第五話 天国への道①
吉岡玉彦は、周りを緑で囲まれた小道を歩いていた。
週末になれば観光客が多く往来するこの小道も、平日の午前中とあって人影もまばらである。
玉彦は逢坂新聞社の記者である。
本社は大阪府の東大阪にあり、東大阪一帯とその周辺市を主な販売地域としている。
玉彦の担当は、日常の生活に密着した記事である。
年齢は三十三歳。独身。頭は丸刈りで真ん丸の目は愛嬌があり、話し方も優しいので子供に好かれるタイプであった。
今日も仕事中なのだが、いつものようにジーパンに長袖のポロシャツを着たラフな格好であった。
荷物は肩に掛けた黒いバッグで、中にはノートパソコンや小型カメラ、レコーダーなど、仕事用の道具が入っている。
今日は取材の為に、京都の嵯峨野に来ていた。
季節は秋である。
玉彦の歩いている小道の、右手に見える池の端には淡紫色の釣船草が寂しげに咲いている。
左手には崩れかけた石垣があり、垣の目地には白い石蓮花が連なって咲いていた。
玉彦の進む小道の先には、嵯峨野の代名詞とも言える竹藪が見えている。
その向こうに見えるのは小倉山だ。
小倉山 峰のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの 御幸またなむ
・・・百人一首の歌に詠まれたように、山は一面紅葉に染まっていて、見る者に感動を与えてくれる。
やがて玉彦は竹に囲まれた小道に入った。
中天近く昇った太陽の漏れ日が、竹の葉の間から落ち葉を敷き詰めた地面をちらちらと射している。
格好の散策コースと言えるのだが、怖がりの玉彦にはそうは思えない。
嵯峨野というと、どうしても化野の念仏寺を思い浮かべてしまう。無縁仏がいくつも立ち並ぶ風景は、鬼哭もかくやと思わせ、何やら背筋に冷たい物を感じさせる。
そのイメージが強いせいか、竹藪の中から何かが飛び出して来そうな気がして、知らぬ間に早足になっている玉彦であった。
今回の取材は一通の手紙から始まった。
新聞社で玉彦が担当しているコラムに、小学校四年生の女の子から手紙が送られて来た。
手紙の内容は一つの問いであった。
女の子が両親と旅行でどこかの大きなお寺に行った時に、壁に天国の絵と地獄の絵が描かれた額が掛けてあったそうである。
地獄の絵には針地獄や血の池地獄。舌を抜かれている亡者の絵が描かれていて、少女は怖くて夢にまで出て来たと書いていた。
それで両親に天国に行きたいので、どうしたら行けるのか聞いて見ると。
≪良い子にしていれば行ける≫と教えてくれたそうだ。
その≪良い子≫と言うのが、どのくらいの良い子だったら良いのか分からないと言うのである。
そして、地獄には絶対に行きたくないので、≪絶対に天国へ行ける方法を教えて下さい≫と書かれていた。
大人なら笑ってしまう話なのだが、コラムのネタには面白くなりそうな話である。話題を広げて行けば、大人も子供も楽しめる記事が書けそうな気がした。
玉彦は早速、面白い話が書けそうだと編集長に掛け合って、時間と取材費を捻出してもらうことに成功した。
彼は怖がりな癖に、こういうオカルト掛かった話が大好きであった。
すぐに友人の≪白稜堂≫の新堂武志に協力を頼もうと電話を入れたが、出張中と言うことで肩透かしを食らってしまった。
電話に出たアルバイトの葛城真美から、先生は携帯の届かない場所にいるから、連絡が付いたら伝えておくと言われ、真美の知っている範囲で、数人のお坊さんや霊能力者を紹介してもらった。
白稜堂のアルバイトの葛城真美は、勝手に休むことが多いので、玉彦が≪不定期アルバイト≫という、あだ名をつけた大学生であるが、白稜堂の事務員の立場を生かして、霊能力者・超能力者と世に言われている人物と知己になり、自分の趣味を満足させている変わった女子大生であった。
ちなみに、趣味に合わぬ飛び切りの美人である。
しかたなく真美に紹介してもらった人物に電話を掛け、OKの出た人を取材して回っていた。
幾人か取材したところで、昨日、武志から電話が掛かって来て、良い人がいると紹介されて本日の嵯峨野での取材となったのである。
編集長から取材の許可が出てから数日経つが、そろそろ記事にしないと怒られそうである。
玉彦は、これで最後の取材にしようと決めていた。
竹藪を抜けると、石垣の向こうに和風造りの平屋の屋敷が見えて来た。
玉彦はポケットから四つ折りの地図を取り出し、武志に紹介してもらった霊能力者の山田雨月氏の屋敷であることを確認した。
屋敷自体も大きいが、屋敷の建っている敷地もそうとうな広さである。敷地を囲っている土塀に沿ってしばらく進むと、立派な木製の和風門が見えて来た。
門の屋根は銅板と一文字瓦で葺かれた本格的なもので、門の横から伸びた太い松の木がかぶさっている。
両開きの格子戸の隙間からは、良く手入れされた庭が見えていた。
玉彦は門の前に立って呼び鈴を探してみたが見つからない。しばらく探して諦めると、格子戸に手を掛けて見た。
格子戸は抵抗なく開いた。
「すみませ~ん」
一応断って中に入った。
玄関へと続く通路には、飛び飛びに踏み石が並んでいる。
「失礼します~失礼します~」
言いながらどんどん奥に入って行った。
玄関の格子戸まで来ると、戸の横に呼び鈴が付いていた。
「なんだ。ここで呼び鈴を鳴らすのか」
玉彦が言って呼び鈴を押そうと思った時に、玄関戸が内から開いた。
家の中から現れたのは、中年の少し太った女性であった。年齢は五十歳前後であろうか、赤い眼鏡を掛けて、髪は短め、薄青色のブラウスにデニム地のパンツと言った姿であった。
「あら」
「ああ。すいません。呼び鈴を探してここまで入って来ました」
玉彦は頭を下げ。
「連絡が行ってると思いますが、新堂武志さんの紹介で来ました。逢坂新聞の吉岡と言います」
素早く名刺を出した。
「ああ。聞いてますよ」
「雨月先生はいらっしゃいますでしょうか」
「おられますよ。中へどうぞ」
女性は微笑んで言った。
女性に案内されて、玉彦は長い廊下を通って、広縁付きの和室八畳の間へ通された。広縁側の障子は開けられていて、見事な庭が見えていた。
部屋の真ん中には黒光りする机が置かれていて、座布団が対面に二つ敷かれていた。
「しばらくお待ちください」
女性はそう言って部屋を出て行った。




