魔王様、うっかり寒村へ降り立つ
余が珍しく浮かれていたのは認めよう。
なんせ勇者を異空間にぶっ飛ばして華麗に退けたばかりだったのだ。
次代の勇者が育って我が城に攻め込むまではまだまだ時間がかかる故、ちょっとしたバカンスを楽しめるだろうとうっかり思ってしまったのだ。
日頃尊大な態度を貫き、強面で乱暴者揃いのイカツイ魔族どもを纏めるのも意外と気苦労が多いものなのだ。ちょっと羽根を伸ばしたい気持ちになるのも致し方あるまい。
「あれえ?おめさん誰だあ?見ねえ顔だな」
余にあろう事かどストレートに声をかけてきた勇気ある女の声に応えてやるべく、余は鷹揚に振り返った。
む、なんたる事だ。
村娘風情に馴れ馴れしく話しかけられてしまうとは。
いやはや無知とは恐ろしいものだな、まあまさか魔を統べる王がこのような鄙びた地に足を向けるなど、思いもよらぬのではあろうが。致し方あるまい、地の底から響いてくるようだと脆弱な人間どもを震え上がらせた、余の深く重い声にひれ伏すが良い。
「娘、気安く話しかけるでない」
「そげな事言ってえ、おめさんさっきキョロキョロ辺り見回してたべ?道に迷ってんじゃねえかって心配したんだべ」
「む」
いささかも動じぬとは肝がふといのか、鈍いのか。しかし小首を傾げてこちらを気遣うように見遣る娘に、僅かばかりではあるが、毒気を抜かれてしまった。実際この娘の言うレベルではないが、余が今現在迷っているのは本当の事だ。
広大な海に囲まれたリラシー島へ転移するつもりが、浮かれ過ぎて界をこえてしまったらしいのだ。山と畑しかないような、なんとも佗しい田舎へ来てしまったものだ。
しかも勇者との戦いで残り僅かになっていた魔力を、この界をこえる転移でほぼ使い果たしてしまったのだから腹立たしい。もはや界を渡るほどの魔力は残っていない。
しばし休んで魔力を貯めねば、城へ戻る事も叶わぬ。
「ほれみろ、どうせ肝試しだのなんだの迂闊に山に入って、出られなくなったんだべ。でけえナリして、手のかかる御仁だあ」
余の落胆を察し、勝ち誇ったように荒れた手を差し出す娘に若干イラつくが、余は偉大なる魔を統べる王である。このような脆弱な命などいつでも消せる。血や肉片が服についても面倒だ、ここは広い心で許してやる事とした。
「して、なんだこの手は」
「麓へ案内してやる、おらと一緒ならちゃんと麓に行けるんだ。ほれ、手え出せ」
うっかり。
あまりにも自然に接してくる娘の勢いに押され、うっかり娘の手をとってしまった。
日に焼けてガサガサに荒れた手は、あちこちひび割れて血が滲んでいる。世辞にも良い手触りとは言えぬ、働いて働いて鍛えられた手だった。
「あれえ?」
余の手をとった娘は何故か目を丸くし、穴が空くのではないかと言うほど余の手を見つめている。
何だと言うのだ。