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第4話 一方、こっちのほうのエメラルダは

「お、おわってますわ……。わたし、完ッ全にイカレやろうですわ……」

 自分のやばすぎる思考回路に、エメラルダは涙目で頭をかきむしりながら、ベッドの上でグネグネとのたうった。

 だが、すぐに唇をかみしめて顔を上げた。

「あきらめてはいけませんわ! ぜつぼうは悪って、聖典にも書かれていましたもの!」

 例の本が、これから起こる未来を描いたものだと断定するのはまだ早い。落ち着いて整理しよう。

 冷静に書かれていることを思い出せば、ストランドという国があり、エメラルダという姫がいて、その他もろもろ現実どおりの世界が描かれていて、破滅的な未来に向かって進んでいくというだけの本である。

 ……だけの本である。

 事実確認でまた絶望しそうになったが、エメラルダはぐっとこらえた。

 これまで読んできた書物から、真夜中の図書館の正体は少しだけ掴んでいる。

 この現実とよく似た物理法則で、こことは違う歴史を歩んできた世界。

 真夜中の図書館が所蔵しているのは、別の世界の書物である。つまり『救世の乙女、暁の星』は、異世界で書かれた物語なのだ。

 かといって、たかが物語と放置することができないことも実感していた。

(ひょっとして、いせかいにはこちらのことが丸わかりなのかしら? ろくにしゃべりもしないわたしなんかのことを、よくあんなにりかいしてえがいてみせたものだわ。いまこうしている間も、かんさつされているかもしれないわね……)

 大の字になって寝ていたところを起き上がって、ちょっとだけ髪を整えておいた。

 エメラルダには自覚があった。思い当たることがあった。

 つまり、このまま行けば、あのやばい世界が高確率で実現してしまう……ということである。

 まず、身体的な資質。

(……もしかしてじぶんかしこいのでは?)という場面は、言いにくいことだが何度かあった。一度読んだ本は覚えられるし、課題で困ったことはない。初等学のビエラ先生にはいつも褒めてもらっている。

 エメラルダ姫のように剣を扱ったことはないが、弓は持ったことがある。なぜか最初から必中だった。確かに初めて弓を手にした瞬間、生まれた時から共にあったような感覚になったことを覚えている。ほかのことも、やってみればだいたい最初からうまくこなせた。

 ……ただし、歌は絶望的に下手くそである。これは例の本でも描写されていなかったので、エメラルダ姫も音痴だったかはわからない。

 このように、身体的にはさながらインテリジェンスゴリラ。成長した暁には、ラスボスになることも不可能ではないと言えよう。

 だがフィジカル以上に、あの視野の狭さと思い込みの激しさ――正義と悪を分類し、正義を苛烈なまでに追及してしまう狭窄さには、思い当たる節があった。

 これまでエメラルダは、従順な子供らしく、質問でもされなければ滅多に口を開かない姫であった。コミュ障と言っても過言ではないほどに……。

 例外は、目の前で不正義がなされたときである。

 四歳のとき、新人の侍女に集団でつらく当たる侍女たちを見たことがあった。

「いけません、しゅくじょは下のものにやさしくするものですわ」

 大人しい姫にたしなめられた侍女たちは、その場では深く反省したように見えた。

 だが、ただ隠れてやるようになっただけだった。

 人の目が届かなくなった結果、状況が悪化したのだろう。新人の侍女は体調を崩し、ほどなくして辞職してしまった。

 五歳のとき、双魚宮の門前に、物乞いをする母子が来たこともあった。

 追い払おうと、年若い衛兵が蹴飛ばしていたのを見たエメラルダは、「ひどいことはおよしになって」と注意し、さらに母子には自分の髪飾りを与えた。

 真珠と黄金で珊瑚を模したコームは、庶民には到底手の届かない高価なものだった。

「少しは足しになるでしょうか? お子さまとあたたかいごはんをめしあがってくださいまし」

 母親は涙を流して、何度も頭を下げた。

 エメラルダは、自国の姫をそうとはわからずぽかんと見上げる子供の頭をなでながら、どうかしあわせになってほしいと思ったものだ。

 翌日衛兵から、母子が死んだと報告された。王宮からほど近いドブに、二人揃って浮いているのが発見されたらしい。どう考えても、エメラルダが与えた髪飾りを狙った犯行だった。

 姫が話しかけた瞬間から、不逞の輩は目をつけていたのだ。そして姫が髪飾りを渡すに至って、母子の運命は決したのだ。

 衛兵は多くを語らなかったが、姫を見る目には隠し切れない侮蔑が浮かんでいた。

 ――だから止めたのだ。彼女たちはお前のせいで死んだ。こうなることもわからなかったのか、と。

 護衛のひとつでも付ければ……換金したものを自宅に届けていれば……。あとから思いついたとしても意味はなく、すべては、貧富の差や自らの地位について、エメラルダの自覚が足りなかったことが原因だった。

 これらの出来事は、エメラルダに苦い後悔と――小さな絶望を残した。

 どうあっても正しいことが実現されない世界と、正しいことを成すつもりで過ちを犯してばかりの愚かな自分に対して。

 以降、エメラルダは双魚宮の内外問わず、自分の意見を述べることはなくなった。以前にもまして大人しい姫となり、侍女のふるまいが目に余ったとしても、慈悲を乞う人々が門前を訪れたとしても、目をそらして見なかったふりをした。

 そうしてまた一つずつ、胸のうちに小さな絶望が降り重なっていった。

 エメラルダ姫もきっと同じように、小さな絶望を繰り返していたのだ。そして大火の夏で、人間のことを完全に諦めてしまったのだろう。

 例の本にはもちろんそんなことは書かれていなかったが、自分のことだと思えば予想がついた。

「エメラルダ姫」は――いや、()()()は。視野が狭く、すぐわかった気になってしまう悪癖があり、理想通りに行かなければ諦めてしまうほど、心が弱いのだ。

 そうであるならば、エメラルダの目標は決まったようなものだった。

 ベッドから起き上がり、室内履きに足を入れると、立ち上がって窓辺に歩み寄る。

 レースのカーテンを開いて出窓を開け放すと、雲一つなく晴れ渡った初春の空が広がっていた。眼下には王城をぐるりと囲む黒い森と、さらにそれを囲むようにして広がる、煉瓦造りの城下町。南には紺碧の海。東と北には万年雪に覆われた峻険な山脈がそびえている。

 この窓から見下ろすたびに、うつくしい国だとエメラルダは思ってきた。

 錬金術の中興の祖によって公国から王国に変わったのが五百年前。それから何度か戦火に見舞われたものの全て乗り越え、ストランドの民はこの地で命を繋いできた。

 見渡すかぎりのものを守りたい。この王国に住むすべての人々をしあわせにしたい。

 そのために、エメラルダは変わらなくてはいけなかった。

 まず視野を広げること。ものごとの一面を見てわかった気になる悪癖は、早急に改善すべきだ。どれだけ上手く行かなくても決して諦めない。心はいつも強く持ち続ける。

「なにがあっても、ぜったいにぜつぼうなんてしませんわ」

 エメラルダが絶望したら最後。人類を滅ぼす最強の悪が誕生してしまうのだから。

「さて。もくひょうが決まったところで、もんだいをかたづけなくてはね」

 そのまま窓辺に頬杖をついて、今後の展望を思案した。

「まず、お母さまの死をそししないと。……な、亡くなられるなんて、ぜったいにたえられませんわ。お父さまが町を焼いてしまったのも、お母さまが亡くなったからでしょうし」

 エメラルダはふと、例の本を読んだ時に覚えた違和感を思い出した。

 罪のない民を責めずにいられないほど、王は妻の死を嘆いたのだ。

 ……いや、お父さまって、お母さまのことをそんなに好きだったの? と。

 王以外は、王族も含めて、全て王に仕える身分であるということは王室典範に書いてある。

 そうは言っても、王も、その妻と子も、同じ人間である。歴代の王は食事や寝所などの私的空間を血縁者と共にし、ただの家族として暮らしていた。王宮内に双魚宮ほど居住に適した宮殿はないからだ。

 しかしヴラディスラフは、政務を執り行う獅子宮の一室で寝起きし、双魚宮にある自室に戻ってくることはほとんどない。

「君主と臣下が同じ屋根の下で暮らすべきではない、というのがあの方のお考えなのよ」

 アナスタシアは、いつだったか寂しそうにそう言った。エメラルダは何も言えず、ただ母に寄り添った。

 双魚宮に足を踏み入れることもなく妻を遠ざける王と、一途に王を慕う王妃。これが双魚宮における、国王夫妻への理解である。

 ……だが実態は違うのかもしれないと、エメラルダは思った。そして「だったらもうちょっと優しい態度を取ってくれ」とも。

 当の夫を前にしたアナスタシアの態度も奇妙だった。

 母が父を愛していることは娘にはわかりきったことだというのに、どうしてあんな冷たい態度で、開口一番にケンカを売ってしまったのか。父と母が会う機会を作れるなら、寝込んでよかったと思ったのに……。

 しばらく窓辺でうんうん唸っていたエメラルダは、他に優先すべきことがあることを思い出した。生きていなくてはケンカもできないのだ。

 アナスタシアが命を落とすのは娘が七歳の夏。今年の五月に誕生日を迎えたら、エメラルダは七歳となる。つまり、あと半年ほどしかない。

「お兄さまのごきょうりょくをとりつけましょう。……ちかごろぜんぜんお話してないし、できるかはわからないけれど」

 コミュ障の姫は怖気づきそうになったが、少しでも母の生存確率を上げるためである。不思議な夫婦仲についても知見を得られるかもしれない。

 エメラルダはさっそく兄の部屋を訪れた。


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