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祝福の地 簒奪者と列柱の迷宮  作者: 西東行
第3章 トゥーレ
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 トゥーレはしまいこんでいた女物の服をふたたび取りだして着こんだ。

 家族や故郷を失う以前には当然のように着ていた衣装だが、今着ると、なぜか身のおきどころがないほど恥ずかしく感じた。

 階下に降りていくと、イースはかすかに目を見はったが、それだけで、あとはふだんどおりの態度を取ってくれた。

 厄介なのはマグメルと詩人だ。彼らはなぜだかすこぶる上機嫌になって、歓声まであげた。

「ああ、可愛いわ、トゥーレ! 本当にヒナゲシの花みたいよ!」

「やっぱりその土地の衣装って、その土地の人間をいちばんきれいに見せるね! 刺繍の紋様が興味深いなあ。なにか意味があるのかい?」

 アシュリンもなにが気に入ったのか、さかんに尾をふっている。

「言葉ももとに戻したら? もとは男言葉じゃなかったんでしょう?」

「……急にはむりだよ」

「お前ら、あまりトゥーレを困らせるな。行くぞ」

 イースがふたりをたしなめてくれた。

 居館をぬけて王城の丘をくだるまでの道でも、トゥーレは皆に注視されて、部屋に逃げ帰りたいような心地になった。先日まで男の格好をしていた者が、女ものの衣装を着ているのだから好奇の視線も当然なのだが。

 人の気配のない迷宮の丘にたどりついたときには、トゥーレは心底ほっとした。

 城門を入ったところで、マグメルは地図をひろげ、方角や距離を確認した。

 それから地図をトゥーレに手わたすと、目を閉じ、指先を小さく、複雑に動かしはじめた。

 詩人が小さくささやく。

「あれは印を結んでいるのかしら? 見たことのないかたちだけど」

「……違う。あれは証明を解いているんだよ」

 一見すると、詩人の言うように、マグメルの指の動きは精霊を召還するための印を結んでいるようにも見えた。

 だが九点円の定理を知るトゥーレには、あの指の動きは証明をたどっているのだとわかった。

 トゥーレも目をほそめ、集中する。頭のなかで迷宮の丘の地図を思いだし、目の前の丘と重ねあわせた。そうして、柱がつくりだす巨大な三角形をできるだけ正確に思いえがく。それからマグメルの指の動きにあわせて、頭のなかで九点円の証明をつづっていった。

(中点と中点を結んで……中点連結定理だから——)

 頭のなかで筋道を立て、解いていく。

 証明を最後まで解き終わったときだ。

「あ——」

 閉塞感が解けるのが、はっきりとわかった。トゥーレは目を開け、視界の変化にさらに驚く。

 もともと屋外にある迷宮だ。広々としているという印象は以前からあった。だが今目の前に広がる風景とくらべると、以前見ていた風景はまるで絵のように薄っぺらだったように思う。やっと自分自身の目で迷宮を見ているのだと、トゥーレは感じた。

「すごい……景色は以前と変わってないのに、奥行きが全然違う」

 マグメルは胸を張り、得意げにふりかえった。

「これが結界の解けた状態だよ。柱が林立して歩きにくいっていうのはかわらないけど、以前ほど遠近感が無茶苦茶に狂うってことはないはずだ」

 イースもあたりを見回している。

「俺にはよくわからないが、風とおしのいい場所だな」

 アシュリンも風の匂いを嗅ぐように鼻を動かしている。

 詩人は肩をすくめた。

「私には、前回とまったく同じに感じるわ。でも本当にいい場所よね」

「さあ、九点円の中心に行こうよ!」

 はやる心を抑えきれず、トゥーレは先頭に立って歩きだした。アシュリンが跳ねるような足取りであとを追い、皆も続いた。

 一行は九点円の中心を目指し、列柱の森に入っていく。トゥーレはすぐに、柱が密集しているところを歩いても、息苦しくならないことに気づいた。ふしぎな雰囲気の空間を歩いているという感覚はあったが、目がくらむような困惑はいっさい感じない。

 かわりに、以前には感じとれなかったことに気づいた。

「——なんだか、あたたかくない?」

 トゥーレがつぶやくと、イースとマグメルは顔を見あわせた。

「言われてみれば、そうかな? 今日ってあたたかかったっけ?」

「よく晴れているからな。だからじゃないか?」

 詩人までが首をひねった。

「歩き続けて、体があたたまったのかと思っていたわ」

 トゥーレは柱に触れた。ひやりとしている。

「トゥーレ。今は九点円の中心を目指すことにしようよ」

「そうだね。ごめん」

 マグメルにうながされて、トゥーレは歩きだした。

 歩き続け、九点円の中心付近までちかづいたころ、柱の森が突然とぎれて、小さな空き地にでた。

 そのまんなかに、石材で丸くかこった井戸のようなものがある。

「なんだろう、あれ……?」

 トゥーレがつぶやくと、イースは腕を組んだ。

「井戸に見えるな。ウルガゾンテの権標は、井戸なのか?」

「わきでる水が権標とか? 水は大切なものだし、可能性としてはありそうだけど」

 全員で、井戸らしきもののまわりに立ってみた。つるべもそれを下げる滑車もないが、上部には重そうな蓋がのせてある。

 蓋の縁には、九箇所にかたい蝋で封印がほどこしてあった。封印はかなり古びており、蓋が長いあいだ開かれなかったことを示していた。

 封印におされた図柄は、重なった三角形と円——九点円だ。

 トゥーレはひらめいて、井戸のまわりを見わたした。井戸から少しはなれた三箇所に杭が打たれて、三角形をかたちづくっている。

「マグメル! 井戸のまわりに、三角形がつくられてるよ。この井戸も九点円なんだ!」

 マグメルはうなずき、井戸の縁に手をおいた。

「たしかに、ここがこの迷宮のもっとも核となる場所みたいだね。このなかに権標が守られているんだよ」

 トゥーレとマグメル、そして詩人の視線が、自然にイースにむけられた。

 権標と対面すれば、イースはようやく、正当な王となる資格を得るのだ。

「イース様……」

 声がふるえるのをおさえるために、トゥーレはいちど、大きく息をついた。

「あ、開けますか」

「ああ。このためにここまでやってきたんだからな」

 緊張するトゥーレとは対照的に、イースは無造作に答えた。

「——だがここまで来られたのは、俺ひとりの力じゃない。特に迷宮は、お前たちがいなければ解けなかった。本当に、感謝している」

「イース様!」

 トゥーレは感きわまって叫んだが、マグメルはふんと鼻で笑っただけだった。詩人は小さく、しかし嬉しそうに微笑んだ。

 イースは剣を鞘におさめたまま、ゆっくりとふりあげる。

 そして剣をふりおろし、封印に力いっぱい叩きつけた。

 封印が、一撃でこなみじんに砕け散る。

 イースは残った封印を次々に砕いていった。トゥーレには、封印がひとつ砕けるごとに、イースが王座へ一歩近づいていくような気がした。

 封印をすべて砕くと、イースは蓋に手をかけた。重たそうな蓋は、長いあいだ動かされたことがないようだ。トゥーレとマグメルも手助けしようと蓋のふちをつかんだ。

「——いくぞ」

「は、はい!」

「よし」

 三人で息をあわせ、一気に引き開けた。

 井戸の深い穴が、日の下にさらけだされる。

 だが、穴をのぞき見る間はなかった。光が井戸にさしこむやいなや、底から地鳴りが響いてきたのだ。

 トゥーレたちは井戸に近よることもできず、後じさる。

「——あぶないわ! 三人とも、もっと下がって!」

 詩人が叫んだ。

 次の瞬間、強烈な光と熱を放つなにかが、音をたてて井戸から噴きあがった。トゥーレは思わず悲鳴をあげ、顔を伏せる。

「トゥーレ!」

 イースの声がして、ぐいと引きよせられた。トゥーレもイースに必死にすがりつく。

 井戸から噴きあがったそれは、そのままうなりを立てて、凄まじい勢いで天高くに昇っていった。あたりは、まるで湯にでも満たされているかのように熱い。

「な、なに……?」

「——空だ。空を見ろ、トゥーレ!」

 イースの声にうながされて、トゥーレは空を見あげた。

 そして、驚愕に目を見ひらく。

「竜……?」

 ウルガゾンテの空に、巨大な黄金色の竜が旋回していた。

 蛇によく似た長大な体に、三日月形の角と、炎のようなたてがみをそなえた、ふるえるほど美しい竜だ。

 竜の放つ光で、空がまぶしく輝いている。まるで太陽がふたつに増えたかのようだ。空の色もあざやかに、雲のかたちも明瞭に見える気がする。いつも見るウルガゾンテの縹渺とした空と同じだとは、とても思えなかった。

「黄金の竜——あれが迷宮に封じられていたの?」

 詩人が叫び、マグメルもうなり声をもらした。

「竜が権標だったのか……!」

 答えるように、竜が力強くうねった。

 呆然としている皆の上に、ふわりと、雪のように軽やかなものが降りおちてきた。

「イース様! なんでしょう、これ? ……金色の雪?」

「違う。あたたかい——光の粒か?」

 竜が体をうねらすたび、はじけるように金の粒がまき散らされ、地上に降ってくる。それらは地面や肌に触れると、ほのかな熱を残して、吸いこまれるように消えていった。

 だがこの泡のようなぬくもりを忘れることなど、到底できそうにない。人の心にも、そして心を持たないはずの大地にも、このあたたかな記憶は深く刻まれ、いつまでも残るのではないか。トゥーレにはそう思えた。

 アシュリンは子犬のように興奮して、走りまわっている。イースも両手を広げて、光の粒を受けとめようとしていた。

 詩人でさえ我を忘れたように、竜が舞う空を仰いでいた。

「……実体のある竜だわ……」

 詩人は陶然としてつぶやいた。

「しかもこんなに光と熱を放って——まだ世界に力に満ちあふれていた時代の生き物よ。封じられていたにせよ、まだこの世界に残っていただなんて……」

 詩人の緑の瞳には黄金色の光が写って、琥珀色の斑と見分けがつかなかった。

「——あ……あああぁ!」

 マグメルが突然、顔を蒼白にして叫んだ。

「マグメル?」

「ウルガゾンテの封印——この熱……今までトリスケルに春の祝福を与えていたのは、あの竜だったんだ!」

 その言葉の意味を一瞬で悟り、トゥーレも全身を粟立たせた。

 北の奇跡、常春の祝福。これまでトリスケル周辺では、北の国としてはありえないほどゆたかな収穫を誇っていた。

 あれは黄金の竜の力によるものだったのだ。

 まだ竜がこの世界にいたころ、誰がどうやったのかはさだかではないが、おそらくウルガゾンテの始祖が、竜をトリスケルの地下に封印した。そして竜の熱はこの一帯を温暖にした。

 そしてウルガゾンテの国王は迷宮に竜を封印し続け、権標として代々伝えてきたのだ。

「……ど、どうしよう、マグメル! 俺たち、竜を解放しちゃったよ?」

「あの竜のおかげで、こんな北の地でも作物が育ってたのに……なのに——うわあ!」

「あああ、あの竜をつかまえなくちゃ!」

 だが空の高い場所に、神聖な生き物を縛る円や三角形はない。トゥーレとマグメルはなすすべもなく、お互いにすがりつくように手を握りあうしかなかった。

「トゥーレ!」

「マグメル!」

「うるさいぞ、お前ら」

 イースが面倒くさそうに言った。視線は空の竜にむけたままだ。彼はずっと竜に見惚れていたようだ。

 トゥーレとマグメルは血相を変えてイースにかけよった。

「でもでもイース様! あの竜がトリスケルに春の祝福をもたらしていたんですよ? それがそれが、逃げてしまったんですよ!」

「イース、本当にすまない!」

 ふたりはイースの前に身を投げだした。

「いや、詫びの言葉もない。せめて一生をあんたのために働くよ」

「俺もです、イース様! 精一杯働きます!」

 トゥーレも半泣きになってうったえた。

 そこまでして、イースはやっとふたりのただならぬ様子に気づいたらしい。ふたりを見おろし、眉をひそめつつもおかしげに笑う。

「ふたりとも、なにを馬鹿なことを言ってるんだ」

 それからまた空を見あげた。

「そんなことより、空を見ろ。すごいぞ。あんな高くを飛んでる」

「だから、笑ってる場合じゃないんだよ、イース!」

「そうです、イース様。この国の畑や作物が——」

「わかった。でも今は上を見ろ」

 イースはきっぱりとふたりをさえぎった。

「竜だ。黄金色の竜がウルガゾンテの空を飛んでいる。黄金色の雪を降らせて——こんなに美しい生き物も光景も、見たことがない。……なんてきれいなんだ」

 言われて、トゥーレとマグメルも空を見た。

 黄金の竜は、先刻よりもさらに天高くまでのぼっていた。体を優雅にうねらせて飛ぶ姿は、自由そのものだった。

 あの竜は、きっと世界の果てを超えて、どこまでも飛んでいくに違いない。

「神々や精霊は、とっくの昔にこの世界を去ったんだ」

 イースはひとりごとのようにつぶやいた。

「今さら竜が逃げたって、かまわないじゃないか。どうせウルガゾンテは神々の聖地からいちばん遠く離れた僻地だったんだ。神々や竜の祝福なんて、最初からなかったと思えばいいさ。ここは俺たちの王国だ。俺たちが自分でがんばればいい」

 イースはトゥーレを見おろした。ひざまずくトゥーレの位置からだと、ちょうどイースの頭のまわりに竜が舞いとんでいるように見えた。まるでイースが、金の竜の王冠をかぶっているかのようだった。

「——この国をよくするために、俺を手伝ってくれるか? もちろん、奴隷って意味じゃないぞ」

「もちろんです、イース様!」

 トゥーレは即答した。

「お仕えする前から、そのつもりです」

「奴隷でもなんでも、一生あんたのために働くって言ったじゃないか。聞けよ」

 マグメルも叫んだ。

「あんたのことは嫌いだが、俺は自分のやるべきことは最後までやるからな」

 イースは笑った。

 三人はそろって、ふたたび空を見あげる。

 空の高いところを旋回していた竜は、やがて体を転じると、ゆっくりと海にむかって飛んでいった。

 そして、あたかも海に吸いこまれるかのように、まっすぐ海にもぐっていった。

 水しぶきのかわりに、黄金の光の粒が高く広く飛び散る。それらは波のように、どこまでも水面を転がっていった。

 それらすべてを最後まで見届けて、なおもしばらく経ってから、ようやくイースが言った。

「——さて。城に帰るか」

 トゥーレとマグメルも立ちあがる。

 そのとき、アシュリンが遠吠えをあげた。もの哀しげな声に、三人は驚き、あたりを見まわす。

「あれ。詩人は?」

「またはぐれたのか?」

 蒼い衣の吟遊詩人は姿を消していた。

 アシュリンがまた、寂しげな声をあげる。

 いくら待っても探しても、いつかのように、詩人が柱の陰からあらわれることはなかった。

 蒼い衣の吟遊詩人は竜とともに姿を消した。そして、二度とトゥーレたちの前に姿を見せなかった。



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