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「イース殿!」
キーンはかけよるようにイースに詰めよった。いつも賢人めいて落ちついた彼にしては稀有なことだ。
「フィリグラーナの迷宮管理者を誘拐してきたというのですか? なんということを……正気の沙汰ではありません!」
動揺するキーンを、イースはおもしろがる表情で見おろした。
「フィリグラーナの奴らだって、西方諸国でさんざん奴隷狩りをしているだろう。俺たちが同じようにフィリグラーナで人をさらってきて、なにが悪いんだ」
「あれは農奴や宿なしです。それをまがりなりにも商人から買いあげているんです!」
大国フィリグラーナは、自国の民を奴隷にすることは禁じているが、他国の人間を奴隷として輸入することは認めている。西方諸国にも奴隷制度はあるが、なんといっても古くから大規模の農園や鉱山を持つフィリグラーナが一大消費地であり、西方諸国はその供給地だった。
「しかも彼は迷宮管理者、国の権標の守り手ではありませんか! それを拉致するなど、戦を仕掛けるにも等しい行為ですよ。フィリグラーナと戦になったらどうするおつもりです!」
今度は矛先を変えて、カイにむきなおる。
「あなたもあなたです。イース殿に命じられてノズの地に行かれたはずだったのに、こんなことをしていたとは」
カイはいかつい肩を軽くすくめた。キーンへの反応はそれだけだった。
リメリックがキーンを擁護した。
「キーン殿のおっしゃるとおりですよ、イース殿。私が提供する金では、大国フィリグラーナとの戦など到底無理ですからね」
カイが豪快に笑い飛ばした。
「そりゃ、ばれたらやばいかもしれないが、大丈夫だよ。こいつは事故で死んだように見せかけてきたから」
リメリックは眉をひそめた。
「フィリグラーナを甘く見るおつもりですか。かの国には優れた軍人だけでなく、優れた魔術師も多いのですよ」
「だが俺たちノズの民ほど優秀な狩人はいないと思うね。俺の腕は狼だってだませるんだよ、おっさん」
「お、おっさん?」
リメリックは言葉を失ったが、カイはそれに頓着せず続けた。
「たとえこいつが生きているとばれたところで、俺たちを追うことはできない。森のなかの、俺たち狩人しか知らない川や道を使ったからな」
大陸北部の大森林は、ウルガゾンテの国境を越えてはるか東、北の大国ティンブクトゥとフィリグラーナの国境まで続いている。荒々しい野生を残した森には、かずおおくの獣が生息しており、森のどこか深くには太古の獣、あるいは力ある精霊が隠れているとも言われていた。
森に足を踏みいれて無事に戻ってこられる者は稀だ。北の森は同じ大地の上にありながら、さながらべつの大陸、あるいは異世界のようだった。
しかしそんな森で生きる民も、いくつかあった。彼らは森を学び、森の知恵を継承して、森の生き物たちと共存していた。
そのひとつが、生粋の狩人であるノズの民なのである。
それを誇っているのだろう、カイは胸をはった。
「森は大国の人間だからって、特別扱いしない。軍人だろうが魔術師だろうが、平等にすぐに狼や熊の餌食になるだろうさ。でなくても凍え死ぬよ。俺たちの正体もどこへ逃げたかもわかるわけない。不可能だね」
イースも悠然と腕を組んだ。
「最悪、俺たちのことがばれたところで、戦にはならないだろう。なにせフィリグラーナとウルガゾンテは遠いからな。この国とフィリグラーナのあいだには、十もの国がある。しかも奴らはかならずしもフィリグラーナに友好的ってわけじゃない。それらの領土をとおりぬけてここまで軍隊を送りこむのに、どれだけ金と手間がかかると思う? おまけに自国の迷宮管理者が誘拐されたってことが大陸中に知れわたってしまうんだぞ。いくら大国でもそれはないさ。……まあ、なにかしかけては来るだろうが」
そう言って、トゥーレに目をやった。
「ということで、トゥーレ。迷宮の専門家だ、こいつをお前の助手にするから好きに使え。今までお前ひとりに厄介をかけて悪かったな」
トゥーレは身をすくめた。
「で、でもイース様……こんなこと、いいんですか?」
「いいとか悪いとかじゃない。必要かどうかだ」
イースが若者を見やると、彼は唇を引きむすびイースをにらみ返した。若者は明らかにこの状況に不服そうで、おとなしく協力してくれるようには見えなかった。
「お前。名前は?」
イースが尋ねると、今度は顔を背けて、あからさまに無視を決めこんだ。若者のそばにいたカイの手下が焦れて、若者の肩をどやしつけた。
「おい、答えろ」
痛かったはずだが、若者はこれも黙殺した。若者の態度をふてぶてしいと見たか、周囲の男たちが殺気立った。
「なんだ、こいつ——」
「俺たちとは、まともに喋る価値もないとでも思ってるのか」
「思ってるんだろうよ。なにせ大国フィリグラーナの人間だからな」
口々に言って詰めよった。なかにはすでに短剣を抜きはなち、若者の鼻先に突きつけている者までいる。もとが大自然に対峙する狩人たちだけあって、イースの仲間は気が荒いところがあった。
だが物騒な男たちにかこまれ威嚇されているのに、若者はなおも毛一筋ほども表情を動かさない。度胸があるのか頑固なのか、トゥーレはひそかに感嘆した。
不敵な、どこか傲慢な雰囲気はイースにも似ている。だがイースが狼の群の首領なら、若者はたった一匹で行動する大山猫だ。
「ああ、いいからやめろ」
カイが両手をふって群がろうとする男たちを散らした。
「見てのとおりだよ、イース。とんでもなく強情な奴でな。ずっとこの調子だ。脅してもすごんでも、頑として一言も喋らない」
「うるさく泣きわめくよりは静かでいいだろう」
「そりゃ、暴れて反抗したりはしなかったが、最初はものも食わなくて、ずいぶん衰弱したんだよ。いちど殴ったら食うようになったがな」
「暴力はふるわないよう言ったはずだぞ」
カイの手下らしい男が恐縮した。彼が若者を殴ったのだろう。イースは小さくため息をついた。
「まあ、殴って言うことをきく奴なら話は簡単だが」
「イース様——」
トゥーレはうろたえて声をあげた。イースはトゥーレを見て、眉をひそめた。
「俺だって、相手を脅して言うことをきかせるなんてやり方は好きじゃない。だが必要なら誘拐もするし、脅しもする。あくまでことわるというなら、それこそこいつは用なしだ。処分するしかない」
「そんな」
あまりにひどい話だとトゥーレは思った。むりやり拉致された上に脅かされては、快諾などできるはずがない。承知したところで、まともな成果もあがらないだろう。
「……イース様。頼み事をするのに、そんなふうに脅かすなんていけません」
腹に力をこめて言った。
こんなふうにはっきりした口調で喋るのは久しぶりのことだと、頭の片隅で思った。宿なしになってからは、できるだけ目立たないよう、なにか話すときは小さな声で喋るよう意識していたからだ。
イースは驚いたように見返してきた。若者や詩人、そのほかの者も驚いてトゥーレを見る。だがトゥーレはひるまず続けた。
「イース様の言うとおりなら、この人は俺を助けて、いろいろ教えてくれる人です。師匠です。印象が悪くなったら、俺がちゃんと教えてもらえなくなるじゃないですか。無礼はやめてください」
「これくらい無礼のうちに入るもんか。フィリグラーナに売られる奴隷にくらべれば、いたれりつくせりの扱いだぞ」
若者の視線が一瞬ゆれ、すぐにそらされたが、トゥーレにはそれを気にとめる余裕はなかった。
「そもそも奴隷とくらべるのが間違ってます! 前提が間違っていれば、途中の論理が矛盾していなくても、導きだされた答えは間違いなんです!」
大声でどなった。
イースは口を開けたまま、かたまった。ほかの者も唖然としている。
トゥーレは硬直しているイースを細い腕でぐいとおしのけて、若者の前にひざまずいた。
「お願いです。さぞお腹立ちかと思いますが、どうか俺に迷宮の解き方を教えてください。あなたの知識が必要なんです。どうか俺の師匠になってください。イース様やウルガゾンテへの不満は俺にぶつけてもいいですから。イース様たちに殴られたら、憂さ晴らしに俺を殴ってもいいです」
「なにを言ってるんだ!」
イースはトゥーレの肩をつかんでさえぎった。
「俺はウルガゾンテの人間が他国の奴らに奴隷にされたり、殴られたりすることのないようにと剣を取ったんだぞ。なのになぜお前が、フィリグラーナの人間のために殴られなきゃならないんだ。馬鹿なことを言うな!」
いつにない激しい口調だった。だがトゥーレも引きさがらなかった。
「だからって、ほかの国の人を殴ることはないでしょう! 国でも人でも、片方だけが殴られる関係なんてありえません!」
「トゥーレ!」
「——おい、あんた」
背中から声がした。
ふりかえると、それまで黙っていた若者が、トゥーレを見あげている。
「やめとけ。あんたがいくら俺をかばっても無駄だから」
「え……」
若者がまともに話したことにその場の誰もが驚いた。特にカイたちは仰天し、お互いに顔を見あわせてうろたえている。
若者は周囲の空気など意に介さず、ただトゥーレにだけむかって話した。
「たとえ俺を拷問しても、俺はフィリグラーナの迷宮の秘密を絶対に喋らない。それに俺が行方不明になった時点で、フィリグラーナの迷宮は仕掛けも結界も経路も、すべて大幅に変更されているはずだ。もし俺から迷宮の情報を引きだしたとしても、フィリグラーナの権標を手に入れることはできないんだよ」
トゥーレはイースと顔を見あわせた。
どうやら若者は、フィリグラーナの迷宮の謎を喋らされるために誘拐されたと思いこんでいるようだ。
若者は目をなかば伏せ、つづけた。
「……それから、俺を人質にしてフィリグラーナ王国から金を取ろうとか、交渉をするなんてこともできないぞ。俺ひとりいなくなったところで、彼らにはなんの支障もない。敵に対してわずかでも譲歩するくらいなら、彼らは俺を見捨てる。そういうところだ。俺をかばおうが殴ろうが、お前らはただ俺の最後にけりをつけるしかできないんだ。はるばる大陸の端からさらいにきたってのに、無駄足だったな。ご苦労なことさ」
投げやりに鼻で笑った。イースたちだけでなく、自分自身をも嘲笑しているように感じられた。
古王国フィリグラーナでは自国の迷宮管理者をこんなふうに扱っているのかと、トゥーレは苦々しい思いをうけた。
だいたい人ひとりいなくなっても、なんの支障もないとはどういうことか。そんなはずはないし、またそうであってはいけないとトゥーレは思った。
現に今、自分は以前のトリスケルの迷宮管理者がいなくなったせいで困っているわけだが、それは誰かが死んだのだから当然のことだと思っていた。フィリグラーナは、人を取りかえのきく道具だとでも思っているのだろうか。
トゥーレはたまらなくなって、若者のそばにしゃがみこんだ。
「あの——」
言いかけて、気づいた。トゥーレはまだ、この若者にきちんと挨拶をしていない。
「……申し遅れましたけど、俺はアルティマのトゥーレといいます」
間がおかしいとは思ったが、それでも名のった。
「トゥーレ」
若者はたしかめるようにトゥーレの名前をくりかえし、うなずいた。
「よろしく。俺はテスラのマグメルだ」
拍子抜けするほど素直に名のり返した。カイとその仲間たちはまたもや驚愕して、右往左往せんばかりだ。いったいマグメルは逃亡中どれほど扱いにくかったのだろうか。
トゥーレは居住まいを正し、マグメルにむきあった。
「あの、俺たち、マグメルさんからフィリグラーナの迷宮の秘密を聞きだそうと思って誘拐したわけではないんです」
マグメルはぽかんと、口を開けた。
「フィリグラーナの迷宮の謎を知りたいんじゃないのか? だったら、いったいなんのために俺をさらったんだよ?」
「同じ迷宮でも、俺が知りたいのはこのウルガゾンテの迷宮の謎だ」
イースがかわりに答え、トゥーレの腕をつかんで引きよせた。
「お前には、ここにいるトゥーレと一緒に、この国の迷宮を解いてほしい」
マグメルは不審そうにトゥーレとイースを見くらべた。彼は明らかにイースに対しては返事をしたくない様子だったが、最後は好奇心に負けたらしい。問いを口にした。
「……なにを言ってるのかわかってるのか? 迷宮を解くってのは、その国の権標を無防備にさらしてしまうってことだ。王となる資格を奪われかねないんだぞ」
「そうさ。奪うのは俺だよ」
イースはカイに合図をした。カイはマグメルの手首を縛っていた縄をほどきはじめた。
「俺はノズのイース。俺がほしいのはフィリグラーナじゃない。ウルガゾンテだ。前にいた王は首尾よく殺したが、まだ迷宮の権標には対面していない。前王が迷宮管理者を全員殺してしまったからだ。権標が手にはいらないと、このままずっとならず者扱いされて、正当な王になれないってわけだよ」
縄がほどけた。マグメルは自由になった手首をさすりながらも、イースから視線をはずさない。
「——ウルガゾンテってことは、丘の上に建つ列柱の迷宮か。王都トリスケルに常春の祝福をもたらす神々の遺物が封じられているんだったな」
そこで考えこむようにちょっと眉根をよせた。
「簒奪者が迷宮を解いた例は多くない。迷宮というのは建物自体が複雑なうえに、結界が張られていて、ちょっとやそっとじゃ解けないようになっているからだ」
「わかっている。だから、大陸随一の迷宮を管理しているお前に力を借りたいんだ。トゥーレも頭のいい奴だが、迷宮に関しては素人だからな。専門家に協力を頼みたかったが、迷宮管理者を国外にだすなんて、どの国でも許可するはずがないだろう? だから、お前には悪いがこうした手段をとらせてもらったんだ」
マグメルは生木も凍って裂けるような視線でイースを見た。
「野蛮だ」
だがイースもひるまない。
「お前たちフィリグラーナが西方諸国でやっていることにくらべたら、ずっとましだと思うがな」
マグメルはふたたび口をつぐんだ。
イースは容赦なく続けた。
「お前に選択肢がないということはわかるな。フィリグラーナを裏切れとまで言っているわけでなし。おとなしく協力するほうが身のためだぞ」
「だからイース様、そんな言い方は——」
「ふたりとも落ちついて。あなたたちが喧嘩してどうするの」
言いあいになりかけたトゥーレとイースを、蒼い衣の吟遊詩人がとめた。
詩人はすすみでると、マグメルを見た。
「あなたも少し時間をおいて考えてみるといいわ」
マグメルは詩人を横目でにらんだ。詩人が何者か、おしはかっているようだった。
詩人はにこりと微笑みを返した。
「選択の余地がないことはたしかみたいだし、ここは開きなおってトゥーレと一緒にトリスケルの迷宮を解いてみるのがいちばんじゃないかしら。トゥーレはいい子だし、それに他国の迷宮を堂々と解いていいなんて、あなたにとっては貴重な機会のはずだもの」
この言葉に、マグメルはちょっと頬を赤くした。
「べつに……」
後ろめたさを隠すように目をそらせ、わざとらしく咳ばらいをした。詩人はすかさず追い打ちをかける。
「迷宮の管理者なら、誰だっていちどは挑戦したいことよね? おもしろそうじゃない。私までわくわくしちゃう。ぜひその気になってほしいわ」
「俺は——」
マグメルは言いかけて、口をつぐんだ。そして軽蔑のまなざしで詩人を見やる。
「……なるほど。イースたちが鞭役で、あんたとトゥーレが飴役ってわけか。そうやって俺をゆすぶって承知させようって腹だな」
「あら。私は」
そのとき、人垣をわって輪のなかにすすみでたものがいた。
大狼のアシュリンである。
おそらく詩人が自分のそばをはなれ、誰も相手をしてくれないので、寂しくなったのだろう。
人間の頭など一口でのみこんでしまいそうな、大狼の巨大な頭蓋が、ずいとマグメルの目の前につきだされた。
これには誰もが息をのんだ。凍える北の森で、その凶暴さをおそれられている大狼だ。城の兵士たちでさえ、アシュリンに怯える者は多かった。
まして神々の聖地だった古王国フィリグラーナの者には、大狼など異境の怪物か魔物としか見えないだろう。恐怖で正気を失ってしまうかもしれない。
はたしてマグメルは、アシュリンを見て茫然自失していた。
「…………大狼……」
マグメルはようやく声をしぼりだした。
あまりのことに現実だと信じられないのか、どこか夢見心地にも聞こえる声だった。
次の瞬間、マグメルはすっと表情をあらためたかと思うと、まるで頭をさげて挨拶するかのようにアシュリンの口元に自分の頭をさしだした。
大狼はもともと野生の獣だ。アシュリンも、イースと詩人以外にはなついていない。急所である顔の前に唐突に頭をつきだされて、アシュリンはうなり声をあげ、マグメルの頭にかみつこうとした。
大狼の強いあごと鋭い牙は、人間の頭などたやすくかみ砕いてしまうだろう。誰もが惨事を予想して蒼白になった。
「アシュリン!」
イースは鋭く叫ぶと同時に、咄嗟にマグメルの肩を蹴りつけた。結果、マグメルはアシュリンの牙から遠ざけられたものの、床にぶち当たるように倒れ伏してしまう。
イースはさらに、アシュリンの頭をこぶしで思いきり殴りつけた。アシュリンは子犬のような高い声をあげて体を縮め、詩人の背中に逃げた。
「人間に噛みつくなと、いつも言ってるだろう!」
そのままの剣幕で、マグメルにふりかえる。
「お前もお前だ、この馬鹿野郎! なにを考えてる! 死ぬ気か!」
マグメルをどなりつけた。マグメルはゆっくりと身を起こす。
「べつにいいじゃないか。どうせ俺が言うとおりにしなければ、殺すんだろう?」
「なに?」
「俺は絶対にお前たちなんかの言うとおりにしない。絶対にだ」
イースは無言でマグメルに歩みより、手をあげた。
上背こそ同じくらいだが、体格はイースのほうが頑強だ。イースがマグメルを本気で殴ったら、怪我ではすまないだろう。トゥーレとカイは、あわててイースの腕にしがみついた。
「だ、だめです、イース様!」
「イース、やめろ」
だが、イースには聞こえていないようだった。そのままトゥーレとカイを引きずってマグメルにつめより、どなる。
「大国の誇りを守って死ぬつもりか。だがそんな安易な死は誇りじゃない。ただ命を軽んじているだけだ。この馬鹿が!」
「だから死にたくなければ言うことを聞けって? 命の価値をわかっていないのはどっちだ。救いがたい馬鹿はお前だよ!」
カイはともかく、小柄なトゥーレはイースをおさえることなどできない。こらえきれずに手を放すと、イースは大きく腕をふりかぶった。
「イース様!」
肉を打つ、鋭い音が広間に響きわたる。
床の上で小さく身を丸めたのは、トゥーレだった。
「トゥーレ!」
詩人が悲鳴をあげる。イースは手をふり下ろしたまま、呆然としていた。
マグメルはあわててトゥーレのそばにひざまずき、トゥーレを助け起こした。
「トゥーレ! なんて馬鹿なことを。大丈夫かい? 本当に馬鹿だよ! しっかり」
言いながら、服の裾でトゥーレの顔を拭いてくれた。顔半分がしびれているのでよくわからないが、血の味がするので、唇でも切ったのだろう。
トゥーレはマグメルの手をおしとどめ、なんとか口を動かした。
「……俺がかわりに殴られるから、迷宮の解き方を教えてください」
そう言ったつもりだったが、なんだか不明瞭な口調になった。
それでも意図は伝わったようだ。イースが両手で顔を覆い、マグメルは顔をゆがめた。
「——わかったよ」
マグメルはため息とともに答えた。
「わかった。きみの言うとおりに、協力してウルガゾンテの迷宮を解こう。そのかわり、二度とこんなことをしないでくれ。お願いだ、頼むよ」
トゥーレはほっと安堵して、イースに目をむけた。
「イース様……この人は承諾してくれました。だからどうかこの人を、俺と同様に扱ってください」
イースはまだ顔を手で覆っていたが、しばらくしてやっと顔をあげ、トゥーレとマグメルを交互に見た。
「いいだろう。俺の名にかけて、誰にもそいつに手出しはさせないと誓う。ただし」
イースはマグメルをにらんだ。マグメルもイースをにらみ返した。
「そいつが協力するかぎりにおいてだ。なにかあれば、俺がこいつを斬る」