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祝福の地 簒奪者と列柱の迷宮  作者: 西東行
第3章 トゥーレ
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「カイって、俺を誘拐した男か。あの男が手伝うって?」

 城の図書室に戻って報告すると、マグメルは顔をしかめた。

「あいつにまかせておけば間違いはない。狩人の腕前と目と、占い師のカンを持ってるからな」

 図書室にはイースもいた。どうやら農業の本を読んでいるらしい。意外に勉強熱心だ。

 マグメルはイースを睨んだ。

「言われなくてもあの男が優秀なことはわかってるさ。迷宮管理者の俺をフィリグラーナの王都で誘拐して、追っ手をまいて逃げおおせたんだからな」

 このままではつのる恨みを口にしかねないと見て、トゥーレはあわてて借りてきた本を机の上においた。

「これが今日、王立図書館で借りた本だよ。代数と、こっちは幾何学の本」

 マグメルは一転、笑みをうかべて、本を一冊手にする。

「ありがとう、トゥーレ」

 イースも一冊手に取り、なかをちらりと見たが、すぐに顔をしかめてわきへ置いた。

「まるで異国語か、呪文だな。なにが書いてあるかさっぱりだ」

「あんたはわからなくても問題ないだろ? わかる奴をさらってきて読ませたらいいんだから」

 辛辣に言ったのを、イースはあえて無視した。

「迷宮を自力で解いた王なんているのか?」

「記録では何人かいるみたいだね。けどかなり昔の話だし、本当のところはどうかな」

「迷宮なんて、面倒なしきたりだ」

「かもしれない。でも権標を守る迷宮がなければ、国なんてすぐに武力だけの奴にのっとられるだろうからね。ねえ?」

 イースはまたもマグメルを無視したが、マグメルはしつこかった。

「俺は武力を否定しないけど、武力だけで王を決めていれば戦が増えるだろう。それを防ぐために、迷宮っていうしち面倒くさいものも必要だと思うよ」

「……まあな」

 イースは不承不承認めた。マグメルはやっと満足したのか、イースに突っかかるのをやめて、書物を読みだす。

 トゥーレも本を手にした。

「俺、こっちの本を読んでみていい?」

「もちろん」

 トゥーレは本を抱いて、少し迷った。

 図書室の書見台は数学の本だけでなく、植物学や生物の本も並び、机にはそれぞれに関連する文献がうず高くつまれていた。マグメルは迷宮と平行して、ウルガゾンテの野菜や植物についても調べているのだ。なかには大きな昆虫の標本箱まである。

(今度王立図書館に行ったら、生物の本も借りてきてあげようかな)

 いずれにせよ、ここでは本をゆっくり読めそうにない。

「俺、べつの場所で読むことにするよ。またあとでね、マグメル」

「うん」

 トゥーレはイースにも顔をむけた。

「失礼します、イース様」

「ああ」

 トゥーレは本を抱えると、ゆっくり読める場所を探しにでた。




(俺も温室で本を読もうかな)

 図書室をでて歩きながら、トゥーレはそんなことを思いついた。

 温室は明るいから、昼間から蝋燭を使わずにすむ。なにより以前の迷宮管理者がお気に入りだった場所で本を読むのというのが、いい考えに思えた。前任者の行為をたどることで、なにか手がかりを思いつくかもしれない。

 迷宮を解くまで、まだまだ先は長いだろう。それでも方向性が見えただけでも嬉しくて、本を抱く手にも自然、力がこもった。

 温室には居館をでて庭園をまわりこんでいかねばならない。庭園は、かつては王妃や王子、王女がくつろいだ美しい場所なのだろうが、今は戦で荒れたまま、手入れもされずに放置されていた。

 枯れた花壇を見ながら、温室でマグメルが植物の研究をするのはどうだろうと考えついた。広いし明るいし、目の前が庭園だから、試験的に栽培することもできる。

 そのとき、背後で足音がした。

「——トゥーレ」

 呼びかけられてふりむくと、キーンが柱の陰に身を隠すように立っていた。

「キーン様。どうかされましたか」

「迷宮を解くほうはどれほどすすんでいるか、尋ねてもよいかな?」

 そこでキーンは自嘲気味に笑った。

「私は迷宮管理者ではないから、本当はそなたに状況を尋ねるべきではないのだろう。だが、途中まで手をかけていただけに気になって——」

「もちろんです、キーン様!」

 彼は戦の準備段階から、多岐にわたってイースのそばでずっと助言をしていたのだ。いよいよイースが王になろうというこの時期に、迷宮のことが気になるのも当然だろう。穏やかな人物だが、自負も矜恃もあるはずだ。いきなりあらわれたマグメルに無下に扱われて気分よくいられるわけがない。

 それでもキーンはつねに冷静にふるまい、マグメルに対しても丁寧で理性的な態度を保っている。マグメルはキーンを嫌いだと言うが、なんとも気の毒な話だ。かわりに自分が償うような気持ちで、トゥーレは熱心に答えた。

「最初にキーン様がいろいろ助言してくださったおかげで、俺はひとりのときでも心強くいられたんです。ご迷惑でなければ、これからもお知恵をお貸しください」

 キーンは微笑んだ。

「あれからマグメルと迷宮の有力な手がかりをつかんだとか」

「まだ有力かどうかはわかりません。でも、手がかりには違いないと思います。今までは手探りばかりでしたから……」

 満足げにキーンはうなずいた。

「すばらしい。やはり知恵試しでそなたを選んだのは間違いではなかった」

「俺だけの力じゃありません。たくさんの人に助けてもらったおかげです」

「あいかわらず控えめなことだ」

 そこでキーンは視線を落とし、トゥーレが持つ本を見た。

「それは?」

「あ、はい。王立図書館からの借り物です。今からじっくり読んでみようかと思って、静かで明るい場所を探していたんです」

「おお、それならよい場所がある」

 キーンは城壁を見上げた。

「西の物見の塔だ」

「物見の塔ですか?」

「見はらしがよいので、気に入っているのだ。港や町など、城の周囲の地形を見ながら考え事をしていると、思わぬ発見をしたり、いい考えを思いつくことも多い」

「おもしろそうですね」

 参謀をつとめるキーンらしいやり方だと思えた。

 キーンは塔を指さした。

「一緒にどうだね。私は今や部外者だが、だからこそ気づくこともあるかもしれぬ」

「もちろんです、キーン様。ぜひお願いします」

 ふたりは西の塔をあがっていった。

 塔の内部は、梯子のような狭い階段で上り下りするようになっている。片手に本を抱えたまま苦労してのぼり、屋上の物見台にでたとたん、強風にあおられて足をよろめかせた。

「うわ……!」

 西の塔にあがるのは、はじめてだった。

 海側ににらみをきかせるための物見の塔である。港が一望でき、出入りする船を見はることができた。

 丘で見るよりもずっと水平線が広い。それだけでトゥーレは息がはずみそうになった。

 港をはさんだむかいにある町の丘もよく見えるし、視線をめぐらせれば、迷宮の丘やそのむこうにある田園の風景も見ることができた。

 トリスケル周辺の丘は、内陸側の斜面はゆるやかだが、海側の斜面はどこも急だ。王城の丘も、塔のすぐ下はきりたった崖だった。見おろそうとしたとたん、強い風が吹きあげてきて小さな体がまたもさらわれそうになり、トゥーレはあわてて下がった。

(すごい風だ)

 塩辛い水が、少し顔にかかった。崖の下に打ちよせる海の水が、こんな上にまで運ばれてくるらしい。

「でも、本当にいい場所ですね、キーン様。あんなに遠くまで見とおせて、世界が広くなったように感じられます」

 なるほど、これなら思わぬ発見をしたり、いい考えを思いつくこともあるだろう。

 キーンは珍しく、声をたてて笑った。

「目先のことなど、思わず忘れてしまいそうな風景だろう」

「はい」

 キーンは矢狭間のある胸壁に歩みより、港を指さした。

「ごらん。異国の船だ」

「異国……!」

 トゥーレは声をはすませた。

「遠くの国からくるんですか?」

「いや。近くの国ばかりだよ。岸に沿って航海してくるのだ。もっと沖を、遠くまで航海する遠洋交易は、海人あまという海の民が独占している」

 海人は土地を持たず、海に生きる民である。海図も持たずに大海を航海し、遠洋貿易で莫大な利を得ているという。

「彼らははるか東の大陸まで航海するというが、ウルガゾンテの海は、トリスケル周辺以外、冬に凍ってしまうので、海人もウルガゾンテまではやってこないのだ。それにウルガゾンテの代々の王も、海人を嫌っていたという」

 それは残念なことだと思った。

 ウルガゾンテは大陸の西の端にある。フィリグラーナや商業の中心となるエルナズレド海の国々とのあいだには、いくつもの国があった。したがって陸路でやってくる品物にはなんども関税がかかり、ウルガゾンテにやってくるころには価格が何倍にもなっていることが多かったのだ。海人が海路で商品を運んでくれるなら、商業がもっと発達するのに。

 キーンが片手をあげた。

「おお、あの船はアミクトから来たようだな」

「どうしておわかりになるのですか?」

「船首に掲げられた旗の紋章でわかる。ちなみに帆柱には、行き先であるここトリスケルの旗を掲げているのだよ。そして帆の図柄は船主を示している。見えるかね?」

 トゥーレは邪魔な本を床においてから、矢狭間のあいだから慎重に身をのりだした。

「旗ですか? えーと、どれ——」

 そのとき突然、背に強い衝撃を感じて、声がとぎれた。

 いぶかしむトゥーレの視界に、きりたった崖が見えた。視線の先にあるものは、波しぶく海面だ。

 落ちている。

 落とされたのだ。突きとばされて。まったく警戒していなかったので、よけることも胸壁にしがみつくこともできなかった。

 必死で首をひねると、薄く笑うキーンの姿が一瞬だけ見えた。その冷たい表情がこわくて、トゥーレはキーンのほうへ手をのばすことができなかった。

(キーン様——)

 なぜと思うよりも先に、ある言葉が思いうかんだ。

『おまけにフィリグラーナじゃ春になっていたけど、北の森はまだ雪も深くてさ!』

 マグメルがさらわれたのは、春だ。つまりトゥーレが迷宮の管理者に選ばれる夏よりもずっと前、トリスケルを落としてすぐにさらわれたということになる。

 と言うことは、計画そのものはもっと以前にたてられていたに違いない。おそらくは、イースたちがトリスケルに攻めいると決めてすぐだろう。

 イースは、トゥーレを手助けするためにマグメルをさらったのではない。キーンが知恵者を集めるずっと前から、迷宮管理者をさらってきて、迷宮を解かせるつもりでいたのだ。

 だがなぜイースは、キーンにことわりなく、そんなことをしたのだろう。キーンはイースの参謀で、本来ならば相談してしかるべき相手だったというのに。

 答えはひとつしかない。

(イース様はキーン様を信用していなかったんだ)

 商人のリメリックが連れてきた参謀だというキーン。イースは、リメリックのこともキーンのことも信用しておらず、ただ利用していただけなのだろうか。

『俺、あの男は嫌いだ』

 マグメルは言っていた。彼もキーンを信用していなかった。ずっと無視していたし、キーンが城を調べたと言っていたのに、もういちど調べなおした。

(なぜ)

 イースやマグメルが、トゥーレには気づけなかったなにに目をとめたのか、それはわからない。

 ただ、ひとつだけは確信できた。

 キーンは裏切り者なのだ。ずっと以前から。

 だがもっと深く考える前に、トゥーレは落下する感覚にもまれ、なにもわからなくなってしまった。



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