らしていた、オレンジ色の提灯ですが、本当に提灯だったのでしょうか?」
「え?」
敏行は提灯であると、疑いもしなかったのであるが、そう言われて見れば、提灯であると、はっきりと確認した訳ではない。
「提灯で無い明りだったとすれば、あやかしの火は何種類かありまして、それによって、相手の正体が何か、推測できる場合があります」
「あやかしの明かりは、そんなに何種類もあるのですか?」
「はい。あります‥‥野火、狐火、鬼火、人魂‥‥人や獣から発生したもの、恨みから発生したもの、土地から発生したものまで多種あります」
説明された敏行は首を捻る。彼は頭から提灯であると疑いもしなかった為、しっかりと確認していなかった。
「すみません。分かりません。そこまで詳しく観察する余裕も無くて‥‥俺には提灯としか見えませんでした」
「そうですか‥‥」
少し考えた武志は。
「亡くなった、おじいさんに会ったと、おっしゃられましたね。では提灯は、霊をあの世へ送る『送り火』だったのかも知れませんね‥‥何かの拍子に、あの世とこの世が繋がってしまう、特殊な場合があるのです」
「あの世と繋がる?」
敏行は思い出す。祖父は、まだ来るのは早いと怖い顔で睨んでいた。
「うっ‥‥」
敏行は頭を押さえた。
「どうかしましたか?」
心配する武志に。
「すみません。実は朝から体調が悪くて‥‥風邪を引いたみたいで、それでマスクをしているのですが」
敏行は額に浮かんだ汗を拭いた。
「そうですか‥‥では今日は手短に切り上げて、詳しい打ち合わせは後日にしましょう」
「折角、時間を取って頂いたのに、申し訳ないです」
頭を下げる敏行である。武志は話を続ける。
「別の世界と繋がるには、普通は何か、あちらとこちらを繋げる、触媒があるはずです‥‥何か心当たりはありませんか? 僕は話の中に出て来た、狐の面が気になるのですが」
「狐の面!」
敏行にとって狐の面は、自分に幸運を運んで来てくれる、アイテムであると信じていた。
「まさか?」
「いえ、可能性は高いです‥‥今日は持って来ておられますか? 持って来ているなら見せて頂けませんでしょうか?」
「うっ。あ、いや。今日は‥‥持って来ていません」
狐の面はいつも持ち歩いているが、敏行は咄嗟に嘘をついてしまった。取り上げられてしまうのではないかと思い、出すのを躊躇してしまったのである。
「じ、次回には、狐の面を持って来ますので‥‥それで、持って来たなら、面をどうされるつもりですか?」
警戒した敏行は上目遣いで尋ねた。
「調べて見なければ分かりませんが、面が触媒であるとすれば、お祓いを受けるか、場合によっては、破棄しなければならないかも知れません」
「は、破棄ですか‥‥そ、それは困ります。と、とにかく今日は、持って来ていませんので」
「‥‥そうですか。では仕方がありませんね。次回、必ず見せて下さい」
「うっ‥‥わ、分かりました」
伏し目がちに返事をする敏行であった。
その後、更に敏行は具合が悪くなって、次回の打ち合わせの日を決めると、急いで帰って行ったのであった。
彼の姿の消えた、扉を見詰めていた真美は武志を振り返ると。
「所長。今の三島さん‥‥嘘をついてましたね。きっと鞄の中に、狐の面を持って来ていたはずです」
断定した口調である。
事務所は一室なので、武志と敏行の話は筒抜けであるし、真美の感は鋭い。
「そうだね」
武志は同意する。彼も嘘と見抜いていた。
「でも、本人が出すのが嫌ならどうしようもない‥‥たとえ、それが彼に災いを呼んでいたとしてもね」
「なぜなんでしょうかね‥‥あ~あ、見たかったなあ。『呪いのお面』」
真美は武志を正面から見詰め、片方の口角を上げて親指を立てた。
「真美ちゃん! 物騒なことを口にしないように!」
武志にたしなめられて、肩をすくめて舌を出した真美であったが、その時突然、事務所前の廊下が騒がしくなり始めた。
他の貸し事務所の人間が、何か叫びながら廊下を走っている。
「うん? 何かあったのかな?」
武志は窓のブラインドを上げて外を見た。眼下の駅前の広場を、慌てて多くの人が走っている様子が見えた。
‥‥そして遠くから、近づいて来るサイレンの音が聞こえ始めた。
白稜堂の事務所を出た敏行は、エレベーター室へ向かって歩いて行く。貸事務所が四軒並んだ向こうに、エレベーターが見える。
益々、熱が出て来たようで身体が重い。敏行は額の汗を拭いた。
武志に「少し休んで行っては?」と提案されたが、断って事務所を辞して来た彼である。
エレベーターの下行きボタンを押して到着を待つ間も、足元がフラフラとして、雲の上を歩いている様な感覚であった。
(そういえば)
ふと、武志に告げ忘れた件を思い出した。
初めて、あの提灯の並ぶ通路に入った時、六歳だった彼は熱を出していた。二度目と三度目は酷く酔っていた。
いずれも意識が朦朧としていた時であった。
‥‥そうだ‥‥今も、あの時と同じ状態ではないか‥‥。
(‥‥ピーヒャラ‥‥)
どこか遠くで、小さく笛の音が聞こえた。
(ピーヒャラ、ピーヒャララ‥‥)
笛の音が、次第に大きくなって来る。
エレベーターを待っていたはずの敏行は、エレベーターを背にして立った。
そして、フラフラと前に向かって歩き始めた。
(ピーヒャラ、ピーヒャララ‥‥)
笛の音が近づいて来る。
上がって来たエレベーターの扉が、彼の後方で開いたが、敏行は無視して背を向けたまま歩いて行く。
歩きながら、鞄から取り出した狐の面を顔に当てた‥‥札は全て使ってしまっていて、もう持っていない。
「ピーヒャラ、ピーヒャララ‥‥」
笛の音が、より鮮明に聞こえて来る。
敏行は白稜堂と書かれた、事務所の扉の前を通り過ぎ、通路の奥へと入って行く。そちらには賃貸住宅の扉が、並んでいるはずなのであるが‥‥。
代わりに通路の天井の左右には、提灯が並んでいた。左右は壁が無くなっていて、オレンジの灯の下には夜店が並んでいた。
様々な面を付けた人が行き交っている。
「ピーヒャラ、ピーヒャララ‥‥」
敏行の歩いて行く先に、天狗の面をつけた人影が現れた。天狗の面を外して、下から祖父が顔を出した。
前に会った時には、三度とも怒った顔の祖父であったが、今日の祖父は、田舎の家の鴨居にかかっていた写真と同じ、優しい笑顔を浮かべていた。
「敏行。来てしまったんだな」
敏行はゆっくりとうなづいた。
「来てしまったのものは仕方が無い」
「ピーヒャラ、ピーヒャララ‥‥」
祖父は彼の隣りに立つと、そっと肩に手を置いた。
「ここからは、ワシが案内してやろう」
優しく告げると、二人でゆっくりと前に歩き出した。
「ピーヒャラ、ピーヒャララ‥‥」
笛の音が大きく聞こえる。
その日、敏行は雑居ビルの外階段から、地上に転落して死亡したのだった。
倒れたすぐそばには、割れた木彫りの狐の面が落ちていた。
第十二話。終わりです。
明日から、Wi-Fiの無い病院に入院です。
約二週間の入院予定です。それではまた。




