第五話 天国への道④
京都拘置所は近鉄京都線の上鳥羽口駅を下車し、東へ向かった場所にある。周りは工場や倉庫が多い地域である。
吉岡玉彦が拘置所前に付いた頃には、辺りは薄暗くなっていた。
拘置所の前には想像していたほどの報道陣の姿は見られなくて、すでに帰り支度をしている社もあった。
少なくなった報道陣の中に、同僚の佐々木の顔を見つけた。玉彦の方が先輩である。
「佐々木!すまん。遅くなった」
玉彦が手を上げて駆け寄ると。
「ああ吉岡さん。お疲れ様です。大丈夫です」
佐々木は二十七歳。四角い眼鏡を掛けた小柄な男で、真面目で冗談を言わないタイプである。
佐々木も帰り支度をしていた。
「折角来てもらったんですが。先ほど明日の朝から記者会見をする発表があって、今日は撤収になりました」
「え。そうなのか」
「はい。社の方にも確認しました。自分は拘置所の様子の画を持って一旦帰社します。吉岡さんは今日は終わりで良いそうです」
「そうなのか・・・悪かったな」
少し拍子抜けであった。
仕方なく佐々木の帰り支度を手伝って車が置いてある駐車場まで送り、自分は電車で帰る為に、上鳥羽口駅へ向かった。
右手に京都拘置所を見ながら歩いて行く。正面には京都近鉄線と高速道路の高架が頭上に見えている。
玉彦は死刑が確定した野村真治の事件を思った。随分、ショッキングな事件であった。二人を殺害して人肉を食べたと言うのは、滅多に聞かない異常な事件である。しかも、裁判では野村は全く反省の色を見せなかった。
「地獄行き確定だな」
今日の取材のこともあって、玉彦は呟いた。
拘置所の前を通り、真上に近鉄京都線が通る交差点に来ると、信号待ちをしている人の中に見知った顔があった。
グレーのスーツを着た、一見サラリーマン風の男性である。年齢は三十歳前後。玉彦が後ろにいるのに気が付いていない。
(うん!)
玉彦は男性を良く知っている。彼の職業と拘置所を結んだ時、何やらピンと来る物があった。
駆け寄って男の肩を叩いた。
「雄介!」
男は驚いた顔で振り向いた。
「よ・・・吉岡さん」
次いで、一瞬だが嫌な顔をしたのを見逃さなかった。
「雄介。ここで何をしてたんだよ」
その時、信号が変わって信号待ちの列が動き始めた。
玉彦は男の肩に手を回して一緒に歩き始めた。
「帰るんだろ。一緒に帰ろうぜ」
「はあ・・・」
男は今度は露骨に嫌な顔をした。
男の名前は亀井雄介。職業は京都府警刑事部捜査一課の刑事である。玉彦のデータでは、今は伏見署勤務で署の近くにアパートを借りているはずである。
出身は玉彦と同じ大阪府堺市上野芝で、歳は玉彦より二つ下で子供の頃から大学まで同じで、玉彦は雄介の秘密を何でも知っていた。
雄介にとっては地元の先輩で、絶対に頭の上がらない煙たい存在であった。
「伏見に住んでるんだろ。今日は飲もうぜ、まだ独身だったよな。泊めてくれるよな」
「自分は明日は早いんですが」
「大丈夫だ。俺も早く起きて出社しなきゃいけないから」
「・・・・」
決まりであった。
玉彦と雄介は、近鉄京都線の桃山御陵前駅の近くの居酒屋で飲み始めた。雄介のアパートはこの近くらしい。伏見署も徒歩の通勤圏内である。
二人はカウンターでは無く、壁際の向かいで座れる席で飲んでいた。
テーブルには肴が数点と、生ビールのジョッキが載っている。
「久しぶりだな」
玉彦が言うと。
「地元の夏祭りで会ってますから、二ヶ月ぶりくらいじゃないですか」
雄介はぶっきらぼうに答えた。
「そう嫌な顔をするなって」
「嫌な顔はしてません」
・・・玉彦のペースである。
玉彦は顔から笑いを消すと。
「拘置所の前で会ったけれど、何であそこにいたんだよ」
一気に核心に迫った。
「・・・」
「分かってると思うけれど、お前は俺に嘘は付けないよな」
いつもの≪僕≫が≪俺≫に変わっている。
死刑が決まった野村真治は伏見署で取り調べを受けていた。その野村真治の死刑が確定した日に、捜査一課の亀井雄介の姿を拘置所の近くで見た時、≪何かある!≫と玉彦は確信したのである。
亀井雄介のいる捜査一課は、殺人事件や傷害事件などの捜査を行う部署である。
「吉岡さん。吉岡さんの担当は地域密着の生活に関する記事でしょ。殺人事件の野村真治とは関係ないでしょ」
「俺はまだ、野村真治の名前は出しちゃいないよ」
玉彦は、にやりと笑った。
向こうの方から尻尾を出してくれたのである。
雄介は天を仰いだ。
「担当じゃないけれど、知りたいこともある」
「何も言いません。話しません」
雄介は絶対に話さないぞ。と、真剣な顔で言った。
「そうか・・・俺はどれだけお前を助けて来たか」
「確かにお世話になったのは認めます。それでも何も言えません。自分もクビになります」
「書けないことは書かないって約束する」
玉彦は目の前で手を合わせた。
「・・・・・」
雄介は無言になった。
居酒屋はこれから人が多くなる時間帯であった。
玉彦たちのいるテーブルの横を、客が出たり入ったりしている。店員も忙しそうに行き来している。
玉彦は、じっと雄介を見ると。
「俺は今からここで土下座をする」
「え」
「どうか話をして下さい。と、土下座をするよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
玉彦は更に雄介をじっと見た。
「話してくれるか・・・」
雄介は頭を抱えた。
「絶対に記事にできませんよ。そういう話です。記事に出来るはずが無い話なんです・・・してもらっても困ります。しないって約束して下さい」
雄介は降参した。
「勿論、書けないことは書かないし誰にも言わない。俺が信用できる男だってことは、お前も良く知ってるだろ」
玉彦は、してやったりと笑いを浮かべて行った。
「吉岡さんを信用して話します。・・・これは自分の胸の中に仕舞っておこうと思っていた話です。署でも上司ひとりにしか話していない話です」
そう言った後、雄介は一気に話し始めた。ずっと話したくとも話せなかった出来事であり、話し始めると止まらなくなっていた。




