魔王様、娘に逃げられる
下々の、田舎娘の分際で余の手をジロジロと見るなど全くもって礼を欠いておる。さらには余の頭の先からつま先までを何度も視線が行き来する。
さすがに不躾ではなかろうか。
……しかし、そんな事もこのような田舎の育ちでは分からぬであろうなあ。
振り払うのも狭量に思われて、どうしたものかと思案しておれば、娘から思いもかけぬ言葉をかけられた。
「なんだ、おめさま、麓の人じゃねえな。り、りーんかしん……?の人か?」
「娘!なぜ知っておる!?」
「自分で帰れるか?」
「馬鹿にするでない、魔力さえ回復すればすぐにでも。それより娘、なぜ知っておるのかと聞いておる!」
「ふーん、じゃあ今は魔力切れなんだべなあ、そりゃあ難儀だ。おらん家にきな」
余の問いに答えるどころか、グイグイと手を引いて娘は迷いなく歩いて行く。力が強いとはいえ所詮小娘、もちろん余の敵ではないわけだが、娘の訳知り顔の発言はおおいに気になる。
……妥協することにした。
しかし再三、余の問を蔑ろにした事にはいささか腹が煮えておる。何か言ってやらねば気がすまぬではないか。
「放せ、手を繋ぐ必要はあるまい」
僅かばかりの意趣返しに不機嫌にそう言えば、娘は初めてぴたりと歩みを止めた。
今までグイグイと容赦なく引かれていた手が、そっと放される。
おお、娘が初めて素直に余の指示に従った!
なんと心地よい事か、やはりこうでなくてはな。
うむ、うむ、と一人首肯いておれば、娘はスロウの魔法にでもかかっているかのように、ゆっくりゆっくりと振り返る。バチリ、と視線が合った。
余と視線を合わせようとは、なんと剛毅な。
余の生地リーンカシンでは、どこからでたのか知らぬが余と目を合わせると石になるというデマが出回り、家臣ですら目を合わせぬというのに。
しばらく余の顔を凝視していた娘が、急に顔を赤らめる。
「ご、ごめん……!」
一言発したかと思うと、いきなり走り出しおった!
「む、娘!待たぬか!」
余を捨て置こうとはどういう了見なのだ!
しかも無駄に足が速い!とても人間風情の走りではない、この世界は人間風情でも身体能力が高いとでも言うのだろうか。
余の制止も聞かず娘が走るものだから、余自らが走る羽目になった。戦闘以外でこんなに走ったのは久しぶりだ。いや、戦闘でもこんなに走ってはおらぬ、余は魔法が主体の戦闘スタイルなのだ。
余の魔力が残り僅かと知っての狼藉であれば、娘の命は保証できぬ。
僅かだが!
本当に僅かではあるが、息が切れたではないか!