第一話 うしろの僕③
一年前、高校生になった僕は、僕のうしろをつけて来る奴の正体を見てやろうとと思うようになりました。
慣れたのもありましたが、開き直ったのかも知れません。
僕はわざと夜道を一人で歩いて、できるだけ九十度で大きな塀がある曲がり角を曲がり、曲がった後、立ち止まって足音の主が現れるのを待ったり。
歩いていて後ろに足音を聞いた瞬間に振りかえったり。何とかしてうしろの奴を見てやろうと繰り返しました。
その時は、うしろの奴を見てやろうと意地になっていたのですが、後で考えれば見たあとの事までは、何も考えていませんでした。馬鹿だったと思います。
そうしている内の、ある日。
その日の夜は、今にも雨が降り出しそうな空でした。
外灯の光がぽつんと灯っている寂しい曲がり角で、僕はいつものように待ち伏せをしました。
何者かの足音が曲がり角の向こうで止まりました。
恐らく、僕の見ているその角から二メートルも離れていない場所に、そいつがいるはずなのです。
そして僕がどれだけ素早く顔を出しても、そいつは消えていなくなっているのです。
僕は、ふと無意識に対角方向に視線を向けました。
そこにはカーブミラーがありました。
そして、ミラーには≪そいつ≫が映っていたのです。僕を子供の頃から、ずっとつけていた奴が。
そいつは街灯の明かりから少し離れた場所に立っていました。
暗くて顔立ちははっきり分かりません。
ひょっとすると、そいつ自身が黒い身体をしているように見えました。
カーブミラーを凝視している僕に、そいつも気が付いたようです。
そいつもカーブミラーに視線を移すと。
(とうとう、見つかっちゃったか・・・)
そんな風な感じで、なぜか照れ笑いしているような気がしました。
僕は曲がり角を飛び出して、そいつのいる場所を見ました。
しかし、そこにはいつもと同じく、誰もいませんでした。
その日を境にして、そいつの態度が変わりました。
それまではめったに昼間は現れなかったのですが、一日中、僕が一人の時は、いつでも現れるようになりました。
それどころか、食事をしていてよそ見をすると、いつの間にか皿の上に合った食べ物が無くなっていたりするのです。
そいつは僕のうしろにいて、黒い手が一瞬にして皿の上の物を取って行くのを見たこともあります。
僕は決心しました。
そいつの顔を見てやろうと思ったのです。慣れもあったのでしょうが、その時の僕は、そいつに対する恐怖心は無くなっていました。
子供の頃から、そいつとは付き合っているので、そいつが今はいないとはっきり分かる時があります。
その隙を使って、僕は自分の部屋の机の前に鏡を置いて布をかぶせ、布にヒモを縛って、足でヒモを引っ張ると一瞬で鏡が現れるように細工をしました。
準備を整えた僕は、意を決してその前で食事を始めました。
食事を始めると、いつものようによそ見をすると皿の上の物が無くなります。視界の隅を黒い手が出たり入ったりします。
「今!」
僕は覚悟を決めて、視界の隅に黒い手が現れた瞬間にヒモを引っ張りました。
僕はとうとう見ました。長い間、僕のうしろにいた奴を。
そいつは笑って鏡越しに僕を見ていました。
そいつの肌は真っ黒でした。
そして、顔は僕だったのです。
その日から≪黒い僕≫は、前にも増して遠慮せずに現れるようになりました。
人が周りにいる時は現れませんが、一人で食事をしている時などは、僕の横に座っています。
そいつを見てやろうと思っていた僕の考えは、間違っていました。
先生。助けて下さい。
≪黒い僕≫が現れるようになってから、僕は時々、ぼんやりとなってしまうことがあります。
身体が薄くなっているように見えたり、後ろにいたはずの≪黒い僕≫の背中が目の前に見えたりするようになりました。
記憶が途切れることもあります。
僕は≪黒い僕≫に、とって代わられようとしているのではないでしょうか。
きっとそうです。
このままでは≪黒い僕≫は僕になり、僕は≪黒い僕≫のうしろになってしまうのです。
助けて下さい。
僕は週刊誌で先生のことを知ってから、何度も事務所の方へ伺おうと考えました。電話も何度も掛けようとしたのですが、実際に行動しようとすると、いつも頭がぼっとしてしまいます。
それで≪黒い僕≫がいないと分かる時だけ、少しづつ手紙を書くことにしました。
≪黒い僕≫に知られないように、少しづつ少しづつ。
この手紙を受け取って頂いたなら、すぐに会いに来て下さい。
僕の住しょ は、じゅうしょ は。
手紙はそこで唐突に終わっていた。
名前も住所も、どこにも記載されていない。
武志は午後の日差しがカーテンの隙間から射しているいる、しんと静かな事務所を見渡した。
玄関戸の向こうで、誰かの笑い声がしたような気がした。
消印の無い手紙を事務所のポストへ投函したのは、はたして≪黒い僕≫なのか。
手紙を書いた高校生は≪黒い僕≫のうしろになってしまったのか。
武志はもう一度、手に持った手紙に視線を移した。
住所の書かれていない手紙には、何の手がかりも残されていなかった。