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第一章 ハンガーノック その2


 私の通う英輪女子高校はそれなりのお嬢様学校だが、世の中には真のお嬢様学校というものがある。その一つが、英輪の姉妹校、白金学院女子高等学校だ。その歴史は古く、明治時代にさかのぼる。市内の高級住宅街に位地する私立の中高一貫校。その名前は県外にまで知られており、女子高としてのステータスは計り知れない程に高い。

 その白金学院と、私の通う英輪女子の間には、交流制度がある。様々な学校行事を共同で開催したり、校外での奉仕活動なんかも一緒に行う。そうした交流活動の生徒同士における窓口となるのが、双方の学校に設立された交流委員会だ。特に白金側は交流委員の選定には慎重で、その委員長ともなれば、生徒会長以上に就任する事は難しい。何せ、明治の時代から変わらず、自分達の箱庭の中で大切に育てていた乙女達を、姉妹校とはいえ一般的な教育制度の中で学んできた学外の生徒達と交流させるだ、何処で世俗に染まってしまうかと、心配でならない。だからこそ、心身共に健康で白金の生徒としての芯をしっかりと確立した者でなければ認められない。そんな、お嬢様の中のお嬢様として選ばれたのが、今年度の白金学院交流委員長 伊澄 心である。

 私も何度か、その姿を見たことがある。学校行事では白金側の代表として全校生徒の前に立ち挨拶をするし、交流活動でそれぞれの委員は頻繁にお互いの学校にも出入りするので、校内で目にする機会もそれなりにある。背格好は同世代の女の子達と変わらない、平均的な感じだが、印象的なのは彼女の持つ独特の雰囲気にあった。物腰はとても穏やかで、いかなる時も笑顔を絶やさない。常に礼節を重んじ、誰とでも分け隔て無く接する振る舞いは、お嬢様校の中にあっても、人格者である事をうかがわせている。背筋の伸びた立ち姿は、ただそこに居るだけでも、周囲の視線を集めてしまうが、それは幼少の頃から嗜んでいる剣道の影響らしい。何でも全国レベルの腕前なのだそうだが、あくまで自己の鍛錬として行っている事だからと、表舞台に立つ事を控えているそうだ。

 何度か聞いた彼女の声はとても甘やかなものだった。女性らしい、優しげな喋り方、それでありながら周囲にきちんと声が通るのだ。人前で話す事に慣れた者だけが身に着ける、特別な声色の使い方。


 そう、この声だ。私は、この声を知っている。


 取り戻しかけた意識の中で、ぼんやりと聞こえてきた声に、私は自分とはとても遠い所に居るはずの少女を思い出していた。そう、私は、彼女のようになりたかったのだ。誰からも慕われ、憧れと対象とされる、理想的な女の子。

 そこではっとする。ここは何処で、私はどんな状態で、いったい誰と一緒に居るのか。

「気がつかれましたか?」

 私の視界いっぱいに、彼女の心配そうな顔が広がる。伊澄 心交流委員会長 その人だ。いかにも女性らしい顔立ち、頬は陶磁のように滑らかで、私のようにソバカスがういてるなんて事はあり得ない。間近で見ると、よりその可愛らしさが際立って見えた。

 憧れで、遠い存在のはずの伊澄さんが、今は目の前にいて、あろうことか、私に膝枕をしてくれているのだった。

 あまりの事に思考が付いていかず、言葉を失っていると、彼女は私がまだ本調子ではないと判断したらしく、こんな言葉を続けた。

「もし、まだ動けないなら、どうぞそのままで。私、助けを呼んで来ますから」

 助け?他の誰かを呼ぶと??それは不味い。この姿はやっぱり学校の人たちに知られたくない。

「ま、待って!!」

 その端正な顔立ちに安堵の表情が浮かぶ。

「お願い、人には知らせないで欲しい。もう、大丈夫だから」

「こちらの生徒さんではないのですか?」

「生徒です。2年生。でも、私がこういうのやってるの、内緒にしときたくて。だからお願い。」

 一瞬、思案する様子を見せたが、すぐに微笑みを取り戻し、

「わかりました、では、内緒にいたしましょう」

 と、膝枕のまま、あやすようの髪を撫でてくれた。

「信じてくれるの?」

「信じます。それに、もしそれが嘘だったとしても、こんなに弱っている人を突き出すなんて、私には出来ません」

 心地よかった。彼女の膝のぬくもり、頭に触れる手の感触、聞こえてくる彼女の声、優しい口調とその言葉。その全てが心地よく、もう少しだけそれを感じていたかった。だから、もう意識ははっきりしていて、多分、起き上がる事もできるだろう。けれども目を閉じて、彼女の優しさに甘えることにした。

「ありがとう」

「どういたしまして」


 そうして、十分以上に体を休めた頃、どうにか起き上がり、改めてお礼を言った。

「そんな、お気になさらないで、貴方を助ける事が出来て、私も嬉しいんですよ」

 向かい合って立つ私に、お愛想ではなく心底幸せそうな微笑で答えてくれる。何処までお人よしなんだろうかこの人。

「そうそう、申し遅れました。私、伊澄 心と申します。白金学院の交流委員をしていて、今日は委員会の用事でこちらにお邪魔させていただいておりました」

 ここまで言うと、サイクリング用の手袋をした私の手をそっと両手で包んで続けた。

「改めて、よろしくお願いします」

 既に、名前も肩書きも知っているし、彼女もきっとある程度自分が知られている事は認識している事だろう。それでもきちんと名乗りを上げるあたり、やはり育ちの良さがにじみ出ている。それにしても、妙に体が近いのはなぜだろうか。

「よ、よろしく」

 そうだ、わたしもちゃんと、自己紹介しなきゃ。

「私は・・・」

 言いかけると、伊澄さんは握っていた両手のうち右手だけを離して、今度はその手の指先をそっと私の口元へと向けた。顔、それも口を他人に触れられるのは、余程の信頼関係が無ければ不快に思うものだ。だが、私は彼女の行為をすんなりと受け入れてしまった。

「お待ちください、ここで貴方と逢った事は、誰にも内緒なんですよね?」

 ただ穏やかだった彼女の微笑みが、ここで少しだけ違う色を見せる。子供が気の利いたいたずらを思いついたときにする、あの笑顔だ。

「では、あえてお名前も素性も伺いません。聞いたらうっかり口を滑らせてしまうかもしれませんよ、私」

「でもそれじゃ、きちんとまだお礼も出来てないし」

「感謝のお言葉なら、先ほど頂戴しております。困った貴方をお助けするのは当然のこと、見返りはお言葉だけで十分です」

 そういうわけにも行かないと、言い淀んでいると、彼女はこんな条件を出してきた。

「ではこうしましょう。もし、もう一度私たちが二人でお話出来る機会が出来たら、ちゃんとお名前を教えて下さい。その時に、私のお友達になってくれたら、嬉しいです」

 そうして私たちは、二人でそっと学校を抜け出した。

「また、会えたらいいね」

「大丈夫、きっと逢えますよ私たち」

 帰りに良かったら食べて下さい。と渡されたのは、ミニようかんだった。コンビニとかでよく売っている一個数十円程度の物で、手軽に入手でき、携行しやすい補給食として、自転車やランニング等のエンデュランススポーツの愛好者の間では知られていて、私もよく食べている。しかし、女子高生の鞄から、「たまたま入っていたのでどうぞ」と出てくるにはいささか不自然だ。彼女ならもっと可愛らしい、それでいて少し上等な、良いところのチョコレート等が相応しい。


 意外と渋い趣味してんだな、伊澄さん。


 慣れ親しんだようかんを味わいながら、夕暮れの街を走って帰路についた。

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