第八話 二鳴り祭(後談)
松田の勤務する建設会社の、事務所ビルの前には国道一号線が走っている。
工事部がある五階の窓から国道を見降ろすと、いつにも増して交通量が多いように思えた。
そう言えば今日は五十日だなと思った。
五十日と言うのは、五とか十の付く日は締め切りや支払日になっている企業が多いので、電子取引が増えた現在でも、納品や支払い、集金などで必然的に車の通行量も多くなるのである。
松田は事務所内に目を移した。
松田の机の前にある四つの席の内、二つの席が空席になっていた。
・・・その内の一つには来週から新人が座ることになっている。
広島県の奥蛇谷で起きた凄惨な事件から、すでに一年以上が過ぎていた。
守山は事件後も出社していたが、元気が無く、それから半年ほどで会社を辞めた。
今は広島市内の、戸建住宅の専門の会社で現場監督をしている。
つい先日、その守山に電話を掛けた。あの≪二鳴り祭≫が今年はどうなったのだろうかと、気になっていたからである。
守山の話によると、祭りの日は奥蛇谷に泊まったそうである。法螺貝は無くなったので、社の飾り付けと貢物を用意し、後はサンカイ鎮めのお経を唱えながら、まんじりともせず一夜を明かしたそうである。
翌朝、社に行ってみると、貢物はそのままだった。
サンカイさんは現れなかったのだ。
来年は、もう奥蛇谷に帰らないと守山は言った。
そして良くしてもらったにも関わらず、相談せずに会社を辞めたことを謝った。
松田は気にするなと告げて電話を切った。
あのサンカイさんは何物であったのであろうか。
事件直後に警察から事情聴取を受けたときは、混乱していて思い出せなかったことが、今では多く思い出せている。
あれは決して熊では無かった。
人に話せば笑われるであろうが・・・。
あれは山怪・・・≪山男≫だったのではないかと松田は確信している。
松田は山男の伝承を調べてみた。
山男は妖怪として昔話に登場する。・・・山男は大男で、山奥で遭遇した猟師や農民が里に帰って伝えたもので、ほとんどの山男は悪意ある風に伝わっているが、中には困っている人を助けた話もあるらしい。
山男は巨大で毛むくじゃらであるそうだが、熊とは明らかに違って人に似た体型をしている。
ひょっとすると、古代の類人猿の生き残りかも知れないと松田は想像した。
世界中に、この手の山男の話はある。
一番有名なものはヒマラヤの雪男である・・・現地ではイエティーと呼ばれている未確認生物である。
これまで何度も世界中で探検隊が組織され調査が行われていて、その度に、いるいないの論議がされているが、いまだに実態は謎に包まれたままである。
他にも、アメリカのロッキー山脈に生息すると言われている、ビッグフットも有名である。近年、一番有名だったビッグフットの動画が、実は偽物だったと話題になったが、先住民族のインディアンには、ビッグフットと同じ姿の、サスクァッチと呼ばれる生物の伝承があり、頭から否定することはできない。
また、オーストラリアには、ヨーウィーと呼ばれる山男の目撃談が後を絶たず。中国には野人と呼ばれる未確認生物がいると言われている。
特徴はどれも似ていて、一説ではギガントピテクスと呼ばれるヒト科の絶滅種の、大型類人猿の生き残りではないかとの説もある。
世界中に、この手の伝承や目撃談があることは、それに良く似た≪何らかの生物≫が、今も生きている可能性が高いのではなかろうか。
ギガントピテクスは史上最大のヒト科上科動物で、成長したオスは身長三メートル。体重は五百キロあるそうである。
あの日、松田が朦朧とした意識の中で見た生物、その物のような気がした。
サンカイさんは、未確認生物の生き残りだったのかも知れない。
仲間の声(法螺貝の音)を聞く為に、年に一度、奥蛇谷へやって来ていたのではないだろうか。
松田はもう一度視線を窓の外に戻した。
視界に入る限り人工の建物が建ち並んでいる。しかし、日本はもとより、世界にある森林・草原地帯の方が、人の住む世界より遥かに広い面積を有している。
どこかにそういう生物がいるのであろう。
そして、その生物は、今も深い森の中を歩いているに違いない。




