第十話 朝寝坊の宵っ張り
“やあ、また会ったね”
真っ白な世界。 何もない世界。
僕ともう一人だけ存在していた。
……直美ちゃん……?
京二の妹。なんでこんなところに。
“直美じゃない。君はここに来る度に来たことを忘れているんだったね”
“重要なことだけど、とても面倒だよ”
わけが分からない。直美ちゃんじゃないの?
“違う。形を借りているだけだ。けど、僕のことは見た通りに呼んでくれ……”
面倒そうだね。
“そりゃそうだよ。僕は一度言ったことをもう一度言うことが大嫌いなんだ”
僕も同じだよ。 繰り返される景色を見るのはもううんざりだ。
“ふふっ!そうかい”
“でも、それが助けるのに仕方ないことなら、君は喜んでそれをするんだろ”
え、うん。よく分かったね。直美ちゃん。
“君のおかげで思い出したのさ”
“ありがとう”
礼代わりだと言わんばかりに、直美ちゃんの姿をしたそれは僕を容赦なく、
殺した。
目を開ける。
与えられた部屋のベッドの上だった。
昨日の出来事ははっきりと覚えている。いっそ忘れていてくれれば良かったのに。
「……やっと起きたか、和巳」
「?ミスズ……?」
寝起きでまだ目を開けていられない。 けど、声からしてミスズだろう。
「早く起きろ。朝食が遅くなるぞ。…………今日はせっかくの」
「あと五分」
昨日は言い尽くせないほど色々あった。だからもう少し寝ていたって良いはずだ。
「遅い。半分にしろ」
「じゃあ、あと十分」
「……寝ぼけているのか?半分だ、二分の一だ、ハーフだ。五割る二は?」
「三十」
「……駄目だな、これは」
ミスズもようやく諦めてくれたようだ。
「じゃあ、寝ても良い。けど、後悔するなよ」
言われなくても。
そう言う間もなく二度目の眠りについた。
「…………安らかに眠れよ」
僕も何度か澄み渡る青空の下、大自然の恩恵にあやかりながら眠りたいと思ったことがある。 しかしその案件について言えば現代日本ではそのような行動は非常識、ついて言えば危険の伴う愚 行と言っても過言にはカテゴリされないだろう。僕だって動物はともかく昆虫相手に完全博愛主義者 になれるわけもなく、昆虫と雑魚寝したいとは一度も思ったことがないし、なによりベッドというある意 味の温室育ちを体験した僕の筋肉、及び関節は休まることなく悲鳴を上げるだろう。
だから、青空睡眠は僕の叶わない、いやむしろ叶えたくない夢の一つだったわけだが、
「…………へ?」
何の拍子にか、叶ってしまったようだ。
気づくと周りは荒野だった。 空はどこまでも遠く広がっていて、爽快。誰かが僕の関節事情までを鑑みてくれたのかベッドまで外に あったのだが、しかしそういう問題ではないと思う。
……僕は何をしていたんだっけ。
昨日だって普通に寝て、今普通に起きたところのはずなのに。
また別の異世界にでも召喚されたのだろうか。 そろそろ派遣社員並の給与はせしめても良いのかもしれない。
「……お前が寝ている間にいろいろあった」
「……ミスズ?」
隣を見るとミスズがいた。
見渡せる荒野の中で僕とミスズだけ。それはある意味終末的風景であり、だがミスズの場に似合わぬ 見事なドレスがその雰囲気をハンマーフルスイングでぶち壊していた。
「本当にいろいろあった。お前が朝食を食べないせいでなぜかこの世界は核の炎に包まれた……。不 思議なこともあるもんだなぁ」
ミスズが遠い目をしている。
これを嘘と見抜くのはきっと回転寿司屋でサビ入りとサビ抜きを見分けるよりも簡単な作業であること だろう。
「……じゃあ、なんで僕たちは無事なの?」
「晋也が最後の力で治してくれた」
知らぬ内に晋也が犠牲になっていた。 現実、妄想の垣根なく扱いのかわいそうなやつだ。
「で、だ。この世界には私とお前しかいない。あーあ。お前が早く起きていたらなー」
どうやらそんな筋書きらしい。 それにしても、どうやってこんなところまで移動したんだろう。まさか、本気で核の炎に包まれてたり…… 。
その可能性を否定する。
あり得ないよな。というか、我ながら笑えない冗談だ。
晋也は命をかけてベッドまで治してくれたのか?
それはそうとして、騙されっぱなしは気にくわない。だったらこっちからもからかってやろう。
そんな扇情的な気分になった。
「ねえ、ミスズ。これから僕たちはどうすべきだと思う?」
「は?そりゃ……食べ物を探したり、家を作ったり……」
ミスズのその言葉に首を振る。
「いや、それじゃ根本的な解決にはならない。その場しのぎで将来性がない」
そんな僕の言葉に、ミスズも対抗意識が燃えているのか一生懸命考え出した。
「……じゃあ、絶滅しないように。まず、子孫を残して…………。なっ!!」
ミスズが茹でタコみたいに赤くなった。
自分で答えを割り出してくれるのだから博識はこの場合便利だ。
「そうだね。残ってしまったのなら仕方ない。生物として今からでも……」
ミスズの肩に手をポン、と置く。どうやら僕の目論見通りにいじらせてくれるようだ。
「〜〜〜〜〜ッ!?バカッ!そういうのは段階を経てからだな!」
「そんな余裕もないでしょ。まだ体力が残ってる内にさ」
ミスズをこちらへと抱き寄せる。
なんか自分がチャラくて軽薄な男に思える行動だが、この際、冗談として目を瞑ろう。
「そ、そんなの……。確かにそうだが……。……和巳はそれで良いのか?」
――――はそれで良いのか?
……デジャヴュを感じた。
なぜだか、一気に興が冷めた。
誰だったか。昔、好きな女の子がそんなことを言っていたような気がしたからだ。
だけど僕の記憶にはそんなことがない、とはっきり言い切れてしまう、おかしな感じ。
気づくと、僕はそんな考えを放棄して、彼女の黒髪がかかっている耳に顔を寄せていた。 体が勝手に動いた、といっても遜色ないように。
「……僕は、良いよ」
彼女に囁く。
まだ、僕はまだからかっているつもりなのだろうか。
あからさまにミスズが震えているのが分かった。 けど、その震えは恐れとか、そういうのとは違うように感じた。
ミスズが僕に軽く抱きつく。
「あの……だな。和巳……」
私は、お前のそういうとこが……、嫌いだ。
「ッッ!!?」
再び、ミスズを見つめる。
彼女は不思議そうに僕の慌てっぷりを見ていた。ミスズは何も言っていないはずだ。
じゃあ、今のは……。またデジャヴュ?
「ど、どうした……?そんなに怯えて」
怯えてる?僕が、何に?
ミスズに、ではないだろう。
僕はさっきからミスズを見ていなかった。ミスズに誰かを重ねて見ていたことが、自分でも容易く分かっ た。
誰を重ねていたんだ?
「そ、それと……やっぱりこ、こここ子作りとかはまだ……」
「そこまでだッ!!」
突然声が響き、何者かに取り押さえられる。
またデジャヴュを感じたが、このデジャヴュはさっきのとは違い、呆れ、滑稽に満ちたデジャヴュだ。ちょう どいつかの朝に体験したような。
「京二!?」
「和巳容疑者。児童ポルノ法違反の容疑でたギュェバ!?」
「誰が児童ポルノ法に引っ掛かる幼女だって?」
ミスズもすっかりいつもの調子を取り戻していた。
というか、こいつは何をしにきたんだろう。
「説明しよう」
心の声がもれだしていたのか、むっくりと京二が起き上がっておせっかいにも解説を始める。
「あれ?京二、生きてたんだ」
「ああ。幼女に蹴られて死ぬたまじゃなガグォ!?」
「死なないなら蹴っていいよな」
もう一度、京二が地に伏していた。
前から思っているけど、京二の蹴られたときの奇声は何だろう。奇をてらっているにも程がある。
「せ、説明しよう。お前の入ったベッドなんて幼女の力じゃガリコッ!?」
ジャガリコ?
「……女の子の力じゃ運べないから魔法を使って幼女ともどもルタル!?」
モルタル?
何か京二が器用な叫びかたをするようになってしまった。
わざとに見えない辺りが演技にしても素の反応にしても稀有な才能を持っているに違いない。
「……ミスズともども運んできたんだマスクス!?なんで!?」 「おまけだ」
嫌なおまけだった。
「…………まあ、そういうことだ」
京二は理不尽な一撃もあったせいで少し不機嫌そうだ。
「だとすると重いものまで持ってこんな遠いところまで?それにしても、京二の筋力増強って移動にも使 えたんだね」
すると京二は首を振った。
「いろいろと違う。第一に、ここは近所だ。城からそう離れていない場所に荒野があるようだな。それと 町が見えないのは……」
京二が何もないところを叩く。 すると驚くことに風景が倒れた。
「トリックアートだ」
これってそんなに壮大なドッキリだったのか……。 金持ちのすることはよくわからん。
「それに、昨日考えていたんだが、俺の能力は筋力増強じゃなくて、力の増幅に近いと思う。こんな力を 出すには並大抵の筋力じゃ、無理だ。見た目が変わった訳でもないんだから、力の増幅と考えた方が 良い」
確かにそんな筋力を持っていたらこんなことも考えられない脳筋だろう。……それは関係ないと思うけ ど。
「最後に、まだこの力の加減はできない。できるかもしれないが、少なくとも今は無理だ。だから走ると かも無理。加減ができないと、俺は地面を蹴った瞬間に飛んで、着地の時にお陀仏だ」
……長い説明を聞いた割にはどうでもいいことだった。
誰が得したんだろうね、今の説明。
「あ。あとお前の生き方も間違っているな、言わずもがな」
そしてさらっと人生を否定された。 やっぱりこの男は一言多いようだ。
「その発言自体が間違ってるよ……。さて、もうすっかり目が覚めたし、城に戻るか」
こんなことがあった後で寝られるはずもなく、二人に帰還を促す。
「あ、そういえば。なんでミスズはあんなに早く起こしにきたの?」
「……一応こいつが起こしに行ったのは7時くらいだったぞ」
「僕の平常起床時間は11時なんだよ」
むしろ京二が健康的な生活をしているほうが意外だ。
昼以降に起きて、一日二食。主食はカップラーメン、というのが京二の私生活のイメージだったが、多少 改めなければいけないようだ。
「で、ミスズ。何か楽しみなことでもあったの?」
楽しみなことがある日は嫌でも早くから起きるし、なにより子供っぽいミスズのイメージに合っている。
言ったら本人に頭突きされそうだが。
「あ、……いや。楽しみというわけでもないが…………。……ほら!行くぞ!朝食が冷めてしまうだろうが!」
その質問をされるとミスズは歯切れ悪そうに走り去ってしまった。
「……結局、このベッドは俺が片付けるんですね……」
ベッドと僕らを残したまま。
京二は案外、女の子の尻に敷かれるタイプかもしれない。現にサラさんの尻に敷かれている訳だし。
「……何か失礼なこと考えてなかったか?」
「いや、晋也と京二って思わぬところで共通点があるんだなぁ、って」
意外と目ざといやつだ。
京二を見た目で判断してはいけないかもしれない。つくねを作っていたりもしていたし。
「そんなことより、今日って何かあったっけ。ミスズが喜びそうなこと」
京二が訝しげな目を向けてくるので話題を変える。
「は?ミスズが喜びそうなことかは知らんが、あることにはあるだろ。忘れたか?」
忘れたね。
そう言うのもまたバカにされる原因になりかねないので虚勢を張る。
「あー。えっと、何だっけ?ここまでは出てるんだけど……」
喉の辺りを指さした。
「なら、しめあげたら出てくるかもな」
「すみません。忘れました」
見栄なんてへたに張るものじゃない。
「……ったく。町へ出かけるんだよ。サラとラミは何か仕事があるから俺、お前、晋也、ミスズの四人で町 を見てこいって」
そういえばそんなこともあった。
昨日はいろいろありすぎて精神的にも肉体的にも疲れたせいで聞き逃したのかもしれない。
「でも、それってミスズにとってそんなに楽しみなことかなぁ?」
この年頃の女子なら買い物くらいよくすると思ったんだが。
「さあな。んなもん人それぞれだろうが。案外、お前と行くのを楽しみにしているのかもな」
意味深なセリフを残して、京二が去っていく。
「僕と行くのが……楽しみ……?」
…………ないな。
きっと何かもっと楽しみなことがあるのだろう。
ったく。京二もしょうがない奴だな。
そう思いながらその場を後にする。
あれ?何か忘れているような……。
ふと、後ろを振り返ってみる。 すると広がる荒野のど真ん中に場違いなベッドが鎮座していた。
「ったく!!京二はホントにしょうがない奴だなぁぁぁ!!!」
結局、ベッドは僕が引きずりながら城のそばまで持ってきた。
あとで絶対に京二に持たせる。
魔法を禁止にして。