虐待して捨てられた犬
コンラートが世界でも有名な数学者だと知ったのは、最近のことだ。
あまりにも優秀すぎて、学会では頭がおかしいことになっているそうだ。大学より精神病院がお似合いだと言われる、そう言ってコンラートは自虐的に笑った。
ドレスを着てコンラートと食事をするのは、もう何年も続いている儀式だ。
幼い頃の記憶にあるよりも、コンラートは少し頭が薄くなっている。肉付きもよくなっているけれど貫禄はない。年はとっても、コンラートははにかんだ青年のままだ。
今日のレストランは、うす暗い照明のイタリアンで、壁には古いワインやニンニク、唐辛子が演出としてストックされている。
老舗っぽく作ってあるけれど、そんなに歴史のある店じゃなかった。コンラートに分かるのは数式のことだけで、雑誌の記事や、ミシュランが発行するガイドブックのウソを見破る能力はない。
でも、そのちょっと子供ぽいところが、わたしにはたまらなくキュートに映る。
世間知らずで、邪気がなく、人を喜ばそうと一生懸命な、優しいわたしのクマさん。
「どうだい姫、きょうの店は? 気にいった?」
「なにを食べさせてくれるの?」
「海産物が……新鮮らしい。あとはピッツァとか……パスタとか……ごめんよ、あまり知識はない」
「いいのコンラート。とても素敵。なんでも同じものを食べるわ」
いつの間にか、わたしにとって、コンラートは父に等しい存在になった。頼りなくて、そそっかしくて、いつも一生懸命な父親。母よりもずっと近しいわたしの家族。
「ほんとうに大きくなった」
「あなたは薄くなったわ」
「……天才数学者も、年には勝てない」
コンラートは、苦笑いで頭をなでる。
「はじめて会った時のことを思い出す。君はまるで世界の全てを憎んでいるようだった。口を聞いてもらうのに三か月かかった」
「虐待して捨てられた犬でも、いつかは、人になつくわ」
「……レティシア」
「ごめんなさい。あなたは紳士だった。昔も、今もそう」
「うれしいことを言ってくれるね」