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ウルガゾンテの空と海は、夏の午後でも透きとおった色をしている。薄い雲も遠い潮騒も、どこか寒々しい。
それでもトリスケルの海は、どんな厳しい冬でもけっして凍らない。
(……神々の祝福か)
トゥーレは丘の上から海を眺めおろした。
常春の都市、王都トリスケル。神々が去って数百年たつが、今も神々の祝福なくしては、王都としての規模や体裁は維持できない。人々は今も、神々に頼って生きているのだ。
そして神々の祝福は、迷宮に封じられているウルガゾンテの権標にあると考えられていた。王がウルガゾンテの王としてあるためだけではなく、この地がウルガゾンテという国であるために、権標は必要なのだ。それほど大切なものなのだ。
トゥーレはふりかえった。
目の前にそびえたつのは、無数とも思える灰色の石柱の群れだった。
太さや高さは、柱ごとに違う。また柱の間隔や配置も、一定ではなかった。なめらかで飾りのない石の表面だけが同じだ。
石柱群をじっと見ていると、垂直の線が雨のように見えてきて、遠近感が定かではなくなってくる。果ては目がくらんで、まっすぐに歩くことさえかなわなくなった。
これがトリスケルの三つめの丘にある「迷宮」だ。建物ではないから正確には「迷宮」ではないのかもしれないが、人を迷わせる建造物はとりあえず「迷宮」と称されるならわしである。
この広い柱の森のどこかに、ウルガゾンテの権標である神々の遺物が封じられているはずだった。
トゥーレはため息をついた。
知恵試しに合格したトゥーレには、迷宮を解くという大役が命じられた。城のなかに部屋を与えられ、俸給も約束してもらった。宿なしだったトゥーレには、恐縮してしまうほどの好待遇だ。
そしてキーンからは、迷宮の丘をかこむ城壁の、門の鍵がわたされた。
期待に応えるため、さっそく迷宮の丘を訪れてあれこれと試行錯誤しているのだが、この柱の迷宮のどこからどう手をつけていいか、まずそこで考えあぐねている。知恵試しから十日あまり経っていたが、糸口すらつかめなかった。
迷宮の丘は王城や町と同じほどの大きさがある。かなり広いのだが人は住んでおらず、道一本、階段ひとつなかった。膝の高さほどの草がおいしげるなかに、無数の石柱が建っているだけだ。きわめて単純な風景である。
けれどいつも視界のどこかに直線が見え、歩いていると、しだいに方向感覚や距離感が狂ってくる。柱の太さや高さも一定でないためか、遠近感もあやうい。おかしくなった感覚に引きずられて、思考や記憶まであやふやになりそうだ。
おかげで、石柱群のおくに入っていくこともままならない。
(これが迷宮か……)
トゥーレは二度目から糸巻きをもって丘を訪れた。糸の端を柱にくくりつけ、迷わないよう道しるべにしようと思ったのだ。
だが迷宮は広すぎて、すぐに糸が足りなくなり、おくまで充分に探索することはできなかった。糸を長くすればいいのだろうが、もっとほかに、根本的なところを考えなおさなくてはならないような気もする。
通常、迷宮には管理者がいて、迷宮の建物やその結界の保全管理をしている。その関連資料がすべて失われたのは、本当に痛い。キーンも、城の図書室などを徹底的に調べたらしいが、手がかりとなるものはなにも見つからなかったという。
したがってトゥーレは、手がかりを自分で作らねばならないのだ。
(とりあえず、地図を作るか……でもそれじゃ時間がかかりすぎるかな。俺には測量技術もないし、道具もないし)
そんなことを考えているうちに、夕刻を知らせる鐘が鳴った。
ウルガゾンテの夏は日が長いので、周囲はまだ充分に明るい。太陽が水平線に沈んだあとも空が明るい状態が続くので、真夜中でも本が読めるくらいだ。油断をするとつい徹夜をしてしまう。
が、気温は昼間よりも大きく下がる。明るいからと言っていつまでも外にいると、体が凍えることもあった。
トゥーレはあわてて丘をおり、城にむかった。
トリスケルの城では、ほとんどの者が広間で食事を取る。夕食時は特に混みあってにぎやかだ。トゥーレはいつものくせで、目立たないようこっそりと入りこんだ。
広間のおくを見ると、アシュリンが暖炉の炉辺に寝そべっているのが目に入った。蒼い衣の吟遊詩人が、その腹に貴人のごとく優雅な趣でもたれて、弦楽器をつま弾いている。
詩人もトゥーレと同じく、城の居館に部屋をもらっていた。だがトゥーレが毎日のように迷宮と城を往復しているのに対して、詩人は気まぐれに町にでては歌をうたうばかりだった。ここ数日は近隣の村にでかけていたのか見かけなかったが、帰ってきたようだ。
城にいるときの詩人には、終始アシュリンがついてまわっている。トリスケル城内は今のところ男ばかりで、本来なら若い女である詩人は好奇の的となるはずだが、アシュリンがそばでにらみをきかせているおかげか、詩人に軽口を叩く男は皆無だった。
男たちが詩人に対して遠慮する理由は、ほかにもあった。誰もが気づいているわけではなかったが、詩人はどうやら、夜中にイースの寝室を訪れているらしいのだ。詩人が夏の夜の薄闇に蒼い衣をまぎれさせ、イースの寝室にむかうところを、トゥーレも幾度か見かけていた。
トゥーレは詩人をそっとうかがい見る。顔や手は日に焼けているが、袖からのぞく腕の内側は白く、やわらかそうだった。なにか胸が騒いで、トゥーレは目をそらせた。
広間は太い木の梁や柱に彫刻をほどこした美しい部屋だった。前王はこの大きな広間に食卓をひとつだけおき、楽人に歌わせ、大勢の召使いに給仕をさせていたという。
だがイースがここに来てからは、食卓や椅子をいくつも並べ、皆が一緒に食事をする場所になっていた。
今も広間は大勢でごったがえしている。イースは暖炉に近い席にいたが、これは上座だからと言うより、アシュリンに近い位置にすわっているだけだろう。アシュリンが食卓の食べ物に興味を持ったとき、とめられるのは彼だけだからだ。
広間にいるほかの男たちは、ほとんどがイースにしたがって北の地からやってきた者だった。なまじな傭兵よりもよほど剽悍で強靱だったが、食事をしている様子は子供のようにさわがしい。呆れるほど飲み食いしては、よく笑い、ときには喧嘩もした。
詩人が手すさびのように奏でる音楽は、こうした騒々しい広間にふしぎなほどとけこんでいた。食器のふれあう音や笑い声までが、音楽の一部になっているように聞こえた。粗野な雰囲気なのに、どこか風雅であるとさえ感じられた。
もし詩人が本気で歌えば、広間にいる全員が食事の手をとめて聴きいるはずだ。詩人はあえて皆の食がすすみ、会話がはずむ程度に歌をおさえているのだろうと、トゥーレは思った。
トゥーレはイースに目を移す。イースの隣には客人らしき見知らぬ髭の男がおり、キーンと話をしていた。
しばらくそのまま、トゥーレはイースを観察した。
よくかんで食べる仕草は妙に生真面目で、子供っぽく見えた。
食事を残さず、きれいに食べている人は見ていて気持ちのいいものだ。すっきりとしたあごが上下に動く様子を、トゥーレは飽きず眺めていた。
暖炉にくべられた泥炭の匂いが部屋にただよっている。あたたかく乾いた空気が心地よい。
トゥーレは柱にゆったりともたれて、その場の雰囲気にひたった。食事はまだなのに、すでに満ち足りた気分だった。
そのときふと、アシュリンが目を開けた。そしてトゥーレを見て、尾をふる。
歓迎してくれているようだが、もしかするとトゥーレを今夜の餌と勘違いしているおそれもある。トゥーレは緊張に身をかたくした。
「アシュリン。すわれ」
イースがアシュリンをたしなめ、トゥーレがいるほうに目をあげた。
「トゥーレもなにをずっと立ってるんだ? はやくすわって食えよ」
「え」
もしや自分が見つめていたことに気づかれていたのだろうか。だとすると、とても恥ずかしい。トゥーレが焦っていると、詩人が楽しそうに笑い声をあげ、弦をはじいた。
「トゥーレの赤毛ってすごく目立つものね。このお城には金髪の人が多いから、小麦畑のなかのヒナゲシみたいに見えるわ」
トゥーレは思わず頭に手をやった。城で風呂を使わせてもらうと、トゥーレの髪はますますあざやかな赤になり、宿なしだったころにも増して目立つようになっていた。おまけにトゥーレは肌が白いので、よけいに対比がきわだった。
おかげで、人にじろじろと見られることが増えた気がする。だがそれはトゥーレの本意ではない。トゥーレは背を丸め、せめてと両手で髪をおさえつけた。
「とにかくすわれ」
イースにむかいの席をあごで指し示された。イースの横には客人らしき男もいるし、遠慮したかったのだが、命令なら仕方がない。言われるままにすわった。
「今日もでかけていたのか。朝から見かけなかったが」
「は、はい」
トゥーレはうつむいたまま答えた。
「昼飯はどうした。昼に、ここで見かけなかったぞ」
「あ……忘れてました」
丘の麓にいたころは、一食や二食どころか一日、二日と食べられないことも多かった。それより以前には、飢え死にしかけたこともある。そんな慣れもあって、今でもなにかに気を取られていると、つい食事をとることを忘れてしまうのだ。
だがイースは不愉快そうに眉をひそめた。
「食え。城にはお前が食う分もちゃんとある。俺は腹を空かせた奴を見るのは嫌いだ」
「申し訳、ありません」
「ちゃんと寝て食わないと頭も体も動かないぞ。俺に仕えるつもりなら、まずは食え」
そう言って、大皿からパン、茸と一緒に焼いた兎の肉などを皿にとりわけ、トゥーレの前におしだした。どう見てもトゥーレの胃袋の許容量を超えていたが、おそれおおくも城主にとりわけてもらって抗議できるはずもない。
「イース。トゥーレを甘やかすのはいいけど、その分量はちょっと無理じゃない?」
かわりに吟遊詩人がとりなしてくれた。イースはまたも眉をひそめた。
「これくらいなんだ。だいたい甘やかすってなんだよ」
「いえ。あの、俺、いただきますから」
必死に口をはさむと、イースは満足そうにうなずいた。
「残さず食え。迷宮を解く前に倒れられたりしたら困る」
「——迷宮?」
イースの隣にいた髭の男がふしぎそうに声を発した。
トゥーレは顔をあげ、あらためて髭の男を観察した。
藁色の髪に、同じ色の髭が頬からあごをおおっている。立襟の上衣に長衣という、町人にはごくありふれた身なりだったが、前身頃にほどこされた刺繍は手のこんだものだ。見るからに裕福そうだが、しかし貴族ではない。商人、しかも異国人ではないかとトゥーレは見当をつけた。
食堂にいるほかの男たちは粗末な杯で火酒を飲んでいるが、この男だけは客人用の錫製の杯にそそいだ葡萄酒が供されている。
「こんな子供が、トリスケルの迷宮となにか関係があるのですか? 何者です」
自己紹介もせずに問うた。キーンがいつもの上品な口調で答えた。
「この者はトゥーレと申します。まだ若いですが知恵者ですので、迷宮を解かせているのですよ。ご存じのように、イース殿が王になるには、まず迷宮にある権標を手に入れねばならぬと神殿が言いはっているものですから」
髭の男は大げさなほど驚き、トゥーレをまじまじと見つめた。
「こんな子供が迷宮を解くと? キーン殿、それは無理と言うより無謀では」
トゥーレを目の前にしていながら、まるで当人には聞こえないと思っているかのように、あからさまに軽んじた。とはいえ、事実若いし貧弱なのだから、怒る気も起きない。黙っていると、イースがトゥーレに声をかけてきた。
「トゥーレ。この髭の親父はリメリックだ。毛皮をあつかう商人で、俺たちとは昔から取引がある。ちなみに戦の金をだしてくれたのもこいつとそのお仲間だ」
髭の親父と紹介されて、リメリックはちょっと鼻白んだようだが、威厳を保って胸を反らせた。仕草がどことなく芝居がかっている男だと、トゥーレは感じた。
「ウルガゾンテでとれる貂や山猫、そして太古の獣たちの毛皮は、宝石や黄金と並ぶ富貴の象徴。たいそう高く取り引きされるのですよ。私とその仲間は、それらの毛皮をウルガゾンテの王族や貴族の手を経ず、直接取り引きしたいと思いましてね」
そこで、商人らしい愛嬌のある眉を下げた。
「……しかし、まさかウルガゾンテ全土を統一するほどの戦をなさるとは思いませんでした。思いもよらぬ出費ですよ!」
「まあまあ、リメリック殿」
キーンがとりなした。イースは口の端をわずかにあげる。
「俺がウルガゾンテの王となったほうがお前もうまい汁を吸えるだろう? 北で見つかった鉱山にも、興味津々だったじゃないか」
「それはたしかにそうですがね」
リメリックは、困り顔を笑顔に変えた。
「よろしい。見返りに、しっかり儲けさせていただきますよ。とりあえず、このトリスケルに大きな商館を建てさせていただきましょうか」
「ああ、どんどん商売をしてくれ」
イースはリメリックの杯に酒をそそぎ、次にキーンの杯にもついだ。
なるほど、ノズの民がなぜ王都を落とすことができたのかふしぎに思っていたが、軍資金を用立ててくれる者がいたのだ。トゥーレが納得してリメリックを見やると、彼もトゥーレに目をむけた。
「それで、迷宮のほうはどうなんです、トゥーレ殿? 解けそうですか?」
身をのりだして問いかけてきた。
「あなたにはぜひ迷宮を解いてもらわねばなりません。がんばってくださいよ。イース殿には、ぜひとも王になっていただかなければなりませんからね!」
つい今しがたトゥーレを軽んじたことなど忘れたような、うってかわった調子のいい態度だった。閉口しそうになったが、トゥーレは慎重に口を開いた。
「……正直、はかばかしくありません。申し訳ありません」
リメリックが大仰に眉をよせた。キーンがトゥーレのかわりに弁解する。
「迷宮は王国の権標を守るものですから。簡単に解けるようではむしろ困ります」
「それはそうですが。でもこんな状況ですし、はやく解いていただかなくては。手段など選んでいられないでしょう?」
「迷宮は、砦のように破城槌で突破できるわけではありません。迷宮は知恵でのみ開かれるのです」
「でしたら、知恵をもっとしぼるべきではありませんか? 知恵にも正攻法だけでなく搦め手や奇策があるはずでしょう」
言葉を選ぶことを知らないというより、知っているがトゥーレに対しては配慮の必要はないと思っているかのようだ。いちいち腹は立ったが、事実、トゥーレはいまだに迷宮を解けずにいる。
忸怩たる思いで黙っていると、イースがリメリックにむかって言った。
「トゥーレのことはとやかく言うな。もともとひとりでする仕事じゃないのに、こいつひとりに背負わせているんだ。なのに文句も言わず、毎日迷宮に足を運んだり、夜中まで調べ物をしてくれてるんだからな」
トゥーレは驚いてイースを見た。迷宮の丘にでかけているのはともかく、夜中まで図書室にいることは気づかれていないと思っていたからだ。
「——いえ、イース様」
トゥーレは首を強くふった。赤毛がゆれて、顔にかかった。
「俺が悪いんです。迷宮を解くために選ばれたのに、つとめを果たしていないんですから。このままじゃウルガゾンテが王のいない国になってしまいます」
王のいない国など、周辺国の格好の餌食だ。せっかく内乱が終わったのに、今度は異国との戦がおこってしまうかもしれない。イースへの申し訳なさと戦への恐怖で、リメリックの嫌味もなおさら身にしみるようだった。
だがイースも首をふった。
「お前ひとりの責任じゃない。王国に王は必要だろうが、正式に戴冠式をしていないくらいで滅ぶ国なんか脆弱なものだ。だいいち、神々はもういないのに、いまだに神々の遺物を持たないと正当な王と認めないっていうのが馬鹿げた話なんだからな」
最後は辛辣な口調で言って捨てた。キーンが控えめに顔をしかめる。
「イース殿……そのような不遜な言葉が神殿に知られれば、問題になりかねません。今、神官たちの機嫌を損ねるのは得策ではありませんよ」
「神殿の奴らなど好きに吠えさせておけ。俺が敬虔な人間じゃないのは事実だ」
イースは火酒をあおった。
「神に祈っているあいだにも、俺たち人間は腹が減るし、冬になれば凍える。戦も起こる。祈るより先にするべきことは、たくさんあるんだ」
イースの言葉に、リメリックも困惑の表情を見せていた。
たしかにイースは、神に対して不敬な面があるようだ。それがいいことだとは思わなかったが、トゥーレには彼の言葉が理解できたし、かなりの部分で共感もできた。
神に祈ってもやせた大地に小麦は実らないし、冬があたたかくなるわけではない。少しでもましな暮らしをするためには、人がみずからの手でやらなければならないことがたくさんあった。それは神への信仰とはまたべつの話なのだ。
自分もこの手でなにかせねばならない。だが、なにができるだろう。
考えて、足を踏みだし、結果としてトゥーレは今、城にいた。
自分の仕事は迷宮を解くこと。そしてイースを王にすることだ。
トゥーレは顔をあげてイースを見る。ちょうどイースも、トゥーレを見やったところだった。イースは目があうと、トゥーレをなだめるように青い目を細めた。
「とにかく、迷宮については俺も考えてことがあるから、お前はあまり焦るな」
「……考えていること?」
それはなにかと問い返そうとしたそのとき、広間の両開きの扉が、音をたてて大きく開かれてた。
皆がいっせいに入り口を見る。同時に、屈強な男たちの一団が足早に入ってきた。全員が剣を革帯に下げている。広間の男たちは瞬時に緊張し、身がまえて立ちあがった。
「——皆、すわってくれ。俺だ!」
先頭にいた男が旅装のフードをはねあげ、叫んだ。すると広間の緊張はたちまち解けて、かわりに方々から歓喜の声があがった。
「カイ! 無事でなによりだ」
イースが立ちあがり、食卓をまわりこんで先頭にいた男に両手をさしのべた。
「よお、イース。久しぶりだ。会いたかったぞ!」
カイと呼ばれた男は骨太な笑みを浮かべると、さしだされた手をぐいと引きよせてイースを抱擁した。
キーンも立ちあがり、すすみでた。
「カイ殿。なぜトリスケルに? ノズの地にいらしたのでは?」
「イースに頼まれていた仕事がうまくいったから、その報告だよ」
カイのうしろにいた男たちは、大きな皮袋を三人がかりで肩にかついでいた。イースの前まで来ると、皮袋を床におろす。
その皮袋がもぞりと動いて、トゥーレは思わず身がまえた。
なかに、なにか生き物がいる。
「首尾はどうだ?」
イースが抱きしめられたまま問うと、カイは得意げに笑った。
「誰にむかって聞いてる。完璧に決まってるだろう。俺はノズでいちばんの狩人だぞ」
イースの背中を叩いて彼を放すと、仲間にふりかえってあごをしゃくった。それを合図に、男たちが皮袋の口を開きはじめる。
詩人やキーン、リメリックも、袋の中身に興味をひかれて集まってきた。
「弱ってないだろうな?」
イースの問いに、カイは顔をしかめた。
「いちおうはな。だがまあ、手強い。素直じゃないのは覚悟しておけ」
「ふん」
カイは皮袋の口を縛っていた紐をほどいた。そして皮袋を一気に逆さまにして、なかのものをぶちまける。
床に、黒いものがふわりと広がった。不器用にうごめいたかと思うと、その黒いものはがばっと身を起こした。
「え……」
あらわれたのは、まだ若い男だった。広がった黒いものは、若者の衣だ。
年齢はイースよりも少し若いくらいだろうか。大きく広がる黒衣のせいで体型ははっきりとわからないが、背は高いほうだろう。イースと同じくらいあるかもしれない。だが肩の厚みから察するに、イースよりずっと細身のようだった。
濃い金褐色の巻毛に、琥珀色の瞳。肌の色はトゥーレやイースたちよりあたたかみのある色合いだ。ウルガゾンテ人ではない。もっと南方の人間だろう。
秀麗な顔は鋭く引きしまっていたが、精悍と言うよりは知的で、気むずかしそうに見えた。
若者は両手首を後ろ手にしばられていた。この屈辱に抗議するように目を怒らせて皆をにらみつけている。
だがトゥーレは、若者がただ怒りにまかせて皆をにらみつけているのではなく、冷静に観察をしていることを見て取った。彼はイースの銀髪を見てわずかに目をすがめ、それから広間に集まったほかの男たちを順に見ていった。キーンやリメリックのところで眉間にしわをよせ、トゥーレの赤毛のところでは目をみはった。
拘束されていても顔色はよかったし、体の動きから判断するかぎり、問題なく元気そうだ。客人扱いでないことはたしかだが、ちゃんと世話を受けていたらしい。
若者が大きく身をよじり、首からさげた銀色の胸飾りが大きくゆれた。方形の胸飾りで、表面には自らの尾を咥えた蛇が浮き彫りにされている。
その胸飾りを見たとたん、リメリックが顔色を変えた。
「——ま、まさかあれは……」
キーンも蒼白になった。
「イース殿! あれはフィリグラーナ王国の迷宮管理者のしるしではありませんか?」
(フィリグラーナ?)
神々から至宝をゆずりうけた英雄が建てた、最古の王国。大陸でもっともゆたかな富と洗練された文化、そして謎に満ちた迷宮を誇る国だ。
イースは声もなく、ただ口角をあげた。
「そう。こいつはフィリグラーナの王都地下迷宮を守護する、迷宮管理者だ」