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祝福の地 簒奪者と列柱の迷宮  作者: 西東行
第3章 トゥーレ
18/20

「——トゥーレ。トゥーレ!」

 やわらかな呼び声とあたたかな手に、トゥーレは一瞬母を幻に見た。

「……あ——」

「トゥーレ! ああ、よかった、気がついたのね!」

 すがりつくように顔をよせてきたのは、蒼い衣の吟遊詩人だった。

 驚くトゥーレの、詩人とは反対側の頬に、なにかあたたかくぬれたものが触れる。

 そちらに目をむけてトゥーレはまたも驚いた。

 アシュリンだ。白い大狼が寝台に身をのりだして、トゥーレの頬を盛んになめている。

「え。え」

「大丈夫、どこか痛くない? お腹は空いていない?」

「あ……うん。あの」

「高い熱がでて、なかなか目を覚まさないから心配したのよ。——なにがあったか覚えてる? あなた、西の塔から海に落ちたの。でも崖下からすごく強い風が吹きあげていたおかげで、助かったのね。岩場に打ちよせられていたそうよ。アシュリンが匂いを頼りにあなたを見つけて、イースが引きあげて助けてくれたの」

「……イース様が?」

 つぶやいて、その名に目を覚まされたようにはっと身を起こした。

 自分の体を見下ろすと、清潔な服に着替えさせられ、あちこちに包帯がまかれている。

「奇跡的に岩にはぶつからなかったらしくて、骨折はないんだけど、あちこち怪我をしているのよ。でも大丈夫。あとが残るような傷はないわ」

「あ——あの。詩人……俺」

 それ以上、言葉が続かない。あたふたと口だけ動かしていると、詩人は首をかしげた。

「どうかしたの? ——ああ」

 そこで詩人はなにかに気づいたように、にっこりと笑った。

「大丈夫よ。あなたを着替えさせて手当をしたのは私ひとり。その後の看病も、イースはもちろん、城内の男たちには指一本さわらせていないから安心して」

 トゥーレは仰天して、思わず大声をだした。

「詩人! き——気づいてたの? い、いつから? 俺がその、あの」

 詩人は上機嫌に、声を立てて笑った。

「女の子だったってこと? そんなの、はじめて会ったときからわかってたわ」




「俺も最初からわかってた」

 イースは火酒をあおった。

「アシュリンがトゥーレに尾をふったからな。あの色ボケ狼、女にしかなつかないんだ」

「そんな理由でかい? ほかの種の雄に男女の判断を頼るなんて、男の風上にもおけない奴だな!」

 マグメルも火酒を豪快に飲みほし、新たな酒を壷からそそいだ。

「なんだよ。だったらお前はいつ、どうして気づいたんだ」

「最初に骨格を見て気づいたよ。当然だろ?」

「骨格って。どこを見ているんだよ」

 言いあうふたりを、周囲の見物人は笑いながら見物している。

「いやあ、俺も最初からおかしいと思ってたんだ。でも確信が持てなかったからな」

「そうそう。トゥーレはいつも下をむいているから、顔もよく見えないし。声も小さいからさ。大きい声をだしたとき、やっと女の声だってわかったけど」

「俺はちゃんと感づいてたよ。だけど人にはそれぞれ事情があるから黙ってたんだ」

「嘘つけ、お前ら。本当に気づいていたのか、あやしいもんだぞ」

 イースが顔をしかめると、皆はいっそう楽しそうに笑った。

「イースがなにかとトゥーレにものを食わせようとするから、ひやひやしたよ。肉がついて娘らしい体つきになったら、ばれるじゃないかってさ」

「なんだよ。子供を痩せたままにしておくわけにもいかないだろ」

 マグメルが天を仰いだ。

「……『子供』か。やっぱり男の風上におけない奴だ」

「トゥーレは子供じゃないか。おかしなことは言ってないだろう?」

「子供なのはあんただよ。雌狼でも相手にしてろ」

 広間に食卓はいくつもあるのに、誰もがイースとマグメルのまわりに集まっていた。マグメルは彼らの多くを無視していたが、それでも皆、笑いあっている。

 そこへ詩人が入ってきた。皆を見わたして、にっこりと微笑む。

「トゥーレが目を覚ましたわ。元気よ」

 皆がわっと声をあげた。

「お前ら、あまり騒ぐな。トゥーレもそういうのが嫌で、男のふりをしていたんだろうからな。今までどおりに接してやれ。怖がらせるんじゃないぞ」

「はいはい」

「わかってるって、イース」

「あたたかい粥でも用意させましょう。詩人殿、少しお待ちください」

 執事がいそいそと厨房にむかった。ほかの者もそれを機にそれぞれの席に戻り、あるいは広間をでていく。

 入れ違いに、カイが広間に入ってきた。彼はにぎやかな広間を見わたし、愛嬌のある目をみはった。

「なんだ、ずいぶん楽しそうじゃないか?」

「トゥーレが目を覚ましたの」

「そうか! そりゃよかった」

 カイは破顔したが、すぐに表情をあらため、イースとマグメルに目で合図を送った。

 イースがそれに応えて小さく手をあげると、まだその食卓に残っていた男たちも広間から去っていく。残ったのはイースとマグメル、そして詩人だけになった。

 カイはイースの正面にすわり、背負っていた矢筒をおろした。

「町に隠れていた間者たちが見つかった。キーンの言葉とも一致していた。身柄は俺の手下たちが拘束している。さすがに手強かったが、大狼ほどじゃなかったよ」

「迷宮の丘の測量地図は?」

 すかさず身をのりだし、問うたのはマグメルだ。カイは顔をしかめた。

「無事……だと思うが、俺が見てもよくわからないんだ。だからあんたに確認してもらおうと思って、持ってきた」

 カイは矢筒に入れていた羊皮紙を取りだすと、食卓に広げた。迷宮の丘らしき地形がいくつもの線で区切られ、無数の小さな点と数が書きこまれている。敷き写しをしたらしい薄紙も幾枚かあった。

 だが紙の中央部分には、三角形も点も、なにもない。空白地帯だ。

「地図か? えらくごちゃごちゃしているな」

 マグメルはほっと小さく息をついた。

「ごちゃごちゃしているのはこまかく調べているからだよ。散在している点が柱だね。ただし、柱の位置や大きさを正確に把握できているのは周縁部だけで、まだ丘の中心部はほとんど測量できていないみたいだ」

「点のそばに、数が書きこんであるな」

「点が柱を意味しているなら、この数字は直径と高さの可能性が高い」

 マグメルはしばらく点や数字を指でたどっていた。

「……これはそうとう手間暇かけているな。結界のなかでこれだけの測量をするのって並大抵の労力じゃなかったはずだ。それをこんなふうに横取りして——」

「さすがに良心がとがめるか?」

「ざまあみろって気持ちだね。痛快だ」

 イースはため息をついた。

「お前、本当に念入りに、フィリグラーナの間者たちを嫌ってるんだな」

「なんであれ機会は逃すものじゃない。できる意地悪はできるときにもれなくしてやるさ」

 マグメルは上機嫌に笑った。

 カイが手をふり、マグメルの注意をうながした。

「それと、王立学問所の書庫から入手した、例の紋章の持ち主の論文だ。俺にはわからないけど、これって数学だろう? 表紙に紋章がなかったら、絶対に見つけられなかったね」

 そう言って、革表紙の本をさしだした。マグメルは表紙を開き、ざっと目をとおす。

「ああ。幾何学だ。三角形を愛する人だったようだね」

 マグメルの手元をのぞいて、イース、カイ、そして詩人がそろって顔をしかめたが、マグメルは論文に集中していた。

「点と線——まさしく列柱の迷宮だ。すばらしいな。たとえ結界が張れなくても、俺なら彼女を迷宮の管理者に取りたてるよ」

 マグメルは本を閉じた。

「とりあえずは、この本と地図をトゥーレにも見せてやりに行こう。これを見ればあの子も元気になってくれるよ」




「イース様。マグメルも!」

 部屋に入ってきたふたりを見て、トゥーレはあわてて身を起こし、寝台からでようとした。だがイースは手をあげてそれをとめた。

「いい。寝ていろ」

「でも、イース様がおいでなのに寝ているなんてできません」

 詩人が笑った。

「寝てなさい、トゥーレ。その夜着は薄手だし、丈もけっこう短いんだから」

 トゥーレはほとんど夜具をはねのけかけていたが、詩人の言葉を聞くなり、がばっと夜具をかきよせた。

 マグメルが笑って、イースをちらりと見た。

「トゥーレに可愛い衣装でも用意してあげなよ、イース」

「俺がか?」

「俺がしてもいいよ? いいけどね? そうだな、フィリグラーナで流行の衣装を見つくろってあげるよ。ひだをたっぷりとって、襟元には透かし織りをあしらおうか。色は、うんと淡い水色や翡翠色なんかどうだろう。トゥーレの髪と肌の色なら引き立つと思うんだよね。でもさ、本当に俺がそうしていいの?」

「あ、あの。俺」

 言葉を差しはさめず当惑しているトゥーレに、イースは手をふって見せた。

「マグメルの戯れ言は気にするな、トゥーレ。こいつはさっきからおかしいんだ」

「俺の基準じゃ、おかしいのはあんただよ、イース」

 トゥーレは言いあうふたりを見くらべていたが、ふと唇を引きむすんだ。そして夜着のまま床におり、イースにむかって両膝をついた。

「イース様……今まで女であることを隠していて申し訳ありませんでした。でも、誓ってイース様や皆をだますつもりではなかったんです」

「わかっている。若い娘なら当然の用心だ。城の奴らも気にしていない」

 イースはひざまずいて、トゥーレと目線の高さを合わせた。

「これからも、お前は自分の好きにふるまっていいんだ。男の格好のままでもいいし、女の姿に戻ってもかまわない。どちらでも、お前はお前だ」

「イース様」

 トゥーレは緊張していた肩を、ほっと落とした。アシュリンはトゥーレと並んで尾をふる。イースに感謝を示しているようでもあった。

 マグメルと詩人はちらりと目を合わせ、笑いあった。

「さあ、トゥーレ。立って。体が冷えるわ」

 詩人は毛布を持ってきて、トゥーレをくるんでやった。

「さてと、気分がよければこれを見てくれるかな、トゥーレ」

 マグメルは机の上に論文と地図を広げた。トゥーレは体にしっかりと毛布をまきつけて、机にかじりついた。

「これ、紋章の人の論文だね! それにこっちは、周縁部しかないけど、迷宮の丘の地図だ! どうやって手に入れたの?」

「どちらも、カイが手に入れてきてくれたんだよ。地図はトリスケルにひそんでいた間者から奪ってきたもので、まだ不完全だけどね」

 トゥーレは灰色の瞳で、地図に見入る。

「……ここが城門……坂を登って……うん、たしかにここはこんな感じに傾斜してる。このへんに柱——そのわきのくぼみも、ちゃんと書きこんでいるね」

 つぶやきながら、細い指先で自分が歩いてことのある場所をたどっていった。

 ひとりで何度もかよいつめた。無駄に時を過ごしているような気がして焦っていたが、今はあの時間が役立っていると感じる。地図を目と指でたどるだけで、風景がよみがえってくるようだった。

 その指先が、ふととまった。

「これ、いちばん太い柱だね」

「そうだね。横に数値が書きこんであるだろう? たぶんそれが柱の直径と高さだよ」

「ほかに、同じくらい太い柱が丘の東側と南西にあるんだけど」

「たしかそんなことを言ってたね。この数値と同じくらいの柱か」

 トゥーレの言葉に、イースとマグメルも地図の上に目をさまよわせた。

 点そのものの大きさは、どれも変わらない。そばに書きこまれた数だけを頼りに探すので、少し時間がかかった。

「えっと……東側のはこれだな」

「じゃあ南西のは——これか」

 すぐそばに添えられている数値によると、三本の柱はまったく同じ直径と高さだ。

 詩人が身につけた指輪をぬきとって、目印がわりに太い柱の位置においた。

「……三角形、ね」

「まあ、点が三つあれば、かならず三角形という図形ができるわけだけど」

 問題は、そこにそれ以上の意味があるかどうかということだ。

 見たところ、直角三角形でも二等辺三角形でもなさそうだ。なんの特徴もない。これは少し意外だった。

「でも、意味がないはずはない、と思うんだけど……」

 マグメルを見あげると、彼もトゥーレを見返し、うなずいた。

「例の紋章の人物の論文だけどね、予想どおり幾何学の論文だった。しかも三角形の性質に関するものだったんだよ」

「おもしろそう!」

 だがトゥーレの興奮と裏腹に、イースと詩人は無表情だ。

「とにかく、この三角形になにかあると思うよ」

 マグメルはまず、木炭を取りだし、三つの点を線で結んで三角形を完成させた。そして辺の長さをはかり、角度をはかってみる。

 それからトゥーレも一緒になって、あれこれと補助線を引いてみた。

「マグメル。このあたりにある柱をつなぐと、なんとなく円になっているように見えないかな?」

 トゥーレが三角形より少し内側のあたりを指して言った。

「どこ?」

「このあたり。どう思う? 大きさからすると三角形の内接円っぽいけど」

 間隔が一定ではないのでわかりにくいが、いくつかの柱をつなげると円に見える箇所がある。そばに添えてある数値を見れば、柱の直径が皆同じだった。

「柱の並びのなかに、円が隠されているのか——内接円ということは内心に権標——ちょうど丘の中心あたりだし、ありうることだな」

 マグメルは円規コンパスをとりだして、円を描いた。

「……うーん。たしかに正円だけど、内接円ではないね。少しずれている」

「こっちにある柱をつなげても、円ができそうだわ」

 詩人がべつの箇所を指さした。こちらは、柱の直径はまちまちだが、高さがそろっている。マグメルはこれにも円規をあてた。

「これも、たしかに円」

「でも三角形とは接していないし、さっき見つけた円とも交わったり接していないよね」

「——おい。このあたりの柱も、つなげてみたら円にならないか」

 今度はイースが地図を指さした。

 そうやって皆で探してみると、ほかにも十個近くの円が見つかった。互いの位置関係は不規則で、その並び方に法則などはないようだ。

 ついには、地図は線を引きすぎて、柱を示す点がまぎれてしまいそうになる。

 トゥーレは木炭で汚れた指を見おろし、小さくため息をついた。

「……もしかして迷宮の柱って、どれも同じ太さや高さの柱をつなぐと円をなすように配置されているのかな」

「かもしれない。ただし、できる円のほとんどは意味はなくて、こちらの目を眩ませるための引っかけだろうけどね」

「引っかけ? なんだよ、性格悪いつくりだな」

 イースが毒づいた。

「迷宮ってそういうものなんだよ、イース。侵入者をしりぞけないといけないんだから」

 詩人は目をすがめて考えこんだ。

「もしかしたら、最初の大きな三角形が目眩ましかもしれないわよ」

 トゥーレとマグメルは顔を見あわせる。

「……たしかに、それもありうるかも……」

 だとしたら、最初から考えなおさなければならないということか。だがマグメルには、くじけた様子はなかった。むしろ目の輝きがますます増しているようだ。試行錯誤して考えるという過程自体が好きなのだろう。

「いくつもある円も無意味な目眩ましじゃなく、多数あることにこそ意味があるのかもしれないな」

「いくつもの円が? なんだろう……?」

「そもそも丘の中心部は、まだ柱の位置もわかっていないんだ。もしかしたら中心部を測量したら、またあらたな事実が見つかるかもしれない」

「そうだね。この先は俺たちが自分で測量するしかないかな」

 イースが腕を組んで考えこんだ。

「測量師を雇い入れることはできないのか」

「ある程度、迷宮の結界に耐性のある奴じゃないと仕事ができないからね。身元もしっかりしてないとだめだし。けど迷宮を管理していくなら、研究者や技術者みたいな専門職はどうしても必要になる。フィリグラーナでは、迷宮管理庁内で教育して育ててるよ」

 イースはため息をついた。

「迷宮を解くのも、維持するのも、たいへんだな」

「その国の学問の質を反映していると言われているからね。簡単なことじゃないさ」

 マグメルは励ますように言った。

「けど、進展はしているよ。迷宮管理者の書いた論文もあるから、それを綿密に読めば手がかりを得られる可能性も高い」

「俺には、奇妙な呪文で埋めつくされてた本に見えるがな」

「これは呪文でも、異国語でもない。証明だよ、イース」

 イースとマグメルの会話を聞き流しながら、トゥーレは地図に見入っていた。体にまきつけた夜具が肩から落ちそうになっていたが、気もつかなかった。

 地図上に散らばる無数の点を上から眺めていると、目がくらんでくる。点が動きだし、螺旋を描いて視界に広がっていくような気がする。あるいは遠い一点に集中していく。

 まるで迷宮の結界の影響を受けているようで、トゥーレは額をおさえた。

(自分の好きな数を思い浮かべてごらん。そうすると楽だから)

 好きな数。トゥーレの好きな数は9だ。父は9が好きなトゥーレに、9に関係するいろいろなおもしろい数式や図形を教えてくれた。

(9——)

 その瞬間、大きくゆらいでいた視界が静まるような心地がした。

 以前にも似たことがあった。襲撃者に追われて迷宮のなかを走っているとき、自分の好きな数を思い浮かべたのだ。あのときも、頭のなかの霧が晴れるような気がした。

「9……九点円」

 トゥーレは誘われるままにつぶやいた。マグメルが顔を上げる。

「なにか言ったかい、トゥーレ?」

「——九点円を思いだしたんだ。九点円がこの地図上にないか、調べてみない?」

 マグメルは表情を明るくした。

「九点円か! なるほどね! 結界にすれば強力そうだ」

「なんだ、それは」

 胡散臭そうにイースが尋ねた。

「三角形の各辺の中点、各頂点から対辺に下ろした垂線の足、そして各頂点と垂心の中点は、必ず同一の円周上にあるんだ。その円のことを九点円って呼ぶんだよ」

 マグメルの説明に、詩人がかたい笑みを浮かべた。

「…………もう少しだけでも、わかりやすく教えてもらえるかしら?」

「えっとね。つまり、三角形の特別な九つの点をすべてとおる円が、どんな三角形にもかならず存在するんだよ」

 トゥーレはおずおずと言った。

「特定の九個って、今言った中点とか垂線の足のことか?」

「そうです」

 イースは深く呼吸した。

「……で、それはすごいことなのか?」

「す、すごくないですか? だって、すべての、どんな三角形にもあてはまるんですよ!」

「定理だ。ちゃんと証明されてる」

「……で、それはすごいことなんだな?」

 マグメルは小さく息をついて、イースの肩に手をおいた。

「その『わからない』って感覚こそが、迷宮の結界の力の源だよ、イース。簡単にわからない迷宮なら、むしろ安心すべきさ」

 まだ納得できていない顔のイースを放置して、トゥーレとマグメルは地図に顔をよせた。

 三角形の各辺の中点や垂線、垂心には、すでに書きこみをしている。あとは各頂点と垂心の中点を探すだけだった。

 九点円を描いてみると、円周上には九つの特別な点はなかった。円周上にある柱は、なんの関係もない位置にある、二本だけである。柱の直径と高さは同じだったが、それだけだ。

 マグメルがうなった。

「……これは先に九点円って見当をつけておかないと、気づかないな。いくらなんでもこの二点だけじゃ、円を推測できないよ」

「地図上で見つけることができる円がほかにもたくさんあるだけにね」

 イースと詩人もため息をついた。

「もし円があると気づいたとしても、私なんかじゃ三角形とどういう関係にあるかなんてわからないわ。しかもこの円、三角形から少しはみでていて、重なっていないもの」

「目眩ましってやつか。なるほどな——」

 九点円の中心は、まだ測量されていない、地図の白紙部分にあった。地図上では、そこになにがあるか、確認できない。

 だがマグメルは、その場所を指さした。

「ここに行ってみよう。九点円という予測が正しければ、迷宮の丘で九点円の証明を解けば、結界は解けるはずだ。そうしたら自由に動けるから、丘の中心部にも行くことができるよ。もちろん、予想が外れていれば結界は解けないけど、それだけの話さ。試す価値は充分にある」

 マグメルが言うと、イースも詩人も当然というようにうなずいた。

「行くか」

「私も行くわ。なにかあれば、私がまたお役に立てるかれもしれないし」

「——俺も行くよ!」

 トゥーレは身をのりだし、その勢いで毛布が肩から落ちそうになったのを、あわててかきよせた。

「……あ、あの、詩人。服を持ってきてくれないかな」

 詩人は肩をすくめた。

「あなたの服は海に落ちたとき岩にあちこちあたって破れてしまったの。新しいのを用意してもらうから待ってちょうだい」

「新しい服なんかいらないよ! 誰のでもいいから借りてきて」

「この城にはお前の寸法の服はほかにないんだ。皆とは体格が違いすぎるからな。前の服だって、執事の奴がわざわざ町から探してきてくれたんだぞ」

 イースにもなだめられたが、トゥーレは首をふった。

「ぶかぶかでも汚れていても臭っても、そんなこと気にしません! それよりやっと結界が解けそうなのに、迷宮に行けないことのほうが嫌です!」

 イースは困ったように口をつぐんだ。

 マグメルがおかしそうに笑った。

「べつに体にあわない服を着なくても、図書館に行ったときの女の子の服があるだろ。あれを着ればいいじゃないか」

 今度はトゥーレが返答につまる番だった。

「あ、あれは……でも」

 マグメルはもったいぶって首をふった。

「きみの気持ちもわからなくはないけど、俺たちはイースを王にするために、すぐにも迷宮に行って結界を解かなくちゃならないんだ。きみの身支度を待つわけにはいかないね。すぐに用意できないなら、ここで休んでいることだよ」

 声に笑うような響きがひそんでいることにも気づかず、トゥーレはかっと頭に血をのぼらせた。

 トゥーレは背筋を伸ばすと、叫ぶように言い返した。

「どんな格好でも、行くよ! 俺は迷宮の管理者なんだもの。ぜったい、見届ける!」



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