第一章 ハンガーノック その7
残り4人の部員はいずれも高校入学まで剣道の経験がなく、全員から難なく二本勝ちを収めた。
試合後、主審を務めていた顧問の教諭から講評を頂く。
まずは自校の部員達から、一人ひとりに今日の試合で出来ていたこと、出来ていなかったこと、それらに基づいて明日からの稽古をどう取り組めばよいのかというアドバイス。各員それぞれのレベルに合わせて説明をしていく。私も試合を思い出しながら聞いてみたが、なるほど、どの指摘も的確で、うなずかされるものだった。しかも言葉は穏やかで、きっと部員達も受け入れやすいだろう。こういう先生が顧問というのは、栄輪剣道部にとってとても良い事だと思う。
「それから、伊澄」
「はい」
「門外からで失礼するが、最初の部長との試合、君はどう見る?自身の敗因をどう考える?」
質問から入るとは予想外で、少し面を食らう。だが、敗因は自分の中で明らかだったので、変に取り繕ったりせず、素直に答える事にした。
「試合に臨む意欲、勝利への意思、そういったものの差であったと、感じています」
「ふむ、では、今後どうすれば、今日のような試合、今日のような相手に勝てると思うかね?」
「相手にのまれない強い意志、気迫、そういった物をしっかりと持つ事が第一と考えます。技術的な不足も、もちろんありましょうが、今の自分に、自分の剣道に最も欠けているのはそういった分であると考えています」
「平たく言えば、闘争心が足りない。と」
「はい」
「たしかに、そういった方向性でも勝ちに近づけるだろう。だが、もう一つ解決策があるのを知っているかい?」
「もうひとつ?」
「思いつかないかね。では・・・。部長に聞こう」
不意に水を向けられた部長さんは意表をつかれたようで、目を丸くした。
「わ、わたしですか?」
「部長は際どい胴を打ち込まれた後から動きが変わったように思うが、一度打たれてからどう思った?」
「えっと、打ち込まれたあと、打ち込まれた後かぁ。うーん。楽しいと思いました」
そう答える彼女の顔は本当に楽しそうで、まるで遊園地の帰りにその日の思い出を両親に語って聞かせる子供のようだった。勝敗を競う試合の最中やその時のことを思い出すのに、そんな表情が出来るものなのか。それは自分には無い感情で、ちょっとしたカルチャーショックのようなものを感じた。だが、確かにそうだ、彼女は試合中笑っていた。自身の不甲斐なさを恥じる私とは対照的に、彼女は私の打ち込みを受けて、面金の向こうで楽しそうに笑っていた。
そういえば、あんな笑顔を、わたしは最近観た気がする。
「そういう事だ、伊澄」
遠くに行きかけていた思考が、先生の言葉で呼び戻された。
「どの試合もそうだが、君は試合中、ひどく辛そうだ。特に相手に打ち込もうとする時はよけいにそう見える。君は相手を倒すことを躊躇っているのではないかな?」
図星をつかれて、言葉を返すことすら出来なかった。
「剣道は元を正せば剣術、相手を斬り殺す術に通じる。きっと君は心根の優しい人なのだろう。人と競い争う事があまり好きではないと感じる。まして剣術は戦の為の技、躊躇してしまうのもわからなくはない。でもな、現代の剣道は健全なスポーツでもある。強い相手や、気持ちを高めてくれる仲間と競技を通じて巡り合える事は、競技者にとって喜ばしい事だ。そういう気持ちを持てるようになる事が、君が今入っている袋小路を出る一つの方法だと先生は思う」
その後程なくして、今日の練習試合は解散とされた。「また是非、試合しましょう。できればその時は、伊澄さんにも試合を楽しんでもらえたらうれしい」部長さんは別れ際にそう言ってくれた。あの素敵な笑顔と一緒に。
先生の話の途中にも思い出しかけた、最近出会った笑顔の正体を自分の頭の中から探し出そうと試みる。えっと、あの笑顔、そう、そうだ。
あの日の峠の上だ。二人で駆け上がった坂道の先で、私の大好きなあの人がくれた笑顔だ。