3話:大切な貴方へ
「――ぁぅ」
強い日差しに照らされて、龍翔は病院のベッドで目を覚ました。
「龍翔、くん……?」
目を覚ました龍翔に、すぐ近くから名前を呼ぶか細い声。そんな声のした方に顔を向けると、そこには晟が椅子に腰をかけて座っていた。
驚いたように目を見開き、慌てたように口を震わせ、瞬き一つしない目で晟は龍翔を見つめる。
「晟、か……」
すぐ真横にある顔見つめ、名前を呼んで確認する龍翔。そんな龍翔の反応に、晟は無言で頷く。
そして龍翔は、意識を失う前のことを思い出すように目を瞑る。
――久しぶりの母校。そこで嘗ての担任と出会い、その後卓球部へ。そして後輩たちの練習に混ざり、その帰り際に起きた突然の火災。晟を助けるために止める声を無視して、火の中へと飛び込んだ。
意識を失う前のことについては、大凡思い出せた。だが、一つだけ気になることがある。どうしても聞かなければいけないことが、一つ。
「――怪我、大丈夫か?」
予想外の龍翔の言葉に、晟は目を丸める。自分の所為で大怪我をさせてしまい、何を言われても仕方がないと、晟はそう覚悟を決めていた。
しかし龍翔は、そんな晟を責めるどころか、心配してくれていたのだ。
そんな言葉を聞き、晟はずっと勘違いしていたことに気付く。苦しそうな寝顔を見て、自分の所為で苦しませていると、そう思っていた。
だが実際は違う。龍翔は、寝ている間もずっと、晟のことを心配していたのだ。
「――大丈夫」
俯いたまま、晟は静かにそう答える。晟の怪我は軽い火傷で、龍翔から貰った服を被っていた為かなりの軽傷だった。
「そうか。なら良かった」
大丈夫、という言葉を聞き、龍翔は優しく微笑んだ。
「でも、龍翔くんは……」
そう。優しく微笑む龍翔は、とてもそんなことができる状態ではないはずなのだ。
それなのに龍翔は、全身に走るはずの痛みを全く感じさせないように振る舞う。傷の量からして、痛くないはずがない。痛みで声が出せなくても、当たり前の状況なのだ。
全身に火傷を負い、右肩の脱臼と右足の骨折。
火傷は言うまでもないが、崩れている壁を体当たりで突き破った時と、地面に飛び込んだ時。そのどちらも晟を庇うようにしていたおかげで、右半身を駆使しすぎたのだ。
体には無数の擦り傷や切り傷が残っていて、今も全身に包帯を巻いている状態。幸い脳や内蔵などに問題はなく、火傷も皮膚呼吸ができる程度ではあった。
しかしそれでも、笑えるような状況ではなかった。
笑えるはずがないのに、龍翔は笑っている。晟の無事を、心から喜んでいる。
自分を火中から助け出した後でも、まだ尽くしてくれている。そんな龍翔の想いに気づき、晟の目から涙が零れる。
「――俺の、せいで……俺が、自力で逃げてれば……龍翔くんは、こんな……こんなことには……!」
「晟……屋上、行こ」
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痛いはずの体を駆使して、龍翔は晟と病室を出る。
松葉杖を使いながら、晟に少し支えてもらい、なんとか屋上へたどり着く。
そして龍翔は、後ろにいる晟の方を振り向いた。二人の目が合い、一呼吸置いた龍翔はゆっくりと口を開く。
「晟、そんなに自分を責めるなよ。誰も、晟が悪いなんて思ってない。俺は、晟が無事で本当に良かったよ」
真っ直ぐに晟の方を向き、龍翔はそう言って微笑む。
嘘でも、冗談でもない。龍翔は心の底から、そう思っているのだ。
「でも、俺の所為で龍翔くんは、こんなに怪我して……」
そうだ。そんなに言われても、龍翔に怪我をさせた事実は変わらない。そんな事実を他の誰が許しても、自分はそれを許さない。
許さないと、晟はそう決めていた。そう決めていたのに――、
「でも、生きてるだろ」
「え……?」
またしても、晟の心が揺らぐ。
「俺も晟も、どっちも生きてる。意識はあるし、今はそこまで痛くない。でももし、あそこで俺が助けに行かなかったとしたら、晟はどうなってた? 今、ここにいたか? 俺の目の前に、いてくれたか?」
いない。いるはずがない。当然だ。あの場で龍翔が助けに行かなかったら、明らかに命を落としていた。
しかし、だからこそ、自分を許し難い。自分の命と引き換えに、龍翔に大怪我をさせてしまった自分を、晟は許すことなど出来ない。
「――俺はさ、めっちゃ弱いんだよ」
それでも、龍翔だけは許すも何も無く、初めから晟を責めるつもりなどなかった。
龍翔の質問に、答えを声に出せなかった晟。黙り込んで俯く晟に目を向けながら、僅かな沈黙の後、龍翔はゆっくりと話の口を切った。
「自分一人で生きていく力なんてない。俺が他人より優れてるとこなんて、少し力があって喧嘩ができるくらいだ。頭も悪いし、成績なんて散々だよ」
右手で作った拳を顔に近づけながら、自分の弱さごと全てを掌握するように力強く右手を握りしめる。
「人の好き嫌いも激しくて、短気なのもあるから直ぐにストレスが溜まってどうしようもなくなる時がある。いつかみたいに、わけわかんないくらい暴走することもある」
晟と出会ってからはまだ一回も暴れていないが、その前には何度か問題になりかけたこともある。実際、問題になったこともないと言えば嘘になる。
そして、晟もそんな話を聞いたことがあった。
「だから、誰かに頼らないと生きていけない。誰かに支えてもらって、心の拠り所がないと、俺は生きていけないんだ。そんな俺だから、これまでに何回も晟を頼った」
そう言いながら、龍翔は空を見上げた。
「覚えてるか? ジェットコースターが苦手で、晟と一緒に乗ったこと。あれ、本当に辛かったよ。晟がいなかったら多分泣いてた。マジで怖すぎる」
幾つか思い浮かぶ中から、かなりライトな物を選んで思い出話に入った龍翔。「ははは」と笑いながら愉しげに話す龍翔に、晟の頬も少し綻んだ。
「晟がいるってだけで世界が変わって見えて、話してるだけで気分が良くなって、晟の顔見ると心底心が落ち着く。晟がいなかったら今頃、きっと俺は擦り切れてたよ。夏休みなんて迎えられないまま、高校辞めてたかもしれない。そもそも高校に入れたかもわからない。それだけ、晟は心の支えだったんだ」
空を見上げていた視線を下ろし、再び晟と目線を合わせる龍翔。そして二人の目が合うと、龍翔の顔は笑顔から一転。キリッとした真顔で晟を見つめ、濁さず真正面から言葉をぶつける。
「だから、そんな晟を見捨てることなんて出来ない。――出来ないし、したくないんだ。それは、前にも言った通り、今も変わってないし、これからも変わらない」
これが、今までずっと溜め込んできた言葉なのだろうか。或いは、これでもまだ一部なのだろうか。晟の頭はそんな疑問でいっぱいだ。
しかし、一つだけ言えることがある。
それは、この言葉に嘘がないということ。自分を心の拠り所にしてくれていること、毎日頼ってもらえていたこと、それだけ大切にされてきていたこと。それら全てを、晟は理解することができた。
とはいえ、やはり疑問は尽きない。嘘じゃないと、真実だと分かったからこそ、疑問は尽きない。
「なんで、そんなに……」
ぽつりと、晟は呟く。
「なんでそんなに、俺に頼ってくれるの? 俺、多分何もしてない。出来てない。特別なことなんて、なんにも……」
自分が特別龍翔にしてあげられたことなど、これまでにたったの一回もない。誰でも出来る、というわけではないが、晟にしか出来なかったことはない。少なくとも、他にもそれが出来る後輩はいた。
そんな風に疑問が尽きない様子の晟を見て、遂に今までの気持ちを言葉にして伝える時が来たのだと、龍翔は確信する。
今までずっと冗談めかして、本音としてはひた隠しにしてきた晟への想い。それを、言葉にして伝える時が――伝えなくてはならない時が、愈々来たのだ。
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「――俺は晟が好きだ」
青く透き通り、雲一つない快晴の空の下。とある病院の屋上で、龍翔が晟と向き合う。龍翔はゆっくりと手を伸ばし、今の発言に目を丸くしている晟の頬に手を触れる。
柔らかく、僅かな弾力のある、温かい頬の温もり。それを両の手全体で感じながら、己の心の中で好きだという感情が高まっていくのを自覚する。
そして龍翔は、言葉を繋げた。
「俺が今回行動した理由は、全て晟にある」
しっかりと目を合わせ、視線を逸らすことなく、もっと言えば瞬きもしていなかったのかもしれない。頬を触られていた晟は呼吸すらも忘れていた可能性がある。
ふざけた要素など微塵もない。そこには素直な気持ちと、真っ直ぐな想いがある。
晟の頬に触れていた龍翔の手は、心情の変化からか晟の両肩へと場所を移している。
しっかりとその存在を確かめるかのように、グッと力を込めた手で、己の中で『成し遂げる』という覚悟が高まっていくのを感じる。
「晟が好きで、晟が大切だから――」
二人の視線は一ミリも動かず、動かないその瞳には、お互いの目がしっかりと映っている。車の音も、風の音も、人の声も、虫の声もしない。
二人以外の時間が止まっているようなその世界で、龍翔は一呼吸置き最後の言葉を放つ。
「――晟の傍で、晟を守りたい」
そう。それは決してかっこいい言葉ではなく、気取ることでもない、シンプルな希望であった。
だがその言葉が、目の前の晟の気持ちを揺るがし、そしてこの先の二人の未来をも動かすことになる……
二人のこれからの、『原点』だった。
今回は名前を出せたことからプロローグの部分と少し文章を変えています。
プロローグと同じサブタイトルにしようかとも思いましたが、今回はサブタイトルも変えさせていただきます。