証拠探しの木曜日
「ハルト、その女、誰?」
あたしがビシッと突き付けた。
ハルトの腕の中には、ユイさんがいる。
ハルトはうろたえた様子で「こ、これは」と口ごもっている。
戸惑っている間もユイさんを離さないのは偉いと思う。
「浮気したのね!」
あたしが泣きながら、ヒステリックに叫ぶと、ハルトが覚悟を決めたように息を吐きだした。
「いや、浮気じゃないよ。ユイが本命だ」
「えっ、そんな―――」
「俺に必要なのはユイだから、もう、お前なんていらない」
ハルトの言葉に、あたしは息をのむと、泣きじゃくりながら後ずさった。
「そんな―――」とかすれた声を漏らしながら、あたしは覚悟を決めた。
「わかったわよ、あんたみたいな男、こっちから別れてやる!ハルトのバカ――――」
叫びきると同時に、あたしは踵を返した。
ふたりを残して、立ち去った。
あたしがいなくなったあと、ハルトの腕の中にいたユイさんがハルトを見上げる。
「良かったの?」
震える声のユイさんを、ハルトはぎゅっと抱きしめる。
「ごめん、怖がらせて。でも、俺が好きなのはユイだけだから」
「ハルト!」
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うん、シュミレーションは完璧だ。
色々なパターンを考えてみたけれど、このパターンが一番シックリ来る気がした。
目を開けると、シュミレーションの世界から現実に戻ってくる。
なぜか胸がギュッと痛むのは、きっと昔の恋のナゴリなんだと思う。
理想的な修羅場を迎えるためには、やっぱり浮気の証拠を見つけなくちゃいけない。
あたしは今日も、ハルト追跡調査を続行することにした。
大学でハルトのあとをつけてみると、昨日ランチを取っている4人で良く一緒に居るようだった。
誰かがかけることはあるけれど、時間を見つけては4人で集まっている。
ユイさんの視線を追いかけてみると、その先にはハルトがいる。
やっぱりユイさんはハルトが好きなんだ。
「邪魔者」
あたしの頭には3つの漢字が浮かび上がってくる。
早く決着をつけてあげないければならない。
こんな状況を続けるのはハルトも、ユイさんも辛いに違いない。
あたしが無様にこの恋の舞台から去ればいいんだ。
そうすれば、きっと二人にはハッピーエンドが待っているはずだ。
「いつも、おまえって変人だと思ってたけど、最近は彼氏のストーカーでもやってんのか」
「へっ?」
背後から―――耳元で、ささやかれて、あたしはパッと振り返った。
教授のくせに廊下で煙草をくわえたままの三橋 一郎が立っていた。
「いっちゃん!」
「大学で、いっちゃんって言うな」
呆れような彼におでこを弾かれた。
彼はこの大学の教授の三橋 一郎、通称「いっちゃん」である。
実は彼はあたしの従兄弟。
ちょっと年が離れてるせいか、子ども扱いしてくる。
「ちょうどいいや。明日の配布物の整理、手伝えや」
「ええぇぇぇ!? あたし、めちゃくちゃ忙しいんだけど」
「忙しいって、彼氏のストーカーごっこが?」
「いや、ストーカーっていうか。うん、そういうんじゃないんだけど」
「じゃぁ、あいつを呼んでやるよ。おい、くろ―――」
「や、やめて! 手伝う! 手伝うから」
「さっさとそう言っとけや」
カラッと笑ったいっちゃんに引きずられるように、今日のあたしの追跡調査が強制終了した。
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いっちゃんの部屋で、ホッチキスでパチパチとプリントを止めていく。
「こういうのって、機械で自動的にやってくれるんじゃないの?」
「あー、設定間違えたら、そのまま出てきちゃったんだよ。めんどくせぇって思ってたら、ちょうどマチを見かけたからな」
あたしが労働させられているにも関わらず、いっちゃんは優雅にコーヒーを飲みながら「ケケッ」と笑っている。
「鬼」と聞こえるようにつぶやいた声には反応をしない。
あたしは深いため息をついた。
「それで、お前、さっき何してんたの?」
「何って」
口ごもったあたしに、いっちゃんは顔をしかめた。
「どうみても、怪しいストーカーにしか見えなかった」
「うっ」
追跡調査―――って、まぁ、ストーカー行為に違いない。
わかっているけど、もう3日後には別れるんだから許してほしい。
ちゃんと土曜日にはきっぱり、すっきり別れてあげるんだから。
「最近、マチと黒井が一緒に居るところ見ないよな」
「ハルトはモテるから」
「だとしても、マチは黒井の彼女だろ?」
「まぁ、そうなんだけど」
「何、自信喪失してんの?」
なぜか、いっちゃんが驚いたように目を見開いた。
「お前、ちゃんと女の子してたんだな」
「なに、それ! 失礼な」
「いや、俺は黒井が昔から気に食わんが、同情はしてたんだ。だけど、お前がちゃんと成長していたみたいで、少しはあいつも報われるってもんだ」
「いっちゃん、意味がわかんない」
「まぁ、分かんねぇだろうな」
けけっと笑ういっちゃん。
煙に巻くような言い方をする時のいっちゃんは、追求したところで答えをくれない。
その時、ドアをノックする音がした。
「はーい」と間延びした声で返事をしたいっちゃんに、ドアが開いた。
入ってきた彼にあたしは息をのんだ。
「ハルト」
ハルトは、ちらりとあたしを見て、小さく息を漏らす。
「先生、レポート出しに来ました」
「んー、あぁ、これな。まだ締め切りは先だったけど、まぁ、受け取っておくわ」
いっちゃんはニヤニヤしたまま、ハルトのレポートを受け取った。
「マチは、何してんの?」
そのまま、出ていくのかと思ったら、ハルトの視線が急にあたしに向けられた。
「えっ、と」
突然、話を振られて言葉に詰まった。
「鳥波、もういいぞー」
いっちゃんはいつも、あたしを「マチ」か「おまえ」って呼ぶくせに、なぜか突然「鳥波」って呼んだ。
まだ残っているプリントの山を残して、立ち上がった。
突然、ハルトがあたしの手をつかんだ。
「じゃぁ、失礼します」
ハルトはいっちゃんに小さく頭を下げると、あたしの手を引っ張ったまま、部屋を出た。
「ハルト?! どうしたの?」
急に意図の読めない行動をするハルトに、あたしは目を丸くした。
「マチは一体、何を考えているわけ?」
なぜか、厳しいハルトの目があたしを捉えている。
何に怒っているのかさっぱり、分からない。
だけど、確実にハルトは何かに怒っている。
あたしはハルトの怒りの原因がわからないから、答えを見つけられずにいた。
「マチは考えなさすぎるんだ、昔から」
ムッ。
なんだ、それ。
あたしはこの1週間、日々、眠れないほどに考えてきた。
その原因を作ったのは、間違いなくハルトだ。
ハルトが浮気をしなければ、こんなことにはならなかった。
それなのに、何も考えていないって責められる意味が分からない。
「マチ、何を考えているんだよ」
ため息と共に、漏らされたハルトの声に、あたしはつい頭が真っ白になった。
怒りとショックと、悔しさと、いろいろな感情がこみあげてきて、思考回路が完全に停止した。
口から飛び出した言葉は、あたしの脳がはじき出した答えじゃなくて、完全にうっかりと飛び出した言葉だった。
「うん、別れようかと思ってる」
一瞬、シーンとなった。
次の瞬間、あたしはパッとハルトを見上げた。
目を見開くハルトと目が合った。
口に出してしまった。
もう、元には戻せない。
気が付いた時にはあたしは走り出していた。
「マチ!」と追いかけてきた声に、たちどまることなく、あたしは逃げ足の速さを見せつけた。




