こんなの悪い夢だ
「教えてやるけど、おまえ、体だけは一級品だ。これまで出会った哺乳類で一番だよ」
モーリスが、火掻き棒を振り下ろした。
目を閉じて、おなかを庇ったわたしは銃声を聞いた。そんなのおかしい。モーリスは銃なんて持ってなかった。
おそるおそる目を開けると、モーリスは必至の形相で、自分のつま先を握って、転げまわっていた。声も出ない様子だった。
「馬鹿ね、歩きづらいわよ、きっと。爪先は歩くための器官だもの」
母だった。ナイトガウンを羽織ったメリッサは、小さなプラスチック製の銃を手にしていた。扱いなれた様子で銃をかまえていて、銃口はモーリスに向けられたまま、繋がっているみたいに動かなかった。
「おまえ、契約どうすんだよ。これじゃ働けないだろ」
「どうして? 手は大丈夫、脳も無事、契約を変更するつもりはない。安心して。医者は呼んであげるわ。はずみで死なれたら困るから」
「おまえ……殺すからな」
「契約を果たしたら、そうして。あなたにできるのならね」
「くそ……いてぇよ」
モーリスは泣き出した。幼児みたいにしゃくりあげながら。
「ばかね、わたしの娘に手をあげるなんて」
「いてぇよ、報酬よこせよ。頭がおかしくなりそうだ」
「報酬? いまお金が必要? 医者ならわたしの負担で呼んであげるわ」
「そっちじゃねぇよ」
「……変わっているわね、あなた。快楽は苦痛を上書きしないわよ。普通の人間はね。すくなくともわたしの時はそうだった」
母はナイトガウンを床に落とした。身体には、他になにも身に着けていなかった。雪のように白い肌だった。窓からの月光が、息をのむほど美しい、完璧な曲線をシルエットにした。
モーリスの膝の間に、手を突くのが見えた。屈んで、服従するように、首を下げた。
「レティシア。部屋を出てくれると助かるわ。あまり、見られたくはないもの」
わたしは、部屋を逃げ出した。
こんなの悪い夢だ。きっと目を覚まして、朝日を浴びて、夢だったとわかってほっとするのだ。




