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病院送り系少女

 僕が彼女と出合ったのは、今年、社会人になって三年目の入梅りの時期だった。いや、正確には「出合った」ではなかった。あれは、僕が一方的に彼女の存在を認知しただけだったから。

 連日空は重い雲に覆われ雨模様が続いていた。いつ降り出すとも分からない天気の下、僕はビニール傘を片手に外回りの最中だった。

 最近はずっと外回りが僕の主な業務内容だった。なぜこんな仕事を僕に振ったのかは分からない。僕に任せたところで、商品なんてまともに売れるはずがなにのに。実際、僕は外回りを任されてから一度もノルマを達成できたことは無かった。その度に上司に叱責され、お局たちからは笑われた。こんなことが続いたのだから、僕の心に頑張ろうなどという前向きな感情が入る余地などなかった。気を張ったところで、結果など初めからわかっているのだから。

 そんな時だった。薄暗い午前中、ある小さな公園に差し掛かった僕は、なんとはなしにその中へ目を向けた。その日は平日、公園を利用する人などいるはずが無かった。しかし、僕の目には彼女が映っていた。公園の隅のベンチに一人で腰掛ける、制服姿の女の子の姿が。

 丁度、霧雨が降り出した。

 僕は傘を差すことも忘れ、公園の外で立ったまま彼女を見つめていた。彼女はこちらに気付くことなく、じっと俯いていた。傘は持っていないようだった。はらはらと降る雨が、彼女の一つに纏めた黒髪をしっとりと濡らしていった。

 時が止まったように思えた。僕は確かに、目の前の非日常に、雨に濡れていく彼女の姿に目を奪われていた。彼女の周りだけ、落ちる滴が止まって見えたような気がした。

 しかし、止まった時は僕のくしゃみと共に再び動き出した。先ほどまで細かかった雨は気付けば大粒に変わり、僕は全身びしょ濡れになっていた。現実へ引き戻された僕は堪らず傘を差し、踵を返す。こんなびしょ濡れの状態ではどの道営業なんて出来ない。会社に帰ろうと、僕は歩き始めた。

 足は帰り道を進みながら、しかし僕の目と心はまだ公園内へ向いていた。ベンチに一人ぽつんと座る彼女は、じっと俯いたまま、大粒の雨に打たれ続けていた。


 次の日も、その次の日も、変わらず大雨が降り続いていた。しかし、如何なる空模様であろうとも、僕の仕事は変更にはならない。雨のカーテンに視界を塞ぎられ水溜まりに足を取られながら、僕は住宅の間を歩いていた。

 いつもなら、お客相手にどう話を進めようか、どう説明したら商品が売れるだろうかと、仕事のことばかりに考えを巡らしていた。けれどあの日、公園で雨に打たれる彼女を一目見てから、気づけば僕は彼女のことばかりを考えていた。どうしてあの日、あんな時間に一人で公園にいたんだろう。あの制服には見覚えがある。あの公園から数キロ北にある公立校のものだ。普通なら授業時間であったはずなのに、彼女はあそこで何をしていたのだろう。そんな、彼女のことばかりを考えていたからか、気づけば僕はあの公園の入り口で足を止めていた。

 彼女はいつでもそこにいた。公園の隅のベンチに一人。際限なく雨に打ち付けられ、それでも彼女は傘も差さずに俯くばかり。

 そんな日が何日も続いたある日のこと。梅雨の大雨は上がらず、陰気な雰囲気は一向に晴れない。彼女はまた、雨に濡れて俯いていた。いつもならそんな彼女を遠目から見ているだけだった。目の前の非日常に足を踏み入れることはしなかった。けれど、日を重ねる毎に、彼女の姿をこの目に映す度に、僕の心は彼女に惹かれていった。


 その日、僕は公園の中を歩いていた。雨の降る中、一本の傘を差しながら、片方の手でもう一本の傘を広げた。やがて俯く彼女の前に立った僕は、彼女の頭上に傘を掲げる。

「こんなに雨に打たれていたら、風邪を引くよ」

 彼女ははっとして僕を見上げる。僕はその時、初めて彼女の表情を見た。



 その日から、僕は仕事をサボるようになった。外回りへ出かければ、本来行くべきお客のところへは向かわず、あの公園に赴いた。そこには、変わらず彼女がいた。雨は変わらず降っていたけど、彼女は僕があげたビニール傘を差してベンチに座っていた。そして僕が来たことに気づくと、顔を上げてぱっと微笑むのだった。

「おじさんは、今日も仕事サボるの?」

 そう尋ねる彼女の声は、この空模様とは裏腹に晴れやかに聞こえた。

「あぁ、そうだよ。多分明日も、明後日も、サボると思う」

「そっか、ふふ、あたしとおんなじだ」

 三人掛けのベンチの、両端に僕と彼女が座る。横目で見れば、彼女は嬉しそうに浮いた足をフラフラさせていた。

 平日の昼下がり。大雨に満たされた公園に、女子高生と二人。日常には無い非日常。

 しばらく、彼女との会話はない。けれど、この雨音に満ちた沈黙でさえ僕の心を浮つかせる。

 ここにいるときだけ、時間が止まったように思えた。彼女の隣にいるだけで、現実でのすべてを忘れられた。

 ここにいる僕は、スーツを着込んだ営業サラリーマンなどではなかった。

「ねぇ、おじさん」

 雨音に消え入りそうな声で彼女は言った。

「どうして仕事をサボろうって思ったの?」

 どうして、か。

 僕は傘を少し後ろへ傾け、曇り切った空を見上げる。

「僕には、合わなかったんだよ」

「……仕事の内容が?」

「いや、この社会全体が」

 一瞬笑われるかと思ったが、彼女は眉を動かすことなく凛とした目をこちらに向けた。僕は言葉を続ける。

「僕は昔、自分は他人とは違うって思ってた。自分には才能がある、他の誰よりも秀でているって根拠もなしに信じるばかりだった。

 いや、実際小学校まではそうだったんだ。だけど、それがいけなかったんだ。努力することを忘れて、そのくせ自分に出来ないことはないって信じてた。僕がそうしてあぐらをかいている間に、他のみんなは立派な大人になっていったよ。小さい頃から夢を描いて、努力を積んで。気づいた頃には僕だけだった。みんな遠くへ行ってしまった」

 過去の映像の数々が脳裏に浮かぶ。普段なら胸が締め付けられるように辛いのに、不思議と心は軽い。

「僕はどうしようもないクズだ。こんな僕を受け入れられるほど社会は寛容じゃない。まあ全部、自業自得さ」

 そう、僕はクズだ。自分でそう認めてしまえば、少し気持ちが楽になれた。

 傘に打ち付ける雨の音が何となく心地良い。

「それで今は、こうして昼間の公園で仕事をサボっている。どうしようもないクズだろう?」

 はは、と小さく笑う。隣の彼女が息を漏らす。

「おじさんがクズなら、あたしもだ。もう、ずっと学校に行ってない。ほんとはいかなきゃなのに」

 その言葉とは裏腹に、彼女の表情はまるで笑っているかのようだった。それは今の自分を心の内で肯定しているからか、あるいはやけになっているからか。

 僕には、なんとなく後者に思えた。

「この制服、見たことある?」

 自分の体を見下ろしながら彼女は訊く。促されるように目線が彼女へ向く。

「ああ、知ってる。北の方にある公立校のだろう?」

 答えると、彼女は傘を持ちながら器用に手をパンと鳴らした。

「そう、正解! おじさん、よく知ってるね。もしかして、女子高生とか観察するのが趣味だったりして」

 思いもよらぬ言葉に、僕は息を詰まらせた。

「そ、そんなはずがないだろう。ただ、ここら辺でもその制服を着た人は見るから」

「ふ~ん、そう。ま、そういうことにしといたげる」

 若干の上目遣いでいやにやと笑う彼女は、ゆっくりと正面を向いた。

「あたしね、その高校に通ってるの。あぁ、『通ってた』の方が正しいのかな……ねぇ、どうしてあたしが不登校になったか、知りたい?」

 もう一度、彼女へ振り向く。彼女はじっと遠くの雨雲を見つめている。

「……話してくれるの?」

「おじさんは、おじさんのこと話してくれたから」

 彼女の芯の通った声が、雨音より大きく耳の奥に響いた。

「ねぇ、知りたい?」

 彼女はもう一度言葉を繰り返す。気づけば僕は、彼女の横顔に頷いていた。

「あぁ、知りたい」

 彼女に何があったのか。どうしてここにずっと座っているのか。僕の興味は今、名前も知らない少女の過去へと向いていた。それがきっと、僕の心を魅了するこの非日常へ繋がっていると思ったから。

「ふふ、そう。なら、話してあげる」

 表情には現れなかったが、その声はどこか嬉しそうだった。

 雨が止む気配はない。彼女は静かに、自分の過去を雨音の裏に忍ばせる。


「あたしね、こう見えて小中と学校の中じゃスターだったんだよ。スポーツが得意でね、球技でも陸上でも、なんでもできたんだ。勉強も悪くなかったし、それにあたし、結構美人じゃない? あはは、自分で言うのもアレだけど。だからね、先生たちからの受けも良かったんだ。学校のみんなもあたしと仲良くしてくれた。いつだってあたしはみんなの中心にいたの。

 でも高校からは違った。ずっと一緒だった中学校までの友達とは別々になっちゃって、高校は知り合いすらいなかった。それでも、またすぐに新しい友達を作れると思ってた。中学の頃から高校生活に憧れてたから、友達とワイワイできるのがすっごい楽しみだったの。だから、頑張ったんだ。いろんな子に声掛けて、授業も部活も頑張って、中学の頃とおんなじようにすれば、高校でもスターになれると思ってた。……でも、それがダメだったんだと思う。

 ある日からね、イジメられるようになったの。上履きをどこかに隠されたり、イスにのりを塗られたり、ありもしない噂を流されたり。犯人は分かってた。同じクラスの、ちょっと派手めの三人組。今なら分かるけど、あの子らにとって、目立とうとするあたしはきっと目障りだったんだ。でも最初はそれが分からなくて、どうしてイジメられるのか分からなくて、それで、思ったの。きっとまだ足りないんだ。もっともっと努力して、もっともっとスターになれば、その子たちもきっと認めてくれるって。だから、あたしは耐えることにしたんだ。

 それからもずっとイジメは続いたよ。それをね、毎日他の誰にもバレないように振舞うのは結構大変だった。そうやって上手く切り抜けられたからなのかな、イジメはどんどんエスカレートしていったんだ。もう、あたしの口からは言いたくないくらいに。そうなると、もう他の子にバレないように、なんて無理だった。先生たちは気付いてないっぽかったけど、クラスの子たちは結構勘付いてたと思う。けど、誰も助けてくれなかった。

 ……きっとあたし、おかしくなっちゃったんだ。ずっとイジメに耐えてきて、誰も助けてくれなくて、自分からは言えなくて。イジメはもうイジメって呼べるレベルじゃなくなってた。でも、それをさも当たり前のようにされ続けてたからなのかな、あたしもそれが普通なんじゃないかって思えるようになってたんだ。

 あれは、去年の冬だった。クリスマスも目前の、とっても寒い日だった。あたしね、あの三人に『お返し』をしたの。学校の校舎の裏に呼び出して、一人ずつ。あたしが三人にされたこと全部。元はあっちからしてきたことなんだもの、あたしがやったって何も問題は無いはずでしょ? でも、ちょっとやりすぎちゃったのかもしれない。三人は病院に運ばれて、一ヶ月は学校に来なかった。あたしが一方的にやったと思った先生はみんなあたしに訊いたよ。『なんであんたことをしたんだ』って。その質問は訊く人を間違えてるでしょって、おじさんも思うよね?

 この話を聞けば、きっと多くの人があたしは悪くない、あたしをイジメた三人組の自業自得だって言ってくれるかもしれない。あたしだってそう思ってる。あたしは被害者で、あれはただのクズたちなんだって。でも、冷静になった今、あたしは怖いんだ。あのクズとおんなじことをした過去のあたし自身が。もしかしたら、あたしは人の皮を被っているだけで、中身はあいつらと同じクズなんじゃないかって。だって、今でも時々手が震えるの。あの日、あのクズどもを血塗れにしてやったときのことを思うと」

 彼女はいつしか空いた右手を胸に当て、開いた瞳孔は僕の方を向いていた。けれど、その光の灯らない目は僕ではなく、どこか遠くを捉えている。

「それからは、学校には行ってない。もし、またあの三人組を見たら、今度はきっと病院じゃ済まないかもしれないから」

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