第一章 ハンガーノック その3
シンデレラがガラスの靴の持ち主を探している。
そんなうわさが校内を駆け巡っていた。きっかけは、交流委員会の用事で英輪を訪れた伊澄さんの人探しだった。
「この学校に、明るく、前向きで、癖毛の生徒はいらっしゃいませんでしょうか?たぶん2年生だと思うのだけれど、先日大変お世話になったの。是非お礼をさせていただきたいのだけれど、名前を伺い損ねてしまって。思い当たるような方がいらっしゃったら教えてくださらないかしら」
体育館裏での逢瀬は先週の土曜日、今日は水曜で、伊澄さんが学校に訪れたのが昨日の放課後の活動時間。それも、昨日はわざわざ脚を運ぶ必要の無いような用事の為にわざわざ来たというのだから、おそらく、人探しが主目的だったのだろう。
まさか、事件発生から3日で公開捜査に踏み切るとは思わなかった。しかし、「明るく、前向き」なんて特徴で探している限り、私にたどり着く事は無いだろう。あの時そんな風に振舞ったつもりは無いのだが、彼女にはそう見えていたのだろうか。
本来なら、ガラスの靴の持ち主を探すのは王子様だが、そこは伊澄さんが対象であるからして、シンデレラに例えられてしまったようだ。学校で友達の居ない私のところまで話が聞こえてくるのだから、いかに校内で伊澄さんの行動が注目されているのか良くわかる。
お世話になったのは私の方なんだけどなぁ。
残念ながら、私の方から名乗り出る気は毛頭無い。何せ、もう一度出会ってしまったら、私は彼女と「お友達」にならなければならないのだ。勿論、彼女が嫌いなわけではない。問題は私の方にある。私のような冴えない生徒が、白金のお嬢様と親しくするなんてとんでもない。きっと彼女と自分を見比べては、自己嫌悪を繰り返す事だろう。あの日彼女と会話する事が出来たのは、自転車とサイクルジャージのおかげだ。自転車を始めて以来、私はそれに係わっているときだけ、自分の感情や希望を素直に表現できるようになった。今まで所属してきたコミュニティとは全く異なる世界に脚を踏み入れて、色々な事をゼロから学び、過去の私を全く知らない人と繋がっていく。大嫌いだった学校の私ではなく、新しい私がそこにもう一人生まれたような気がしているのだ。
今日も一人で、教室の片隅で身を縮めて丸くなり一日をやり過ごす。学校の私はそれでいい。家に帰ればロードに乗れる。夕暮れの中を走るものいいし、室内でローラー台を回すのでもいい。バイクのメンテもしておきたいし、基礎トレーニングとしてストレッチや筋力トレーニングも少しづつ初めている。SNSで自転車で知り合った仲間達と話すのも楽しい。早く帰って、自転車の世界に戻りたい。
放課後、終業の挨拶の直後に教室を抜け出す。華やかな女子高生達と同じ場所に必要以上に留まるなんて居た堪れない。駐輪所に直行して通学自転車を引っ張り出す。通学用に使っているのは一般的なカゴ付きの軽快車。内装三段の変則付きだ。
さっそく乗って校内を移動していると、校門の周辺にちょっとした人だかりが出来ていた。なんと驚くなかれ、白金学院交流委員の入り待ちをしている生徒達が居るのだ。お嬢様校白金の中でも特に優秀な生徒とされる交流委員メンバーは、英輪の生徒達の間でも人気がある。特に委員長の伊澄さんともなればその人気はすさまじく、少しでもお近づきになりたいと、委員の選出に漏れた生徒達までもが、活動予定のある日にはこうして校門で待ち構えているのだ。
その人だかりがざわつきはじめた。白金の生徒達がやってきたのだろう。私たち英輪とは違う制服姿の一団が歩いてくるのが見える。
ブレザータイプで最近の流行を取り入れた新設校の英輪に対し、白金はセーラー服である。紺色の生地に白のライン。胸元のスカーフも白。どの生徒もスカート丈は膝下で、ともすれば野暮ったく見えてしまうはずのデザインだが、そこはやはりモデルの良さだろうか、どの娘も楚々として歩く姿はとても美しく見えた。
ま、私には関係の無い世界の人達だ。
校門をくぐる白金の一団とすれ違う。出迎えの英輪の生徒達も混ざって、皆楽しげだ。私が学校であんな風に笑ったのは、いったいいつが最後だろうか。少なくとも、中学校時代にそんな記憶は無いし、高校入学以後なんて、もっと酷かった。場にそぐわない女子高にうっかり入ってしまい、ただ、ただ、自分の惨めさが際立つばかりで、笑顔など浮かべる事など勿論無かった。私もあの娘達のように笑ってみたかったな。
その輪の中でも一際目立つ存在が居る。言うまでも無い。伊澄さんだ。とりわけ身長が高いわけでは無い。確かに彼女は美人だが、周りの娘達だって十分に美少女で、その中に混じってしまえば目立つ容姿をしているわけでもない。特にはしゃいで騒いでいる様子も無く、むしろテンション高めの周囲の英輪の生徒に比べればむしろ物静かだ。だがそれでも、私の視線は彼女に集まってしまう。彼女が微笑めば、周囲の人達も自然と頬が柔らかくなり、いつの間にか笑顔にさせられる。あぁ、なんという理不尽だろう。私は自分一人すら笑わせることが出来ないのに、彼女は少し表情を変えるだけで沢山の人を幸せにしてしまう。
目をそらして通り過ぎてしまおう。そう思った矢先だった。伊澄さんの視線が、真っ直ぐに私を捉えた。最初は思い過ごしかと思ったが、そうではないと確信できる。なぜなら、その一瞬だけ、彼女の微笑みは、普段のお嬢様のそれから、あの時私だけに見せたいたずらっ子のそれに変わったのだ。
みぃーつけたっ!
そんな声が聞こえてきそうな程に、それはそれは楽しそうな子供の表情だった。
見つけられてしまった?もしそうだとしても、私は名乗り出るわけには行かない。今の私は、あのときの私とは別の何かなのだ。
顔を伏せてやり過ごし校門を出た。ロードに比べてしまうと走りにくい軽快車だが、今日は普段以上にペダルが重い。早く帰って自転車の世界に逃げ込みたかった。