5話:二人の決断
「――龍翔、くん?」
「――晟」
龍翔は、病院のベッドで再び目を醒ました。
それに気づいた晟が、心配そうな表情で呼びかける。そんな晟を見て、落ち着いた――しかしどこか寂しげな表情を、龍翔が浮かべた。
「目を醒されたということは、記憶は取り戻して頂けましたか?」
「――クロ、か」
椅子から立ち上がり、自分の傍に歩み寄るクロを見る龍翔。龍翔が気を失っていた時間は、ほんの数分程度。しかし、今の龍翔にはそんなクロがさっきまでとは別人として思えていた。
「お前は、俺に記憶を取り戻すためにここに来たのか? それとも、単純に俺を連れ戻すためか?」
「どちらとも、ですかね。私の目的は、『リゥ様』を連れ帰ることです」
「そう、か」
お互いに理解し合ったように話を進めている二人を見て、晟は一人置いていかれる。この場の状況を理解出来ていない晟は何を言っているかさっぱり分からない。
「ね、ねぇ、龍翔くん。なんの話をしてるの? リゥ様って、誰?」
「クロ、お前……少しくらい話しておけよ」
「すみません。この方の立場がどのようなものか分からなかったので、下手なことを口にしてはいけないと思い……」
全く理解出来ていない晟の様子を見て、説明をしていなかったクロに対し龍翔は嘆息する。
そして龍翔は、クロのこと、自分が今しがた体験してきたこと、そして自分の『前世』のこと。それら全てを、自分の口から事細かに説明する。
「――てことは、龍翔くんは元々異世界人で、前世は『リゥ』って名前。それでその異世界では四天王って呼ばれる存在で、歪んだ時空を直すために仕事をして、その最中に死んで、本来なら異世界で生まれ変わるはずなのに、歪んだ時空にいた所為でこっちの世界に転生してきた……ってこと?」
「そうだな。それでその俺をこっちの世界で見つけ、クロが俺を連れ帰ろうとしてるわけだ」
「つまり、龍翔くん……じゃなくてリゥくんは、向こうの世界に行っちゃうってこと……?」
数分に渡った龍翔の説明を経て、晟も漸く話を理解することができた。
しかし、それを理解した途端に龍翔がいなくなってしまう。そんな受け入れ難い事実に、晟はこの上なく落ち込む。
そしていつの間にか、晟の目からはまた涙が零れている。昨日から今日までで、一体どれだけ泣けばいいのだろうか。また悲しみが、晟を覆う。
そんな晟を見て、龍翔は晟を抱き、そっと優しく頭を撫でる。そして――、
「俺は、そっちの世界には戻らない」
「――は?」
クロの方を振り返り、目付きを鋭くして力強くそう断言した。その瞬間、クロは目を見開き、力のない声を漏らす。龍翔の腕の中で泣いていた晟も顔を上げて、目を大きくしながら龍翔の方を見上げる。
「もう一度言う。俺は――天野龍翔は、そっちの世界には戻らない」
「な、なにを……? 何を言っておられるのですかリゥ様! あなたは今記憶を取り戻したはず! あなたのいない世界で、四天王の残りの御三方は大変困っておられます! あなたがここで生きてきた十五年間! ずっと皆様は三人で仕事をなさっているのです! そして今、漸く見つけたと言うのに、戻られないとはどういうことですか!?」
「言ったはずだ。俺は戻らない。んでもって、俺はリゥじゃない。天野龍翔だ」
必死に言葉を尽くすクロに対し、龍翔は自分の意志を曲げない。晟の肩にそっと腕を回し、ギュッと引き寄せる。
「俺はさっき、約束したんだ。何があっても晟を守ると。守らせてくれと、自分から頼んだんだ。そんな話をした直後に、晟を置いてそっちの世界に戻るだと? そんなこと、出来るわけないだろう?」
「――あなたは、自分で何を言っているのか、理解しているのですか? あなたは、その少年だけのために、世界も! 我々も! 全て見捨てるというのですか!? 私たちよりも、そちらの少年を優先すると言うのですか!?」
「そうだ。俺は晟を優先する。俺の一番は晟で、最優先も最重要も、俺の全てが晟だ!」
元の世界よりも、今の世界にいるただ一人の少年を優先すると、そう断言する龍翔。そんな龍翔に、先程までの冷静な態度とは打って変わって、クロも胸の奥から込み上げてきた激情を顕にする。
しかし、そんなクロに対しても、龍翔は一歩たりとも引かない。
「――そうですか、分かりました。あなたがそこまで仰るなら……」
そう言って目を瞑り深く息を吸い込み、息を止める。そしてカッと目を開き――、
「力ずくでも連れ帰ります!」
そう言って、龍翔に向かって戦闘態勢を取るクロ。そしてそれを見た龍翔は晟を部屋の隅に移動させ、一呼吸置いてからクロの方を睨みつける。
「やれるもんなら、やってみろ――ッ!!」
右足を一歩後ろに下げ、手を体の周りで構える。そして腰を少しだけ落とし、クロよりもさらに大きい声で怒鳴る。
そして二人は互いに睨み合い、なんの合図もなく二人同時に一歩踏み込む。そしてお互いの拳がぶつかり合ったと思われた瞬間――、
「はい、ストーップ!」
――突如、クロでも龍翔でも晟でもない、新たな声の介入があった。その声の介入で、激戦の地へ化すのかと思われた病院の一室が凍りつく。
「――お前、は……」
「久しぶりだな、リゥ! 見た目はすンげー変わってるけどっ!」
龍翔とクロの間に割って入ったのは、赤い短髪を揺らす青年。赤く大きな瞳を輝かせ、赤く派手な服装を纏い、まさに全身を赤で統一させた青年だ。歳も龍翔と同じ程の青年は、龍翔を見てカカカと笑いながら肩をポンポンと叩く。
かなり明るく親近感の湧きやすい、周りを賑やかにするクラスの中心となるようなタイプの青年だ。が、明らかに普通の青年ではない。風貌もそうだが、なにより先程の行動。龍翔とクロの本気の拳を、軽々と同時に受け止めていたのだから。
「ゴウ様……」
青年――ゴウと呼ばれたその人物を見て、クロが一歩後ろに下がり、深々と頭を下げる。
そんなクロの行動に、晟は目を見開く。つい先刻、龍翔から聞いた話にもゴウという名前の人物がいた。もし同一人物なのであれば、あの青年も四天王の一人だ。
「よぉ、クロ。帰りが遅いから何があったのかと思って見に来れば、四天王の一人とタイマンか? 偉くなったモンだなぁ、随分」
「返す言葉もありません……」
若干煽り口調のゴウに対し、クロは反論をしないーー否。しないのではなく、できないのだろう。
天使であるクロの低姿勢を見る限り、間違いなくゴウは四天王の一人だ。
天使とは、四天王に仕える存在で、かなり上の地位にあると龍翔が話していた。そんな天使が頭を上げられないのであれば、四天王で間違いないだろう。
「ゴウ、折角来てくれたところ悪いが、俺はリゥではなく龍翔を選んだ。そして何より、『元』四天王だ」
元の部分を若干強調して、あくまでも龍翔であることを貫く。そんな龍翔を見て、病室の隅で沈黙を続けていた晟は、嬉しいような、申し訳ないような、そんな気持ちで何が本当の気持ちなのか分からなくなっていた。
もしかしたら、龍翔を送り出してあげた方がいいのではないかとも考える。しかし、龍翔がいなくなってしまうのは辛い。どうしていいか分からない晟は、ただひたすらに沈黙を続ける。
すると、ゴウは一瞬晟の方を見て優しく微笑み、龍翔の方に視線を戻す。そして小さくなっているクロを余所にして、龍翔に問いかける。
「俺らを差し置いて優先するくらいに、お前はあの子のことが大切か?」
「ああ、勿論だ」
龍翔は、一瞬の迷いもなく断言する。
するとゴウは深く息を吐き、優しい目で笑いながら口を開く。
「なら――」
瞬間、晟の背中が凍りつく。「なら」とは、さっきクロが戦闘態勢を表明した時にも使った言葉だ。
クロと同じ異世界人で、龍翔と同じ四天王の一人であるゴウ。そんな立ち位置にいるゴウであれば、クロと同じ行動を取っても不思議ではない。
クロとゴウの二人掛りとなるなら、実力行使で龍翔が勝てる見込みは殆どないであろうと晟は予想する。勿論、ゴウとクロの実力がどれほどのものか分からないが、記憶を取り戻したばかりで、さらに昨日怪我を負った身の龍翔に、同格の四天王とその四天王に仕える天使。普通に考えれば、四天王だった前世でも危険だ。それなのに、今の状況はその場合よりも明らかに悪い。龍翔の勝てる確率は、それこそ天変地異でも起きない限りゼロだ。
これでもう龍翔とは会えないのだと、晟は理解する。しかし、やるだけのことはやろうと、密かに体に力を込める。そして――、
「なら――そこの後輩君と、一緒に来るンはどうだ?」
「――は?」
「――え?」
「――」
ゴウの言葉を聞き、龍翔と晟は呆気にとられ、クロは無言でいる。
「ン?」
龍翔と晟の反応に対し、ゴウは首を傾げる。まるで、なにかおかしなことでもあったのかと聞くように。
「お前、なにを言って……」
「だってそうだろ? 俺やクロはお前を連れ帰りたい。でもお前はあの少年の傍を離れたくない。そンなら、お前とあの少年をセットにして連れ帰ればいい」
そう言って、ゴウは頭の後ろに手をやって再びカカカと笑う。
「それで、どうだ? その子と一緒に帰って来る気はないか?」
「晟と、一緒に……」
龍翔は晟の方に視線を向ける。すると晟は視線を下げて顔を伏せる。
やはり、ダメか……そんな都合良く行くわけがない。それならやはり向こうの世界には行かない。行けないのだと、龍翔はそう感じた。
そして晟がゆっくりと頭を上げる。
「――いいよ! 俺、龍翔くんと一緒に行く!」
病室に戻ってから約一時間。龍翔と晟の異世界行きが決まった。