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祝福の地 簒奪者と列柱の迷宮  作者: 西東行
第1章 イース
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 城塞には、いまだうっすらと焼け焦げた匂いがたちこめていた。

 広間の壁は、壁掛けや毛皮も失われたまま、煤や剣の跡がむきだしになっている。そのためだけではないが、部屋はひどく寒々しい。

 広間のおくは数段高くなっており、彫り物をした大きな椅子がすえられていた。彫り物の意匠は祝福を示すものだが、その椅子にも大きな傷と赤黒い染みが残っている。

 汚れた椅子には、ひとりの男がすわっていた。

 年齢は二十代後半と言ったところか。長い手足を投げだすようにだらしなくすわっていたが、隙はいっさいない。肘掛けからたらした手は、椅子に立てかけた長剣を今にもつかみそうに不穏にゆれていた。

 男の足下には大狼がうずくまっている。北の森に生きる獣で、ふつうの狼よりさらにひとまわりも大きい。雪と氷にまぎれる白銀色の毛皮はみっしりと密でつややかで、まさに森の王者にふさわしい風格だった。

 大狼の横柄で傲慢な雰囲気は、椅子にすわった男とよく似ていた。いや、男が大狼に似ていると言うべきか。偶然にも男もみごとな銀髪で、そのせいで男と獣はよけいに似かよって見えた。

 男の瞳は、氷塊がうかぶ海にも似た、冷たく暗い青だ。

 男はその目で、階の下に立つ使者を見おろした。

「——俺たちノズの民は、ウルガゾンテ王の下につかない」

 そのまなざしにふさわしい、ひややかな声で言った。

「毛皮を王都におさめるのは、もうやめだ。これから俺たちは商人と直接取引をする。ウルガゾンテも毛皮がほしくば、俺たちに対価を支払え。食糧や布、薬などだ。いいな」

「馬鹿な……!」

 まだ若い使者は抗議の声をあげた。

「北の森の毛皮は、大国の王侯貴族しか手に入れられない最高級品だ。それを独占しようというのか! 無茶な要求だ」

「その最高級品を、税と称して俺たちから根こそぎ奪っていくのは無茶じゃないのか」

 足下にいる狼の、新雪のようにやわらかな毛皮をなで、男は言った。使者は言葉につまったが、なんとか反論する。

「その、たしかに以前の北の領主は、税を横領するなど、問題のある人物だったろう」

「まったくだ。……この城の惨状も、当然の結果だな」

 銀髪の男は脅すでもなく、淡々とした口調で言った。だが若い使者は表情をこわばらせ、戦いの跡が残る周囲を見わたした。

 広間の両脇には、腰に長剣を吊した男たちが並んでいる。ただ立っているだけだが、屈強な体にひそんだ暴力の気配には、それだけで相手を威圧するものがあった。若い使者は小さく唾を飲みこんだ。

「し、したがって、今回の件は不心得者を誅伐したとして罪には問わないと、国王陛下からは温情あふれるお言葉を賜っている」

 体裁をつくろうように、早口で言った。

「だが領主が入れかわっても、お前たちがウルガゾンテの民であることに変わりはない。これまでどおり北の地は毛皮を王に献上し、またあらたに見つかった鉱山の開発を——」

「俺たちはもはやウルガゾンテの民ではない」

 銀髪の男は、面倒くさそうに使者の言葉をさえぎった。使者は目をみはる。

「なんだと?」

「俺たちは新しい国を建てたんだ。ウルガゾンテの王にあらためて要求する。毛皮がほしければ俺たちと取引をしろ。そして俺のことはイース王と呼べ」

 使者は声もなく立ちつくした。

 だがイースと名のった男の言葉に驚いたのは、居ならんだ男たちも同様だった。ただ使者と違い、彼らが互いに見あわせる顔は、おさえきれない喜びと興奮に紅潮している。

 ひとり、使者と同じく愕然としている男がいた。イースのもっとも近くに立つ老人だ。白髪を丁寧にくしけずり、しわが深く刻まれた顔には、深い思慮と凛とした威厳がただよっている。ほかの男たちとは、明らかに異質の雰囲気をただよわせていた。

「……王だと? 馬鹿な、人が勝手に国を建てるなど、そんな話は聞いたこともない!」

 使者は神経質そうに顔をゆがめた。イースを嘲笑しようとしたのかもしれないが、うまくいかなかったようだ。

「国には兵や民、領地だけでなく、神々の遺物とそれを守る迷宮が必要だ。それなくば、いかなる国もお前たちを国とは認めないだろう。野蛮人の集団とさげすむだけだ」

「迷宮」

「——そうです、イース殿」

 声を発したのは、白髪の老人だ。全員の視線がいっせいに老人に集中する。老人は落ちつきはらった枯れた声でつづける。

「この世界を統治するのは、本来は高貴にして明澄なる神々の役目。統治者であられた神々の遺物を王国の権標としてたてまつらねば、人の身の王は成りたたぬことになっております。そして権標を安全に封じる場として必要とされるものが、迷宮です。迷宮は支配者の証なのです」

「神々の遺物か」

 イースは鼻で笑った。

「くだらん。とっくにこの世界を捨て去り、今はいない者の遺物をありがたがるとはな」

「な……」

 不遜な言葉に、使者は身をこわばらせた。

 イースは立ちあがった。

 大狼も身を起こす。どちらもすわっていたときの印象よりもさらに背が高かった。手足が長く、強靱でしなやかな体つきだ。身ごなしは悠然としていたが、ことが起これば俊敏な動きを見せるに違いない。

「だが、迷宮と権標がなければ王と認められないなら、しかたない。ウルガゾンテの権標をいただくとしよう」

 使者は蒼白になった。

「う、奪うというのか? 馬鹿な! 言っただろう、権標は迷宮に守られている! 城を落とすのとはわけが違うぞ。お前たちのような野蛮人が——」

 突然、イースは長剣を抜きはなった。目にもとまらぬほどのはやい動きだった。

 彼は切っ先を使者に突きつけ、黙らせた。

「お互い、語るべきことは語った。ここを去る前に俺の言葉を覚えていけ。戦だ。この国は俺たちがいただく。その気があるなら準備をして春を待てと、王都トリスケルにいるウルガゾンテ王に伝えろ」

 使者は声もなく顎を落とした。そのまま、動かない。

「去れ!」

 イースは鞭打つように叫んだ。同時に大狼が鋭く吠える。

 使者は文字どおりとびあがり、まろぶように広間をでていった。

 使者がでていったとたん、部屋に並んだ男たちが歓声をあげる。

「——戦だ! 次はトリスケルの都だ!」

「イース! 俺たちのイースが王になるんだ!」

 口々に言って、ときの声をあげる。そしてイースのもとにやってきては、イースの肩や背を抱いた。一気に部屋が騒がしくなったせいか、大狼は落ちつかない様子でイースのまわりをうろつき、鼻を鳴らしていた。

 長衣の老人だけが騒ぎに同調していなかった。皆がイースから離れてから、静かにイースに歩みよる。

 イースは横目で老人を見た。

「なにか言いたそうだな、キーン」

 キーンと呼ばれた老人は、小さくため息をついた。

「それはもう。ウルガゾンテ全土の王になるなど、また唐突な話ではないですか。ノズの民を貧困から救いたいと、あなたの頭にあるのはそれだけだと思っておりましたのに」

 イースは肩をすくめた。

「最初はたしかにそうだったが、欲がでてきたのさ。どのみちウルガゾンテの王とはぶつかるんだ。ならば、こちらから攻めるまでだ。お前が策士としてこれからも俺たちを助けてくれれば、できないことでもあるまい?」

「それはもちろん、喜んでお手伝いさせていただきますが……しかし先ほどの使者も言っていたように、王となるのは並大抵のことではありません。城を落とせばいいというわけではありませんから」

「わかっている。迷宮を解き、権標となる神々の遺物を得ねばならんのだろう」

「迷宮は知恵によってのみ開かれるもの。生半な知恵では解くことはできぬでしょう」

 考えこむように視線をそらせた。

「王を相手にしての戦となれば金もかかります。私はともかく、彼らははたしてこれまでどおり援助してくれるかどうか」

「戦は金儲けの機会でもある。奴らは商人だ。うまく立ち回るだろう」

 イースは大狼の頭をなでた。大狼もイースの手に頭をすりよせる。

「——戦の準備だ。王都トリスケルを、神々の遺物が眠る迷宮ごといただくぞ」



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