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翌朝、マグメルは朝食をとりに広間にあらわれなかった。
部屋に行ってみたが、寝台は使われた形跡がない。ならばと図書室に行ってみたが、そこにもいなかった。
マグメルを探して城内を歩いていると、イースと詩人にでくわした。ふたりのうしろにはアシュリンもいる。
「マグメルはいたか?」
トゥーレは首をふった。
「図書室にもいなかったんです。でも蝋燭の匂いが残っていたから、明け方までいたんじゃないでしょうか」
「そうか。城をでたわけじゃないらしいが、ならいったいどこに——」
イースが言いかけたところで、中庭をはさんだ廻廊のむこうから大きな声がした。
「トゥーレ! イース! やっと見つけた、どこにいたんだよ?」
声の主はマグメルだった。腕には書物を数冊抱えている。
「マグメル!」
「おい、今までどこにいたんだ?」
「厨房だよ。城にくる商人と話していたんだ」
「厨房ですって?」
皆の疑問を意に介さず、マグメルは中庭を横切ってくると、トゥーレたちを前にしてやや尊大に胸を張った。
「イース。芋を仕入れないか?」
「芋? なんだ、それは」
イースは顔をしかめ、答えを求めるようにトゥーレを見た。トゥーレも知らないので首をふる。詩人が横から教えてくれた。
「植物の地下の部分が大きく育って、食べられるのよ」
「……玉葱とか蕪とかみたいなやつか?」
答えはマグメルが引き取った。
「そんなものだが、もっと栄養が高くて主食になる。この国は飢饉が多いんだろう? だったら飢饉に強い作物を植えればいいじゃないか。麦も欠かせない穀物だが、やせた土地には芋がおすすめだ」
「……待て、マグメル」
イースがとめようとしたが、マグメルは無視した。かわりに手にしていた書物を次々とイースにわたしていく。イースが気圧されているのを察してか、アシュリンが不安そうにイースの背後を行ききした。
「この国で栽培される穀物や野菜に関する本だ。——城の図書室なんだから、自国の食べ物に関する書物や文献はもっと充実させろよ。で、もっと調べる必要はあるだろうが、これを見るかぎり、ウルガゾンテの気候や土壌なら芋の栽培は可能だと思う。特にトリスケル周辺は常春の祝福があるし」
「ちょっと待ってくれ。話がよく見えない」
「だから、芋だよ。もう少しだけでも人間の食べるものがあればって、あんたが言ってたんだろ。食い物があれば、この国にもっと誇りも持てるって」
詩人が考えこむようにあごに手をやった。
「……そう言えば芋は、フィリグラーナの山間部で貧しい農民がよく食べているわね」
「そう。俺の故郷でもよく植えられていたよ。いい土地には小麦とか金になる作物が植えられるし、収穫のほとんどが領主のものになる。だから農民や奴隷は、農地にならない痩せた土地に芋を植えて、自分たちの食料にするんだ。芋は栽培が容易で保存もきく。しかも味に癖がなくて調理も簡単だ。茹でても焼いてもふかしても、揚げてもいい」
イースは信じられないと言うように顔をしかめた。
「そんな都合のいい食い物があるのか?」
詩人が真剣な顔でうなずいた。
「本当よ、イース。私だってよく食べたもの」
「だったらなおのこと、そんな便利な食い物を、どうして貴族や裕福な奴は食わないんだ。おかしいだろう。実は毒でもあるんじゃないのか」
「毒はないし、食べないわけでもないのよ。でも、貧しい人たちの食べ物だと思われているの。フィリグラーナはほかにも食べ物がたくさんあるから、貴族はもちろん、農民でも余裕があると小麦のパンを食べるのね。それで市場に芋がでまわらないの。貧しい人は買わないで自分で栽培するから」
明るい表情をマグメルにむけた。
「でももし、ウルガゾンテでこの芋が育てば、きっと大勢の人が助かるわ……!」
「たぶん大丈夫。俺の故郷も山間部で土地が痩せてるし寒かったけど、ちゃんと育っていたし」
マグメルはトゥーレとイースを見た。
「フィリグラーナで貧者の食べ物なんて言われてるものを食うって、気になるかい?」
トゥーレとイースはそろって首をふった。食べ物に貴賤などあるはずがない。
マグメルは満足そうにうなずいた。
「じゃ、芋の話をすすめてもいいかな」
「すすめるって、どう?」
「とりあえずは少量だけ仕入れて、隔離された場所で試しに栽培してみるところからはじめようと思うんだ。植物にも病気があるし、厄介な虫がウルガゾンテに入ってくると怖いしね。——ああ、まずは芋を仕入れてくれる商人を探さないと」
「わかった。商人のほうはまかせろ」
「頼むよ」
そこで話を終えたつもりなのか、マグメルは踵を返して立ち去ろうとした。トゥーレはあわててマグメルを呼びとめる。
「あ、あの、マグメル。迷宮は——」
マグメルは爽やかにふりかえった。
「もちろん忘れてないよ。丘に行けない分、今日からは城で情報を集めよう。殺されたっていう迷宮管理者の手がかりを見つけるんだよ。生きている人間の痕跡を完全に抹消するなんて、かなりむずかしいことのはずだからね。なにか残っているかもしれない。それを、城のなかを端から順番に、徹底的に探していこうと思うんだ。一緒にやってくれるだろう?」
「もちろんだよ!」
「でもその前に、朝食をもらおうと思うんだけど。ウルガゾンテの夏って、一晩中明るいから、朝になったことに気づかなかったんだよね」
「どうぞごゆっくり!」
行きかけたマグメルを、今度はイースがとめた。
「お前、どうして奴隷の食い物なんて知っていたんだ?」
「俺の生家には奴隷が大勢いたんだ。俺の実家はフィリグラーナの地方の小貴族で、石切場を持っていたんでね。西方諸国出身の奴隷もたくさんいたよ」
マグメルは体ごと、イースにむきなおった。
「頭のいい奴隷も多くてね。俺は親や家庭教師の目を盗んで、彼らと焚き火で焼いた芋を一緒に食べては、地理や生物、数学を教えてもらってたんだ。北の地に住む古代獣のことを教えてくれたのも、そのひとりだよ」
マグメルはアシュリンを懐かしげなまなざしで見やった。
「……おかげで、俺は一族のなかでも変わり者って言われるようになったけど。でも後悔はない。自分に満足しているからね。特に今、そう思ってるよ」
イースに視線を戻した。
「で、まだ話はあるかい?」
「いや。呼びとめてすまなかった」
「まったくだ」
今度こそ去っていくマグメルの背中を、トゥーレたちはじっと見送った。
「……いい奴だな」
ややたって、イースはぽつりともらした。トゥーレは驚いてイースを見あげ、それからうなずいた。
「そうですね。俺もマグメルのことは大好きです」
するとイースはなぜか、やたら驚いてトゥーレを見た。
「な、なんだって?」
「だっていい人ですもの。イース様がそうおっしゃったんじゃありませんか」
イースは口をつぐみ、微妙な表情でマグメルが消えた廻廊を見やった。しばし考えて、ため息とともに言った。
「…………まあ、そうだ。だが、たとえいい奴でも、俺はマグメルが嫌いだ」
「はい。それでいいと思います」
詩人が小さく、くすっと笑った。アシュリンは白い尾を嬉しそうにふった。