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5話 弟のいない6月

「もうユキ姉の弁当も作らないよ?」

その一言に、私は絶望した。


私はショックで身体を支えきれず床に手をつき、目の前が暗くなり頭が落ち込む。もともと正座していたので土下座になった。いゃ正座していなかったとしても足腰からも力が抜け、土下座になっただろう。

今日の土下座は、私の人生の中でもベストオブ土下座だったと自信をもって言い切れるだろう。



 その日、人類は いゃ、私は思い出した。

昨年の6月。武人が研修旅行で家を空けた一週間のことを。


朝食担当の武人がいなかったから、朝は愛美が用意してくれたトーストや目玉焼きで済ませる、はずだった。起きれた日は、・・・なかったけれど。

そう、いつも起こしてくれる武人がいなかったのだ。



 いつもは武人が声をかけてくれるからちゃんと起きている。

・・・私はちゃんと時間通りに起きているつもりだけれど、愛美によれば、武人はいつも根気よく起こしてくれる...らしい。何度も起こしに来てくれている...そうだ。

断定できないのは、私に記憶がないせいなのだけど、私は『あと5分』くらいしか言ってないはずだけど?

たまに、気付くと食卓に着いていることがあるのだけれど、そういう時は愛美の機嫌がすこぶる悪い。じぃっとテーブルの一点を見つめ「お姫様抱っこずるい」とか意味のわからないことをブツブツ言っている。


しかし、あの週は違ったのだ。

毎朝目が覚めるのは普段家を出ている時間を過ぎてからばかりだった。慌てて顔を洗い、制服に着替え、朝食を摂る暇もなく家を飛び出す。

午前中の授業は空腹を抱えて耐え、内容はほとんど頭には入らなかった。お昼は購買へ走る。平素は利用しない購買の生存競争は厳しかった。


特に『焼きそばパン』!

惣菜パンの中でも比較的低価格でありながら、ほぼ炭水化物オンリーという満腹感へのコストパフォーマンスの良さ。

当然、入手するための競争率は高く、4時限目終了のチャイムと同時に教室を飛び出す必要があった。もちろん教科書ノートはチャイム前に鞄にしまいこんで。

チャイムが鳴っても授業を終われない教師には殺意さえ覚えた。



「あの時はひどかったな。毎日遅刻ギリギリで息を切らせて登校したかと思えば、シャツもブレザーもスカートもシワシワで髪はボサボサ、リボンは傾いて顔はすっぴん。朝飯抜きで死んだ魚のような目をしてて、昼休みは逆に目を血走らせて購買に突撃。どこの鬼婆が来たのかと」

「女をやめたと思ったわ」

友人だと信じていたYさん(仮名)とAさん(仮名)は当時を振り返り、大変失礼なことをのたまってくれる。


「ユキ姉、なんでそんなみっともないことに・・・」

武人が憐れむような視線を向けてくる。



二度とあの悲劇を繰り返してはならない!

瞬間、 私の思考のすべてはその一点のみに注がれていた。

「お姉ちゃん、武人の朝ご飯が食べたいの!お弁当が食べたいの!これからもお姉ちゃんにお弁当作って欲しいの!」

私は武人の足にとり縋って叫んだ。


「とんでもなく情けないことを恥も外聞もなく叫ぶよな。いっそ清々しいくらいだわ~」

ゆかりは言うけど、恥?外聞?そんなものが何だっていうの。食事は生活の基本なのよ。石器時代の人類や社会保障が無い時代の孤児じゃないの。三度三度の食事を奪われたら心は荒むしかないのよ。


「ちょっ!ユキ姉!? 離して!」

「やだぁ!作ってくれるって言うまで離さない!」

「幼児退行まで起こすなんて。これが棄てられる女の末路なのね。リアルで見たのは初めてだわ」

「あぁ;;」

浅子うるさいよ?

田中さとみ先生(34歳独身)、棄てられた経験ありそうな目でこっち見るのやめて。



私のあまりの取り乱しように、安原先生が弟に聞いている。

「早宮弟、弁当に変なモノは入れてないよな?」

「入れてませんよ!」


田中先生が、並んで正座させられているゆかりたちに囁く。

「早宮さんのお弁当ってそんなに凄いの?」

「うーん、凄いってわけじゃ、ただとにかく考えてあるんですよね」

「高タンパク低脂肪。脂の少ないササミやフィレ肉が多くて、豚肉なら軽く湯通しで余分な脂を落とす。普段は塩分控え目で体育がある日の味付は濃い目。野菜は煮物中心で根菜や海藻も適度に入っているからお通じも快調らしくて」

「毎日食べると効果が解るようなんですけど、一食だけでも美味しいですねぇ。高校生の運動量前提ではあるんですけど美味しいうえに太りにくい、女子高生のためのお弁当みたいな?」

「違う。弟の弟によるお姉ちゃんのためのお弁当」

「そうなんだぁ」

ゆかりと浅子の交互の説明に田中先生はちょっと引き気味に頷いていた。



「まぁ有紀子の場合、お弁当以外でも弟くんに頼りきりですけどね」

「どんなふうに?」

浅子、よけいな情報開示はしなくていい。

「有紀子のとこは共働きで家事はきょうだいで分担してるんですけど、有紀子は朝弱いから弟の武人が朝の一切を取り仕切ってるらしいです」

「朝ご飯とお弁当を作って、有紀子と妹さんを起こすそうですが、有紀子はなかなか起きてくれないからタケちゃんが何度も起こしにいくそうです。『あんなに優しく起こさないで、叩き起こせばいいのに』って妹さんが言ってました」

「有紀子は寝ぼけて支度するから、家を出るまでにちゃんと可愛くできてるか身嗜みもチェックしないといけないんだって」


なんだろ、田中先生(34歳独身)が顔を緩ませて何かブツブツ言い出した。

「年下の男の子に、毎朝優しく起こしてもらって......ご飯が出来てて......お弁当も作ってもらえて......今日も可愛いよって言ってもらえて.........うっ!」


うわっ、鼻血吹いたよっ!



一方的にダメな女のように言われている。ちゃんと晩ご飯や洗濯は担当してるのに!

朝ご飯や昼ごはんで私の人間性を決め付けるのはやめてほしい。

『人はパンのみにて生きるに非ず』なのよ!

いつもパンじゃだめなのよ! ちゃんとしたご飯とおかずが必要なの!

心が満たされなければ、それは『人』じゃないの! まして女子高生じゃないのよ!



それにあんたたち、単に食べるかどうかのレベルじゃないのよ。お弁当が必要なの!

「栄養とか満腹感だけの問題じゃないわよ! 考えてみなさいよ! わし掴みにした焼そばパンに大口開けてかぶりついて!ペットボトルのお茶をラッパで飲む女と! お弁当を箸で少しずつ食べる女の子のどっちが男子に可愛いと思われるか判るでしょう!?」

パンなら手で千切って食べてもよい。しかし手がベトベトになる惣菜パンやバターを練り込んであるデニッシュ系はそれが難しいのでかぶりつくのがベターな選択なのだ。


私の心からの叫びに、正座させられている女子がいっせいに振り返り、教室後ろに集まっている男子を見た。それこそ『ギュンッ!』という効果音が見えそうなほどの勢いで。

男子は、微妙な表情で女子から目を逸らしていた。

女子高生とは可愛く見られることに命をかける、業の深い生き物であった。

土下座の姿勢から弟の足にすがりつきながらそれを言い切った私自身にはもう、説得力の欠片もなかったけれども...。

翌週、女子への焼きそばパンの売上が落ち込んだと、購買のおばちゃんが嘆いていたらしい。

パンに罪はないというのに。



 事態の収拾を図るべく、武人がお弁当の落札者に話しかける。私を足にすがらせたまま。・・・なんか私、いないことにされてない?

「弁当を買った人はどなたですか?名前を教えてください」

「2組 山科です」

「3組 畑中です」

「他のクラスまで...」

弟が頭を抱える。うん、なんか、ごめん。

「山科先輩と畑中先輩ですね。お二人には来週月曜日、それぞれお弁当を用意します。お金は要りませんけど、キライなものや食べられないものはありますか?」

「アレルギーや好き嫌いはないです」

「私も大丈夫」

「わかりました。でもあまり期待しないでくださいね」



 今回は、騒ぎはしたけど現物(お弁当)の需給だったということで、5時限目に食い込んでいるのもあってお説教で終わった。



 参加してない競売のことで正座させられ、お説教され、クラス中にプライバシーを暴露され、土下座して弟に取りすがる姿を曝し、過去の醜態まで弟にバレた。

うん、一番の被害者は私だと思う。

なのに、なぜみんな何事もなかったかのように解散して次の授業の準備に入ろうとしているのだろうか。

それを訴えようとすると、先生もクラスのみんなも全員目を逸らすんだけど...。



 弟の手に戻ったお弁当を見ながら安原先生が言う。

「あ~、なんだ。早宮。その弁当こっちで処分しておこうか。俺まだ昼食ってないし」

「いえ、もう余り物ですから捨てようと思います」

田中先生も声をかけてきたが、弟はやめたほうがよいと窘める。

「食べ物を粗末にするのはよくないと思うの」

「でも田中先生、賞味期限ヤバいですから先生にお腹を壊されたりしたら...」


弟の心配に、正座している女子たちが真剣な表情で同意の声を上げる。

「そうですよ。田中先生 賞味期限ヤバいですから」

「うんうん。田中先生 そろそろ賞味期限ヤバいから」

「田中先生 賞味期限ヤバいよね」

「私も、田中先生 ほんっとに賞味期限ヤバいと思います」

「田中先生 賞味期限ヤバいです」

「てかもう、田中先生 賞味期限切れてない?」

「田中先生 もうあきらめましょうよぉ」

女とは、叩ける相手はとことん叩く生き物であった。


「ヤバくないわよ! 全然ヤバくないから! ぜんっぜんよっ! ぜんっっぜんっ! 切れてないし! 余っ裕で賞味期限内なんだから!」


キレた!

涙目で叫ぶように訴える田中先生の勢いに若干引き気味になりながら、弟が恐々とお弁当を差し出した。

「そ、そうですか? じゃお渡ししますけど、大人なんですから自己責任でお願いしますね? 変な匂いとかしたら食べずに捨ててくださいよ?」



お弁当を受け取った二人の教師の表情は異なっていた。安原先生は歓喜。たぶんお昼代が浮くからかな。単純に食事を得た喜び?


「こ、これが弟くん弁当・・・」

田中先生のほうは、複雑な顔をして食い入るようにお弁当を見ている。なんだろう、値踏み?


先生、うちの武人は安くないですよ?

面白かった等思っていただき、評価していただけたら作者喜びます。

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