第一章 ハンガーノック その5
交流委員会の活動の後、私は校内の格技場へと招かれた。英輪女子の剣道部から練習試合の申し出があったのである。白金の剣道部に所属しているわけではないが、習い事の一つとして、剣道の道場に通っている。子供の頃から習い事は様々にしてきたが、高校入学と同時にそのほとんどを退いた。その中で唯一今でも続けているのが剣道である。あまり対外試合には出ないので、私が剣道をしている事はほとんど周囲に知られていないはずだが、どこからか私が道場通いをしている事を聞きつけてきたらしい。
剣道の稽古は好きだ。静謐な道場で体を動かし、鍛錬するのは気持ちが良い。だからこそ、身の回りが何かと慌しくなった高校生活にあっても、続けていられる。だが、試合は正直、あまり気乗りがしない。周囲には、あくまで自己の鍛錬の為に稽古をしているから、と誤魔化しているが、単に嫌いだから対外試合に出ないだけの事である。
英輪の剣道部は部員5名。団体戦に参加できるギリギリの人数だ。もともと運動にはあまり力を入れていない英輪なら、こんなものだろうか。高校入学前からの経験者は3年生の主将だけで、日々の練習ではなかなか実戦的な稽古が出来ず、頻繁に英輪に出入りしている私に白羽の矢がたった。
部員も少ないので、私が5人全員と1試合づつ対戦する。まず最初に、いきなり3年生の主将と対戦。全員と戦わなければならない私への配慮として、体力に余裕のある最初に、一番強い人と戦わせて貰おうというわけだ。
身支度や準備運動を終え、試合に備えて待つ。
それまで部員達の練習や、試合の様子を見に来た部外の生徒達で少し騒がしかったが、いざ試合となれば、格技場は一転して水を打ったように静まり返った。
これだ。私はこの時間が好きだ。最初は道場と高校の剣道部では少し様子が違うと戸惑ったが、やはりここは神聖な鍛錬の場である事に違いは無い。それが実感出来た事が素直に嬉しかった。
場外に立ち、相手と向き合う。
対戦相手が、嫌が追うにも目に入った。面金の奥の瞳は試合への意欲に溢れているように見えた。そしてこれが、私が試合を嫌う理由である。勝利を目指して戦う相手の意気。わたしはどうしてもそれに馴染めず、気圧されてしまう。
相手の垂れにある名は、校名と苗字。
対する私の垂れには、道場の名前である「三葉」と苗字ではなく名前の「心」の一字。本来の作法とは違うが、道場以外で剣道をする事を考えていなかったので、好きにさせてもらっている。
主審を勤める英輪剣道部顧問教諭の合図で場内に入り礼。開始線の前で蹲踞。
「はじめ」
掛け声と共に立ち、お互い中段に構える。やはり経験者の主将、その一連の所作にも落ち着きがあり、堂に入っている。それだけでも手強い相手であるとわかる。
互いに気勢を揚げ、試合開始。
私の構えた剣先を、誘うように小刻みに軽く叩かれる。動作の少ない私に対し、主将は体全体を使って打ち込んでやろうという気を表現していた。早速メンが来る。かなりキレのある打ち込みだ。なんとか竹刀でいなすと、続いて更にメン、もう一本メンと思わせてからのドウ。間髪を入れずに仕掛けて来る。その一打、一打がどれも勝機を掴もうと懸命に打ち込まれていた。
気迫を欠いた私は、それを一つ一つ裁くのに精一杯だ。だが、そうして裁いて行くうちに相手の実力も見えてきた。