調査開始の月曜日
あたしとハルトとの距離が離れたのは、大学1年の夏の出来事も影響している。
あたしは元々、アニメオタクだ。
中学の時から、ノートの端にアニメのキャラクターを落書きしていた。
ハルトと付き合ったのも、それが切っ掛けなんだけど、まぁ、それはいい。
高校に入ってからは漫画を描くことにはまって、ツイッターで4コマ漫画を描き始めた。
しばらくすると、あたしのツイッターはフォロワーが集まった。
あたしとハルトが思っていたよりも、ずっと人気が出てきてしまって、びっくりしている中、大学1年の夏。
出版社から連絡がきた。
ある小説の漫画化のオファーだった。
アニメ化も検討されている小説だって聞いたあたしは、二の句も告げずに承諾した。
小説はネットで人気があったからか、あたしの漫画は売れた。
あたしはあっという間に漫画家になってしまった。
最近ではオリジナル漫画も、雑誌で連載が始まった。
そこそこのランキングにいるらしく、細々ながらも、自分の生活費を賄えるぐらいの印税が入るようなってきた。
ハルトの行動に一喜一憂したくなくて、仕事に逃げたのか。
仕事が忙しくなって、ハルトの行動に一喜一憂しなくなったのか。
今じゃもうよくわからない。
持った電子ペンをカツカツと机の上で鳴らして、ふと、天井を見上げた。
「でもさ」
ひとり、ふと、呟く。
もしかしたら、このまま、放っておけば自然消滅というやつになるんだと思う。
だけど、7年間だよ!?
それほどの長い時を一緒に過ごしたあたしたちの最後が、自然消滅って何さ。
しかも、ハルトの浮気が原因だなんて納得がいかない。
あたしが最初に告白して付き合った関係だとしても、7年間は長い。
「そうだ、修羅場をしよう」
声に出したらめちゃくちゃよいアイディアに思えた。
今、描いている漫画のラストも男の浮気が原因で、修羅場となり、主人公の女の子がざまぁするシーンで終わる。
どうせ別れるなら取材を兼ねて、修羅場をやってみたい。
でも、修羅場ってどういう風に体験したらいいんだろう。
あたしは電子ペンを口にくわえて、再び、天井を見上げた。
そうだ、まずは追跡調査するしかない。
漫画を描く時だって、まずは調査から始める。
修羅場を演じる場面、どんなシチュエーションを組み立てるのか、そのための材料をそろえるしかない。
「よし、そうと決まれば、学校に行こう!」
月曜日、修羅場のための調査を始めた。
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4限の授業が終わるちょっと前に、こっそり、教室を抜けだした。
ハルトも月曜日の4限に必修科目が入ってたはずだ。
見失わないように、ちょっと早めに授業を抜け出してきた。
校門が見えるちょっと離れた位置で待っていたら、授業を終えたハルトが校門をくぐる姿が見えた。
ハルトの右隣には、女の子が一緒に歩いている。
キャンディみたいに甘ったるそうな女の子。
あんな女の子が好みだったなんて、知らなかった。
あたしの心臓がギュッと引き締まるのを感じた。
やだな、もう今更、傷つかないって思ったのに。
あたしは首を振ると、ハルトと女の子の後を追った。
彼女は浮気相手のひとりなのかもしれない。
そうなれば、あたしが修羅場を起こす相手候補である。
そっと写真を撮ってみたいけど、後ろからつけているだけでも怪しいのに、盗撮なんてしたら通報されそう。
そもそも、さっきからすれ違う人たちの視線が痛い。
素人の尾行って意外と、目立つんだな。
横断歩道の手前、二人が立ち止まった。
何だろうって思ってみていたら、二人はあっさりと手を振って別れてしまった。
ん?
あたしは首を傾げた。
ハルトは信号が青に変わった横断歩道を渡った。
あとをつけていくと、おしゃれなカフェに入っていくハルト。
しばらく外で見つめていたら、ハルトがギャルソン風の腰で巻くエプロンをつけてウェイターを始めた。
「バイトか」
そういえば、ハルトのバイトも聞いたことがなかった。
高校時代は、コンビニでバイトしていたけど、大学に入ってずいぶんおしゃれなバイトに変えたらしい。
そんな話も教えてくれなかったなぁ、と寂しい気持ちがこみあげる。
オープンテラスまであるお洒落カフェなんて恋の出会いが至る所に落ちていそうだ。
毎回、一緒のシフトになる女の子。
「あれ? 今日も、一緒だね」って笑う彼女。
ある時、嫌な客に絡まれている女の子をハルトが助ける。
「お客様。こちらのカフェは皆がくつろぐ場所です。おかえりください」
「ハルトくん」
―――なんて感じで、恋が加速度を上げてスタートする。
あたしはカフェが見える位置にあるファーストフード店に入って、ハルトの恋の相手を必死で探した。
23時になってカフェがクローズすると、しばらくしてハルトが出てきた。
再び、ハルトの追跡を開始する。
だれかと出てきたら、浮気相手がカフェにいるってことだって思ったけど、残念(?)ながらハルトは一人でカフェから出てきた。
家に帰るのかと思いきや、ハルトが向かったのは繁華街のど真ん中。
地下に降りる階段を下りていってしまった。
建物の看板を見上げると、地下にはバーがあるらしい。
もしかしたら、女の子と密会しているのかもしれない!?
今度こそ、決定的な現場を押さえられるかもしれない。
だけど、このまま、同じ店に入ったら追跡していることがばれてしまう。
あたしが困ってビルの前で腕組みをしていると、「どうしました?」と話しかけられた。
上品なちょび髭のおじさま。
白シャツに黒のベストで、見るからにバーテンダーのおじさまだ。
「えっと、ここに黒井ハルトっていますか?」
あたしは訊くと、ちょび髭おじさまは目を二回瞬かせた。
「えぇ、うちのバイトですけど?」
「バ、バイト―――」
「何か、ご用ですか? たぶん、今、ハルトも勤務してますから、中に一緒に行きましょうか?」
「い、いえ! 結構です! 大丈夫です!! あの、あたしが来たことはハルトには伝えないでください!」
叫ぶと、あたしは「えっ? お嬢さん?」と声をかけるちょび髭おじさまを振り切って逃げた。
どうやら、バイトだったらしい。
バイトの掛け持ち。
さすがに時間も時間だったから、あたしは仕方なく帰路についた。
月曜日。
追跡の結果、ハルトはずいぶん、ハードにバイトをしていることが分かった。




