表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

2

あるある

 僕は、自分で言うのも何だけれど、小学校を出るまではまともな人間だった。少なくとも対外的には。

 僕の両親はどちらも名の知れた名門大学を出た、所謂高学歴というものだった。そのためか、僕は幼いころから両親に期待されて育った。特に、父親からは。けれど、僕は二人の才能を上手く継ぐことが出来なかったようだった。……いや、この現状こそがその結果なのかもしれない。


 父は特に勉学に対して敏感な人だった。とにかく、勉強しろ、が父の口癖だった。それほど僕にあからさまに期待していたのは、名門大学を出ていながら中小企業勤めである当時の自分にコンプレックスを抱いていたからだと思う。

 僕は小学校に上がる前から両親の、取り分け父からの期待をひしひしと感じていた。僕は子供ながらにその思いに沿いたいと思っていたし、自分ならできると思っていた。子供の、狭い脳内で、自分なら何だって一番になれると根拠なしに信じていた。

 実際小学生までは、僕は優秀な子供であった。授業中では積極的に発言をし、テストも毎回百点を取った。スポーツ面でも自分は他より秀でていた。体育の授業はもちろんのこと、四年生から始まる部活動ではバレー部に入り、部内のエースとして、また部長として活躍した。両親は僕の功績を讃え、学校の友達からはヒーロー扱いされ、もちろん、女子からの人気も勝ち取った。

 まさに、僕は神童だった。そう、『だった』のだ。これだけの成績を残しておきながら、僕は表向きにはそれらを鼻に掛けることをしなかった。それが一層他人からの好感を買ったに違いないが、けれど、誰にも見せない心の内側で、自尊心が肥大化していったのを僕自信気づかなかった。その頃の僕は、それが醜い感情の固まりであることを知らなかったのだ。


 小学校での成績を讃えられながら、僕は有名な私立中学校へ入学した。けれど、中学校に入ってから早くも半年程で、僕の人生に綻びが現れ初めた。それまで勉学もスポーツもすべてそつなくこなしてきた僕の成績が落ちた。初めて、百点以外の点数を付けられたのだ。それに対し、父は烈火の如く怒った。努力が足りないからだ、甘ったれるな、と。数日は僕の行動を全て成績に結びつけ、怒号が飛んだ。味方は母だけだった。人生、成功ばかりじゃないもの、そんな時だってあるわ。お母さん、あんたが頑張ってるって知ってるから。そう言って、涙目になる僕を慰めた。けれど、結局は父の言葉が正しかった。僕はただ甘えていただけで、努力なんてしていなかった。過去の栄光を盾に、今の自分のすべてを肯定していただけだったのだ。

 中学二年生に上がる頃には、成績は平均ほどにまで落ちていた。毎日父の暴言が我が家に響いた。僕を慰めようとする母の声には疲れが滲んでいた。それでも僕は必要以上の勉強をしようとはしなかった。それまでがそうであったように、他人のように目に見えて努力をせずとも、自分ならできると信じていた。この頃の僕の心の中には、醜い自尊心だけがあったのだ。

 三年生に上がり、成績は平均を下回った。中学に入学した当初から進学しようと思っていた高校は諦めろと先生から言われた。母は僕に学習塾を勧め、母はパートを始めた。

 塾に通うことになっても、僕は何ら変わらなかった。学校の先生ならともかく、何故僕より低学歴になるはずの人間に教えを乞わなければならないのか。その事実が僕の醜い心を刺激した。塾へは形だけ通った。成績は伸びなかった。


 高校は、地元では下から数えたほうが遥かに早いレベルの私立に通うことになった。この頃には、もはや父は何も言わなくなっていた。僕に対しての期待を無くし、それと同時に興味も無くしたようだった。けれど、僕の腹の中にはいつまでも黒い自尊心が居座り続け、なおも成長しているようだった。そして、それを育てていたのは母であったのだと今なら思う。

 母は、怒号を散らし果てには興味を失った父とは違い、いつまでも僕を肯定し続けた。おまえは頑張っている。今は調子が出ないだけ。中学の頃から同じ言葉を聞かせ、僕の中の醜い塊はむくむくと成長した。もはやそれは、僕自身であるかのようでさえあった。


 僕が自分の中に横たわる醜さに気付いたのは、高校三年の夏のことだった。ある日、母が交通事故に遭い、死亡した。突然の出来事だった。家ではあれほど声を荒げていた父も、母の葬儀では静かに涙を流していた。僕も、母の死が悲しかった。それなのに、僕の目からは涙は出なかった。

 それから、母の居ない生活が始まった。とはいえ、生活のほとんどはこれまでとなんら変わらなかった。変わったのは、僕の存在を肯定してくれる人がいなくなったことだ。

 母だけが僕を認めてくれた。肯定してくれた。しかし、今はもう母はいない。父は僕に対して無関心であり続け、学校でも、気付けば僕に注意を払う人は一人もいなかった。それで僕はようやく気付いた。自分の内面の醜さに。自分の人柄のクズさに。


 何の能力もなく、何の努力もせずに無駄に高いプライドを掲げるばかり。過去の功績の上に胡坐をかき続け、足元が崩れていくことに気付けなかった。

 僕は気付いた。けれど、それはあまりにも遅すぎた。

 結局、僕が行き着いた先は地元の小企業の営業部。なんとか底辺の私立大学を出た僕を採用してくれた唯一の企業だった。社会人としての一年目の春。こんな醜い僕でも、自分の力で稼ぎ、自立することができるのだと、入社当初は未来に希望を抱いていた。けれど、結局の話をすれば、僕は何ら変わることはできなかったんだ。

 母が死んだあの日から、僕の心は変わった。自分の内面の醜さを自覚し、それを排して生きようと決めた。けれど、内面を変えることはできても、長年で培われるべきだった能力は急に身に付いたりはしなかった。僕は入社早々に無能な新入社員の位置付けとなった。

 問題や面倒を起こさない日は無かった。お茶汲みから営業先との取引き、事務での書類作成から整理まで、自分にそつなくこなすことができる仕事は無かった。僕の教育係の先輩社員からの暴言は日を増すごとに増大し、彼をなんとか宥めようとする社員たちも、言葉の端々に僕への嫌悪を滲ませていた。

 先輩たちからは罵声を浴びせられ、お局たちからは陰口を叩かれ、少ない同僚からは無視を決め込まれた。

 僕は変わったつもりで居た。あの日に心は入れ替えたはずで、これからはまともに生きようと決めたはずだった。でも結局のところ、僕は自分の黒い醜さの支配から逃れることは出来なかったのだ。長年それに蝕まれた僕が落ち着ける場所など、この世界のどこにも無いのだ。

 そう達観したとき、僕は再度気付かされた。僕は、どうしようもないクズなのだと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ