第十二話 笛の音①
よくあるパターンですが、ふとした偶然で、別の世界へ足を踏み入れる話です。
自分なりにアレンジして見ました。
京都市中央区の、三条大橋の交差点にある地下へ続く階段を、三島敏行は降りて行った。地下には京阪電鉄三条駅がある。
敏行は転勤で一ケ月前にこちらへ引っ越して来た。彼の住むアパートは、ここから徒歩で十五分の場所にある。年齢は三十八歳で、妻と小学校三年生の息子の三人暮らしであった。
平日の昼過ぎとあって、地下鉄の構内は人が多かった。風邪が流行っていて、マスクを付けている人が多い。敏行も少し熱があってマスクを付けている。
これから、この駅で急行に乗り、大阪の京橋駅まで向かうのである。所要時間は約四十五分である。
ホームに降りてしばらく待つと、淀屋橋行きの急行電車が入って来た。始発駅が近いので、乗っている人は少なくて、彼は窓際の席を確保できた。
背に負っていたリュック式の鞄を外し、席に座って膝の上に置いた。
今日は仕事は休暇をとっていて、プライベートで京橋へ向かうのである。
これから、ある人物に会いに行くのであるが、敏行は目をつむると、今までの記憶を整理し始めた。
あれとの最初の出会いは、子供の頃……六歳の時の、恐怖の体験であった。
敏行の父親の生まれは、兵庫県の山奥の小さな村である。
敏行は六歳。父親の運転する車に乗って、父親の親元の村へ向かっていた。同乗しているのは母親と二つ上の兄である。
兄は小学生であり、学校の夏休みを利用して家族でやって来たのだ。
エアコンの効いている車内から、敏行は窓の外を眺めた。外はカンカン照りでとても暑そうである。
田舎には祖母が一人で住んでいる。祖父は二年前に六十三歳の若さで亡くなっていた。
祖母の家に着くと、別に大阪ナンバーの乗用車が止まっていた。父親の兄の叔父さんの一家も、休みを利用してやって来ていたのである。
田舎の家は『田の字型』の広い平屋の家で、二家族が十分泊れる広さである。
敏行らが到着すると、年上の従兄が二人待っていて、さっそく遊び始めたのであるが。
「先ずは、婆さんに挨拶して、次は爺さんに線香をあげて来い」
父親に一喝されて、兄と共に祖母に挨拶し、続いて奥の仏壇のある部屋に向かった。
部屋の広さは八帖で、線香の匂いが漂っていた。
仏壇の横の鴨居には、二年前に亡くなった祖父の写真がかけてある。白髪で温厚そうな顔をした祖父は、写真の中で笑みを浮かべていた。
まだ小さかった敏行も、その顔はおぼろげに覚えている。盆や正月に田舎を訪れると、孫にはいつも優しい祖父であった。
線香をあげると、従兄たちと家の周りで遊び始めた。家の周りは畑が多くあって、隣りの家との間隔も広く空いているので、子供が大声を出して遊んでも近所迷惑にはならない。
「今夜は村の祭りだってさ。夜店が出て、盆踊りもするんだって」
従兄の一人がそう話して、何を買ってもらおうかと、楽しみな敏行であった。
夜店を楽しみにしていた敏行であったが、夕方になって体調が悪くなった。
「風邪では無いな……暑い外で遊んでいて、脱水症状かな。水分を摂って寝てろ」
父親に言われて、奥の仏壇のある部屋に布団を敷いて寝かされた。
「もう大丈夫」
夜店を楽しみにしていた敏行は、元気になったと父親にアピールしたが首を振られた。
「駄目だ。寝ておけ」
ガッカリとする敏行に、兄と従弟二人が。
「何か買って来てやるから、寝とけよ敏行」
そう告げて部屋から出て行ってしまったのであった。
(ちぇ! 最悪だ。ついてない)
見上げると鴨居にかけられた祖父の写真が笑っていた。
仕方なく、目を閉じた敏行である。
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眠っていた敏行は目を覚ました。
天井には照明がぶら下がっている。横を向くと、眠る前に見た祖父の写真が、同じように笑っていた。
起き上がった敏行は、身体が楽になっていると感じた。少し眠って体調が戻ったようである。
部屋から出て居間に行ってみたが誰もいない。全員が祭りに行ってしまったのであろうか。祖母の姿も見えなかった。
大きな田舎の家はしんとしている。
何と言っても、まだ六歳の敏行は不安になって来た。
(僕も祭りに行こう)
靴を履いて外に出た。
外気にはまだ昼間の暑さが残っている。
(神社は‥‥こっちだっけ)
田舎の夜道は暗い。外灯の間隔も広くて暗い場所が多かった。人の姿も無く、祭りの音も聞こえない。
六歳と言えば、まだ就学前である。不安を抱えながら敏行は夜道を歩いた。
(‥‥ん?)
前方に見える山の麓に、明かりが見えた。
(あそこだ!)
怖くて泣き出しそうになっていた敏行は、明かりの方へ向かって走り始めた。
遠くで大勢の人の話し声が聞こえ始めた。笛の音も聞こえる。
「ピーヒャラ、ピーヒャララ‥‥」
走って行く敏行は、前方の道の上に、何か白い物が落ちているのを発見した。
駆け寄って手に取ると、それは白い『狐の面』だったのである。
狐の面は、よく夜店で売られているプラスチック製の物では無くて、木から彫り出された本格的な面であった。
(わ。凄いや)
敏行は好奇心から狐の面を顔に当て、横に付いている紐を回して、後頭部でくくって止めた。
面を付けてみると、不思議なことに、祭りの笛の音が、もっと近くで聴こえた。
「ピーヒャラ、ピーヒャララ‥‥」
暗闇の中に、ぼうっと灯った明かりに近づいて行くと、通りの両側に提灯がずっと奥まで並び、明かりに照らされた夜店が両脇に並んでいた。
笛の音が流れ、多くの浴衣を着た大人が、ざわざわと話しながら道を行き交っている。
(わあ! 綺麗だ!)
別世界のような景色の中を、人々にまじって敏行は歩き始めた。
行き交う大人たちは、誰もが面を付けていた。敏行と同じ狐の面や、狸の面、ひょっとこの面、天狗の面、中には夜叉の面をつけた人もいた。
父親や兄、従兄の姿を探すことも忘れ、様々な面を付けた人が行き交う通路を、夢の中を歩いている様な、雲を踏む心地で歩いて行く敏行である。
しばらく我を忘れて歩いていた敏行の前に、道を塞ぐように立っている大人が現れた。大人は天狗の面を付けていた。
見下ろすように立ち塞がった天狗の面の大人は、明らかに敏行を睨んでいて、六歳の彼は怖くなって立ちすくんだ。
天狗は膝を折って敏行と同じ目の高さになると、囁くような小さな声で話し掛けて来た。
(ここはな。お前の来て良い場所じゃない)
周囲の者たちに、声を聞かれないように、小声で話しているようであった。
天狗は面を少しずらすと、面の下の顔を敏行に見せた。
「!!」
面の下に見えた顔は、仏壇の横の鴨居にかかった、写真の中で笑っている、二年前に亡くなった祖父であった。
だが目の前の祖父は、顔は笑っていなくて、怒った顔をになっていた。
「じ、じいちゃん?」
「しっ!」
驚いて名を呼んだ敏行に、祖父は人差し指を口に当て、左右に首を振って、声を出さないように告げた。
再び面を元に戻すと、祖父は懐から三枚の、札のような紙切れを取り出して、敏行の手に握らせた。
「いざという時は、この、お札を使うんじゃ」
祖父は意味が分からない言葉を口にすると、敏行がやって来た後方を指差した。
「真っ直ぐ帰りなさい。そうすれば、父さんやお母さんに会えるから」
そう声を掛けられると、なぜか無性に両親が恋しくなって来た。
「さあ、早く行け。二度と来ちゃいけないぞ。後ろを振り向かずに行け」
向きを変えた敏行が、歩き始めた時だった。
「おい! 人の気配がしないか?」
狸の面が不意に周囲を見渡した。
「匂いもするぞ! 間違いない! 人が居るぞ」
ひょっとこの面が言い出した。
「どこだ! どこだ!」
周囲が騒がしくなり出した。
「走れ!」
祖父の声が敏行の耳元で聞こえた。
ぞっとした彼は、狐の面の下の顔を引きつらせながら走り出した。
「いたぞ!」
「そっちへ行ったぞ! 子供だ!」
「どこだ!」
「あっちだ!」
面を付けた集団の中を、敏行は無我夢中で走り抜けて行く。
集団を抜けて前方に暗闇が見えて来たが、後ろから迫る気配は、敏行の背に手が届きそうな位置まで迫っていた。
(敏行! お札を一枚、投げ捨てるんじゃ)
祖父の声が耳元で聞こえ、敏行は何も考えずに札を一枚、後方へ投げ捨てたのであった。
「あ! そっちへ行ったぞ!」
「逃がすな!」
寸前まで迫っていた多くの気配が、どこか遠くに消えて去って行ったのであった。
寝床から敏行の姿が消えていて、祖母の家では大騒ぎになっていた。
そして警察へ通報する寸前に、突然、敏行は帰って来たのである。
「敏行!」
「どこへ行ってた?」
安堵で叫ぶ大人たちの前で、敏行は崩れるように倒れたのであった。
「酷い熱だ!」
「救急車を呼べ!」
慌てて抱き起こされた敏行は、その手の中に、しっかりと狐の面と、残った二枚の札を握り締めていたのである。




