4話:前世
「――晟の傍で、晟を守りたい」
そう言って晟を抱き寄せ、抱き寄せられた晟の瞳からは透き通った涙が頬を伝って滑り落ちる。そこにあるのは先刻までの悲しみなどの負の感情とは違い、穏やかで暖かい、嬉しさから来る安堵の涙であった。
「――で、でも、どうして……?」
「晟のことが、好きだからだよ。晟のことが、大好きだから」
「――っ、あり、がと。ありがとう……ありがっ、ありっ、ありがと、ありが、と……っ!」
次々に込み上げる数多の感情に、晟は大粒の涙をボロボロと零す。しかしそれでも、一番大きい感謝の気持ちとその言葉を優先した。
自分を責めず、許し、大好きと言ってくれた龍翔に、晟は感謝の念を忘れない。忘れてはいけないし、忘れたくもない。そしてそれを、しっかりと言葉にして伝える。
その言葉を聞き、龍翔の抱きしめる力が少し強くなるのを感じた。そしてそれに応えるように、晟もまた強く抱き返す。
そうしてる時間は、間違いなく、今までで一番幸せな時間だった。
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二人が屋上から病室に戻ってきたのは、部屋を出てから二十分程経ったあとだった。
幸い、屋上に行くまでの道では誰とも会っていない。晟の話曰く、命に別状はないと言うことを聞き、仕事が終わってから今日も病院に直行する。そう言って龍翔の親も晟の親も夜のうちに家に戻ったらしい。
しかし、全身に怪我を負って一晩しか経っていないのだ。それなのにこれだけ勝手に動き回って、医者に見つかりでもしたら怒られるのは必然。そんなことを笑いながら話して、二人は少し急ぎ足に病室へ戻る。
そうして二人は病室まで戻り、扉を開け部屋に入った瞬間――正確には、部屋に入ろうとした瞬間だろうか。二人の頬が、一気に強ばる。
龍翔と晟以外、誰も使っていないはずの病室。そこに、人影が見えたのだ。
二人がいないことに気付いた医師。しかし、それにしては病院の中が静かすぎる。もし二人がいなくなったことに気づけば、病院内は慌てた医師や看護師などがいても不思議ではない。寧ろ、いない方が不思議なのだ。
つまり、そこにいるのは他人である。隣の晟の反応を見る限り、晟の知り合いでもなさそうだ。それでは一体、この人物は何者なのか。それが分からない今、龍翔は静かに晟を自分の後ろへと引っ張る。万が一、晟だけでも逃せるための行動だ。
しかし、その不安も、警戒も、行動の意味も、その人影の最初の一言で見事に打ち砕かれる。
「――おかえりなさいませ。お迎えにあがりました」
「――は?」
「――え?」
二人を――否。龍翔を前に、深々と丁寧に頭を下げる謎の人影。黒く、肌の露出を限りなく抑えた服を纏い、長めの黒髪で顔の左側を隠している背の高い女性。そんな女性は、髪で隠していない方の赤く細い右目で龍翔の目をひたすらに覗き込んでいる。
想像していた未来に掠りもしない現実。目前の光景に、二人の疑問は尽きない。おかえり、お迎え。身に覚えのない言葉が、二人の疑問を深める。
「あぁ、失礼しました。先ずは自己紹介からしないとですよね」
コホンと咳払いをした後に、正しかった姿勢をさらに正す女性。そして右手を腹の前に置き、再び口を開く。
「私は時を司る『天使』、クロと申します」
――は?
少しは理解できるかもと期待して聞いた自己紹介で、まさかの疑問の追加。
時を司るとはなんなのか。天使というものが存在するのか。存在するのだとしてもなぜ今現れたのか。理解ができない。できるわけが無い。
――それなら、聞くしかない。
「て、天使……ってのは、どういう? 分かるように、説明してくれないか?」
「あ、はい。そうですね。私としたことが少々焦ってしまいました。先ずは腰を下ろして、落ち着いてから話しましょう」
説明してくれとの頼みを、即座に頷き承諾したクロ。その態度から敵意がないことを確認し、二人も落ち着いて話し合うことを選択した。
この人物が、不審者であるかを確認するために。
「先ずは、私の立場からお話します。私の名前はクロ。先程も言った通り、時を司る『天使』です。私が来たのは、この世界とは別次元の……この世界でいえば、『異世界』と言ったようなものからですね」
そんな現実味のない話に、龍翔たちは正気を疑う。が、嘘をついているような様子は微塵もしない。頭のネジが外れたコスプレイヤーの悪戯か、頭のイカれた不審者の奇行か。そんな疑いが無くなったわけではないが、とりあえず全て聞くことが最善。龍翔はそう判断し、黙って聞き続ける。
「私が来たその世界は、こちらでは伝説となっている存在などが多数共存する世界です。四天王を初めとし、それに仕える天使が私ともう一人。『場』を司る天使がいたりします。その他にも色々な存在がありますが、今はこの二つだけで十分です。そこで私が来た理由ですが、先程も言いましたとおり、あなたを迎えに来ました」
そう言うと、クロは龍翔の方をじっと見る。『あなた』という単数形から、迎えに来たのは龍翔のみなのだろう。それでも、意味のわからない話だが。
見つめられる恐怖で一瞬目を反らした龍翔だが、その後直ぐに向き直り、恐る恐る口を開く。
「さっきから、言ってることの意味が分からない。迎えってのは、なんだ? 死とか、そういう類のものか? だとしたらそれは待ってくれ。まだ俺は生きているし、今のところ死ぬ理由もない。死にたいとも思わない。だから……」
「いえ、そうではありません」
話の意図が掴めていない龍翔の考えは、どんどんと悪い方向へ向く。いつの間にか不審者などの疑いが頭から消え、無駄にリアルな話を信じ込んでしまった。
そしてあともう少しで平静を保てなくなりそうだった龍翔の言葉を、クロが打ち切る。
そして一呼吸置いてから、説明の続きを始める。
「良いですか? 私が迎えに来たのは天への誘いではありません。この世界とは違うところへ誘うといった意味では同じになるかもしれませんが、少なくとも死ではありません。私は、あなたに元の世界へお帰りいただくため、お迎えに上がっただけです」
今の説明で死への恐怖は消え、何とか平静を保った龍翔。しかし、それでも龍翔の疑問が尽きることは無い。クロの言う、『元の世界』とはなんなのだろうか。天野龍翔は、この世で生まれこの世で育った。別の世界に行ったことなど、記憶にない。
「説明だけでは理解するのが難しいかもしれませんね。だとすると、少し記憶を取り戻して頂きたいと思います」
「記憶、を?」
「はい、そうです。あなたの過去……ではなく、『前世』の記憶を、取り戻して頂きます」
そう言って、クロは椅子から立ち上がる。すると、先端部分に水晶を乗せたクリスタルワンドのようなものを浮かび上がらせ、龍翔の方へ向ける。
そして杖の先端を軽く回した瞬間、握り拳ほどの大きさの水晶が突然と発光。その光に包まれた龍翔の意識は、今いた世界から一瞬で隔離された。
「龍翔くん!?」
気を失い、急に倒れた龍翔を見て、晟は咄嗟に龍翔の肩を持つ。
「大丈夫です。記憶を取り戻して頂くまで、少しの時間気を失うだけです。彼に記憶が戻れば直ぐに意識は回復します。五分もあれば戻ってくるでしょう」
そう言って、クロは椅子に腰を掛け、晟は龍翔をベッドの上に寝かす。
そして、龍翔の意識が戻ってくるのをじっと待っていた。
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ぐるぐる、ぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるるるるるぐぐぐるぐぐるるるるぐぐぐぐるるるるるる……
目が、視界が、脳が、回る、崩れる、落ちる、吸い込まれる、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い……
まるで洗濯機の中に入れられたような、滝つぼに飲み込まれたような、ブラックホールに迷い込んだような、時空の歪みとも言える空間で、ただひたすらに掻き回される。脳が、内臓が、血管が、筋肉が、思考が……
掻き回され、掻き回され、掻き回され、掻き回され、掻き回され、掻き回され……
――落ちる
真っ暗な無の空間に落とされ、次の瞬間、闇が光に包まれる。
その光には、これまでの生活が映っている。だが、それだけではない。
「――遡ってる、のか?」
映し出される生活は、自分のこれまでの行動を遡っている感じだ。
その後生まれる直前まで遡り、プツリと映像が途切れる。
そして再び映像が映ると、今度はそれに合わせて声が聞こえる。
『――ゥ! まだか!?』
『――だ! まだかかる!』
『早くしねぇと持たねぇぞ!』
『もうあと少し――!』
『はやく!!』
そしてまた、途切れる。
そして、遡る。
『俺がやる』
『馬鹿か! やめろ!』
『それは僕も、反対だね』
『好きにすればいい。が、勧めはしない』
また、途切れる。
また、作られる。
途切れ、作られ、切られ、結ばれ、折られ、付けられ、外され、嵌められ、消えて、生まれる。
次々に遡っていく。目まぐるしく、巻き戻っていく。
次の瞬間、再び映像がピタリと止まる。
『これで、あんたらはウチらに変わる新しい四天王やなぁ』
『我々を遥かに凌駕する其方らのその力、認めざるを得まい』
『オレらが四人がかりで負けることなんて、マジになかったことだかんなー』
『私も、久しぶりに敗北感を味わいましたね』
『それでは、頼みましたよ。リゥ、ゴウ、レイ、ゲン』
『『『『――は』』』』
椅子に腰をかける五人と、床に片膝をつく四人。
そしてその空間は光に飲み込まれる。
――タ、カタカタ、カタカタカタカタタカタカタタタカカタタカカタタカタカカカカカカタタタタカカタカタカタカタ……
無数のピースがどんどん嵌る。喜びも、悲しさも、楽しさも、辛さも、嬉しさも、苦しさも。
どんどんどんどん、嵌って、嵌められて、揃って、作られて、埋まっていく……
――カチッ
最後のピースが埋まり、龍翔は元の龍翔ではなくなる。
――そして、全てを思い出した。