7話:翼の想い
時刻は夜中の十一時を回り、既にアキラたちと共に家へ帰って来ていたリゥは入浴や夕飯を済ませ布団の中へと身を投じていた。
ここ最近は、毎日のように六人で夕飯を済ませ六人で風呂に入っている。龍翔の頃から夢見ていた後輩との完全同棲が、完璧に実現されているのだ。
そしてそんな最高とも呼べる至福の日常に、今夜は別のオプションが付く。
「えへへ……龍翔くんと一緒に寝るの久しぶり」
シングルにしては少し大きく、ダブルにしては少し小さいベッド。いつもは寝返りを打つにも若干余りあるスペースに、今は薄暗がりの中で心底嬉しそうな笑みを浮かべる翼がいる。
久しぶり。確かにそれはそうだろう。中学を卒業し高校に入学してから、龍翔が後輩たちと会う機会はめっきり無くなった。
春休み中は翼が毎日のように家に押しかけて遊んでいたが、それも新学期が始まるまでの数週間だけだ。各々学校が始まってからは部活等で何かと都合が合わず、一学期の間は全く会えていなかった。
そして漸く夏休みが始まり龍翔の母校訪問でやっと会えたかと思えば、晟と共に謎の失踪を起こし二ヶ月間も音沙汰が無くなる。その間、こうまでして甘えてくる翼はどれだけの思いでいたのか。それは既に、今のリゥには到底計り知れない域にまで達していた。
「もう、勝手にいなくなったりしないよね……?」
ついさっきまでリゥと二人で寝ることにこの上なくはしゃいでいた翼が、布団に入り部屋の電気を消すとか細い声でリゥに問いかける。
お互い向き合うように体を横にして、二人のちょうど中間の頭上にある常夜灯がぼんやりと二人の顔を照らす中。翼の顔は、既に先刻までの明るい表情を失っていた。
「――ごめんね。翼とは夏休み色々やる約束してたのに、全部出来なかった。でもその代わり、ちゃんとこっちでやろう」
海、プール、夏祭り、花火。そんな夏の風物詩の他にも、またテーマパークへ行く約束や遠出の旅行に行く約束もしていた龍翔。しかし、前世の記憶を思い出したあの日に、龍翔はリゥへと変わってしまった。
夏休みの約束を、何一つ守れないまま。
「ううん。そんなことどうでもいい。確かに龍翔くんとやりたいことはあるけど、それは龍翔くんと一緒にいたいからだもん。俺は、龍翔くんと一緒にいられればそれで良かった。海とかプールとか行かなくても、龍翔くんさえいてくれれば……それで良かったのに……!」
口を開き言葉を発すれば、その言葉に乗って心の奥底へと押し込めていた感情が次々と溢れ出て来る。言葉にして伝えようとすると、泣くほどに辛かった日々の記憶が再び翼の脳裏を駆け巡るのだ。部活も宿題も何もかもを後回しにし、夏休み中翼はずっと龍翔と晟を探していた。
毎日起きては龍翔の家に行き、まだ帰って来ていないことを確認しては日が暮れるまで探し歩く。自転車で街の中を走り回り、電車に乗り、バスに乗り、時にはヒッチハイクまでして四六時中龍翔を探して回った。
「俺……ずっと龍翔くんに会えるの楽しみにしてたのに……あんな手紙一つでいなくなっちゃうなんて……」
この世界に戻って来る直前、リゥが龍翔として最後に残した手紙。その内容はかなりシンプルなもので、晟と共にいなくなること、両親や翼たち後輩への謝罪と感謝、そして最後に、探さなくていいということ。
しかしそんな龍翔の手紙は、翼の心をより一層掻き乱していた。
「なんで、俺のこと置いて行ったの……? 龍翔くんが行くなら、俺だって絶対について行くのに……なんで晟くんだけ連れて行って、俺には何も話してくれなかったの?」
「そ、それは……その……翼がそこまで好きでいてくれてるって思ってなかったっていうか……急にそんな事言われても、困るかなって思って……」
「そんなわけないじゃん! え、なんで? 俺より晟くんの方が龍翔くんのこと好きだと思ってるの? なんで? 晟くんの方が早く仲良くなったから? 龍翔くんが晟くんのこと好きだから? なんで、なんで……俺はずっと、ずっとずっと、あのクリスマスの日から、ずっと龍翔くんのことだけ好きだったのに……!」
薄暗く静かなその部屋の中で、翼はリゥの服をギュッと掴み布団を涙で濡らしながら話し続ける。
自分がどれだけ龍翔が好きなのか、龍翔のためにどこまで出来るのか。その想いが全く伝わっていなかったことに、翼は今までに無いほどのショックを受ける。
自分への想いが一番にならなくても、龍翔への想いは自分が一番だと翼はずっと思っていた。それは龍翔の両親よりも、晟よりも、優輝たちよりも、誰よりも強いと、そう思っていた。龍翔のためなら、何でも出来るのだと、何でもやるのだと、そう決めていたのだ。
「――龍翔くんが晟くんのこと好きなのは、別にいいよ。晟くんが一番って言うならそれはそれでも全然いい……」
「つ、翼……?」
「でも、龍翔くんを想う気持ちは、絶対に俺の方が強いから。そこだけは、晟くんにも絶対に負けない。俺は、誰よりも龍翔くんのことが好きでいたいの。俺の一番は龍翔くんで、龍翔くんを好きでいる一番も俺だから」
布団の中に埋めていた顔を上げ、翼は赤く充血した目を龍翔に向ける。
「――ごめんね、翼。翼がそこまで想ってくれてるのは……知ってたはずなのに、知らないっていうか……あの時は全く考えられなかった。でももう大丈夫。翼の気持ちは、ちゃんと理解した」
「ほんとに? じゃあもう俺を置いてどっかに行ったりしない?」
「うん。もう翼を置いてどこにも行かない。――まぁさすがに少し離れることくらいはあるよ? でも、何週間も何ヶ月も、翼に寂しい思いはさせない」
「良かった……」
翼はきっと、本当に龍翔のことを一番好きでいる存在だろう。
勿論好きという気持ちは数値化出来ない上に優劣など付けるべきではないが、自分が一番でないことが分かった上でそれでも尚好きでい続けるというのはかなり難しい。
それでも、翼は相手に好かれるということよりも、自分が好きでいるという事実の方を大事に思っている。自分が誰よりも龍翔を好きでいるということに、絶対的な価値を見出しているのだ。
「ねぇ、龍翔くん」
「ん?」
「龍翔くんのことさ、これからりゅーくんって呼んでもいい?」
「お……? 別にいいけど、なんで急に?」
伝えたいことを伝えきりある程度落ち着いたのか、全く角度の違う話への切り替えに若干戸惑ったリゥ。リゥからすれば翼たちの性格は全てが魅力なのだが、翼の切り替えの早さは目を見張るものがある。
「別に特に理由はない。本当はもっと早くそうやって呼びたかったんだけど、なかなか機会が無くて。これからまた忙しくなりそうだし、今かなーって」
「明後日デートなのに?」
「えへへ……」
「可愛いなぁもぉぉぉぉ……!」
明日もう一度買い物しこの家での生活環境を整えれば、その次は翼と二人きりのデートだ。そうなればその日は丸一日翼だけの時間になるわけだが、それを知っていてなのか忘れていてなのか、舌を出して笑い誤魔化す翼をリゥはギュッと抱きしめる。
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「ん……っ、んん……」
顔に感じた僅かな違和感に意識を覚醒させ、力の入らない瞼をゆっくりと開けるリゥ。ボヤける視界には確かに陽の光らしきものが感じられるが、それも何かに遮られているかのように僅かに漏れた程度の明かりだ。
「ぅ、ぁ……んん……?」
「はえ、ほーおひはお?」
「――っ!?」
完全に目が覚める直前。意識よりも先に目の方が光に慣れると、リゥはすぐ目前に映った物と顔への違和感に一瞬で意識を覚醒させた。
「つ、翼!? 何やってんの!?」
「んー……可愛くて見てたら触りたくなって、触ったら柔らかくて気持ちかったから食べたくなっちゃった」
リゥが顔に感じた違和感は、頬に当たる柔らかい感触と軽く引っ張られるような僅かな刺激。その正体は、唇でリゥの頬を摘んでいる翼だ。
起きた瞬間にリゥの目が捉えたのは、緩んだ襟から見える人の上半身。傷一つ無く、真っ白ですべすべな肌に一瞬見惚れそうになったリゥだがすぐにその異常性に気付き、直後頬に感じられた感触に息を飲んでいた。
そしてそんなリゥの至極真っ当な反応に、翼はてへっと舌を出して見せる。
「あ、ちゃんと歯磨きしてからやったよ?」
「いや、そういう問題じゃ……んまぁ翼ならやっぱいーや。うん、翼なら歯磨いてても磨いてなくても大丈夫!」
「――自分で言うのもあれだけどさ、俺も俺だけどりゅーくんもりゅーくんだよね。普通ならこんなの怒っても不思議じゃないのに……」
「ほんとにそれやった本人が言うことじゃないな……」
寝ている相手の頬を食べるというのは、相当な関係でもなければ歯磨きどうこうの問題ではない。しかし、それを全く気にしないと言ったリゥも確かに相当なものだ。
決して翼本人が言えたことではないが、翼も翼ならリゥもリゥなのだ。
「でもまぁ、翼は俺が怒らないと思ったからやったんでしょ?」
「んー……本当はどうしてもやりたかったからやったんだけど、言われてみればたしかにそうかも」
普段よりも睡眠の質が良かったのか早く起きてしまった翼は、これまであまり目にしてこなかったリゥの寝顔にいつの間にか心を奪われていた。そしてその後の行動はほぼ無意識下に於いて行われ、気付いた時には既にこの状況だったというわけだ。
しかし、翼は基本リゥに嫌われるようなことはしない主義だ。感情的になることが多いため必ずしないとは言い切れないが、それでも自制心が効く限りは嫌われる可能性のあることは一切しないように心掛けている。
「翼にある程度の自制心がないなら俺今服着てなかっただろーし?」
「う……」
「まぁそーゆーとこは律儀で偉いよなー。だから俺も安心して翼と一緒に寝られるんだし」
若干揶揄うように笑みを向けたリゥに図星を突かれ、言葉を詰まらせて苦い顔をする翼。そんな翼の頭をリゥは優しく撫で、今度は純粋な笑みを浮かべる。
「それじゃ、皆が起きるまではもう少し二人の時間を楽しみますかー」
「うん!」
「何する? 俺が教えてあげるから一緒に朝ご飯でも作ってみる?」
「ほんと!? じゃあ俺あれ作ってみたい――」
そんな会話をしながら、仲良く手を繋いでキッチンへと向かうリゥと翼。
そして二人はそのまま朝食の用意をし、アキラたちと朝食を食べ終えると六人揃って再び繁華街へと向かった。
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「それにしても、晟が貰ったそれめっちゃ便利だね」
「うん! 使うの難しいのかなって思ってたけど全然そんなことないし、めっちゃいい!」
そう言って、昨晩シロから受け取った宝天玉杖を手に万遍の笑みを見せるアキラ。昨日は買えなかったサイズの大きい物を買ってはその水晶に収納し、既に二時間は買い物をしているがリゥたちの持ち物は全く増えていない。
元々、クロが使っていたこの宝天玉杖は時を司る能力しか持っておらず、本来ならば収納という能力は一切持たない。しかし、取り付けられている水晶にシロが術式を編み込んだことにより、本来持つ能力とは別に収納の能力を得ているのだ。
「んー……大体買うものは買ったんだけど、他に買いたいものある? 部屋になんか欲しいなら全然買うけど」
「あ、じゃあさ! この近くに本屋みたいな所ってある? もしあったら行ってみたいんだけど……」
「本屋ね、おけ! すぐ近くに大きい本屋があるからそこ行くか」
そう言って、リゥは蓮の要望通りに書店へと向かう。
「なんか読みたい本でもあるの?」
「うん! 物理法則とか電気の仕組みとか、向こうの世界と違ったりしたら新しく勉強しないといけないでしょ? だから勉強しようと思って!」
「おお……まじで勉強熱心だな……」
「だって将来研究職に就くの夢だったし! しかも今作りたいものが出来たから、そういうの作るためには知識が必要でしょ! 向こうじゃこんな早く出来なかったもん! 楽しみ……!」
書店に足を踏み入れた瞬間、その広さに気後れすることも無く天井から吊るされた案内板を確認して足早に突き進む蓮。そんな蓮の表情はいつになく愉しげで、足取りも軽くもはやスキップにも近い。
まだ中三で就職は九年以上先だった蓮からすれば、やりたいことが早く出来るようになった現状が相当嬉しいのだろう。
「電気と科学と……化学も見なきゃだよね。後はこれと、後そっちも……あ、あれは別コーナーかな……?」
背表紙で題名を確認し、目が惹かれればその中身をチェック。そしてイメージに合ったものであればそのままキープし、再び別の場所へと移動する。
「なんか、あんなに活き活きしてる蓮って初めて見る……」
「んね。本屋とか図書館とかは一緒に行ったことあるけど、あんなにいっぱい抱えてる事はなかったな……」
大量の本を抱えて次々と移動する蓮について行きながら、初めて見る蓮の新たな一面にリゥたちは驚きと感心を抱く。ストイックなほどの知識欲は、学力に乏しいリゥたちを動かす頭脳となり、時には主力の柱であるリゥを補助する支えにもなるだろう。
蓮が何をやりたいのかは未だ皆目検討もついていないが、将来的には必ずリゥたちの助けとなる。それだけは、リゥたち全員が揃って相違なく予想できることだ。
「――俺も、頑張って早くりゅーくんの役に立てるようにならないとね」
「そう? 俺的には翼がいてくれるだけで十分嬉しいぞぉぉぉ」
目の前で蓮の有望性に期待の眼差しを向けていたリゥの横で、対抗心を燃やして拳を握る翼。しかし、リゥからすれば翼だけに限らず蓮もアキラも優輝も蒼空も、彼らが傍にいてくれているだけでいつも満足している。いつまでも慕ってくれる後輩は、近くにいるだけでリゥの活力になるのだ。
そしてそれを表現するために、リゥは少し張り詰めたような表情を見せた翼に激しく頬擦りをする。
「それじゃだめなの! 俺も蓮くんと同じでやりたいこと決まってるもん!」
「お、そーなの? 何やりたいん?」
「俺もまだ秘密! まだ出来るかも分からないし、ちゃんと出来てから教える!」
「えー、翼も内緒なのー? もー!」
既に動きだした蓮に続き、まだ動き出せてはいないまでも既にやりたいことを決めていた翼。しかしそんな翼も蓮と同じく詳しいことは秘密とし、翼たちのやりたいことを叶えるために手伝いたいリゥは歯痒い思いがさらに重なる。
「まぁなら仕方ない……楽しみにしてるか」
確かに二人を手伝えないというのはリゥにとってかなり歯痒いものだが、裏を返せばそれはサプライズという形になるということだ。自分を慕ってくれる後輩を手伝うことは確かに先輩冥利に尽きるが、後輩からのサプライズにも惹かれるものはある。
ここは二人を信じて首を引っ込め、未来のサプライズに期待を込める。
そしてリゥは特に詮索することもなく蓮が選んだ本を全て購入し、そのまま何事も無く家へと戻った。




