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祝福の地 簒奪者と列柱の迷宮  作者: 西東行
第2章 マグメル
12/20

「そういえば昼食を食べ損ねていたわね」

 詩人のその一言で、トゥーレたちは広間にむかった。

 ちょうど夕食がととのったところで、広間には食卓が用意され、あたたかな食べ物の匂いと湯気が充満していた。城の人々がぽつぽつと集まりだしている。

 ここでは身分の上下に関係なく、好きな席について食事を取っていた。城主のイースでさえ、みずからパン籠や大皿から食べ物をとりわけ、壺に入ったスープや酒をそそぐ。

 マグメルは慣れた手つきで葡萄酒を杯にそそぎわけながら尋ねた。

「こういうやり方って、毒殺を警戒してのことかい? 目当ての人物がいつ、どの席でどのパンや肉を食べるかわからないわけだから」

「毒——」

 マグメルの指摘に、トゥーレはスープの入った重い壺を取り落としそうになった。

 イースは器用に猪肉を切りわけながら、苦笑した。

「他人に給仕をしてもらって食べるなんて、俺が落ちつかないんだよ。それだけだ」

「身のまわりのことも、たいていは自分でしているわよね」

 詩人は大きなパン籠から、皆の分のパンを皿に取った。

 アシュリンはおとなしく炉端に寝そべっている。アシュリンに対しては、何日かごとに牛が一頭馬場に放たれ、彼はそれを自分で狩って食べている。それで満足しているはずだが、それでもときおりこっそりと横目で、食卓を盗み見ていた。

 ふと、近くの席にいた男と目があった。赤褐色の長衣を着こんだ小役人然とした男で、ノズの民ではない。しかしどこかで見た覚えがある。男はイースに頭を下げ、そばにいたトゥーレにも目礼したので、トゥーレもあわてて礼をとった。が、それでもまだ男が誰かわからない。

 少し考えて、男が知恵試しの際に館に集まった者のひとりだと思いだした。

(追いだされたんじゃなかったんだ?)

 思わずイースを見ると、イースも今のやりとりを見ていたようで、トゥーレが問う前に口を開いた。

「あいつは、以前は地方の荘園で収税官吏をしていた男だ。だが子供が病いにかかったんで、少しでも暖かな気候の土地に移り住もうと、トリスケルにやってきたらしい。話してみたら道理のわかる奴だったし、以前いた荘園での評判もよかったんで、仕事をさせてるんだ。ついでに、税金の仕組みを教わってる」

「イース様がですか?」

 イースは小さくため息をついた。

「森にいたころは、取りたてられる側だったから官吏とくれば敵だったんだがな。けど、一国の王とを奪ったんだから、いつまでも敵扱いはできないだろ?」

「そ、それは、もちろん」

「前王の財政を担当してた奴は横領し放題してた腐った男だったが、知識と人脈は役立ちそうだったからな。だから財産を没収して、収税官吏だった男と組ませて働かせてる」

 トゥーレは広間をそっと見わたした。いつのまにか、屈強なノズの民だけでなく、文官らしき人間が増えている。イースの国づくりがすすんでいるのだと思われた。

(——はやく迷宮を解いて、イース様を本当の王様にしなくちゃ)

 広間の片隅で、キーンとリメリックが食事をしているのが目にとまった。

 キーンはトゥーレを見ると、少し気まずそうに瞬きをしたものの、威厳を保って目礼してきた。

 トゥーレもお辞儀を返す。先刻、部外者扱いされたキーンを、トゥーレは気の毒に思っていた。迷宮管理者でなければ迷宮にかかわれないとは言え、彼は今までイースに忠実に仕えてきたのだ。

 マグメルもキーンに気づいたらしい。だが彼は、悪びれた様子もなく言った。

「俺はあいつが嫌いだね」

 イースがちらりとキーンを見て、マグメルに視線を移した。

「なぜだ?」

「あんたの参謀だからに決まってるじゃないか。まあ、それをべつにしても嫌いだけど」

 不条理に言いはった。

「ついでにあの髭の男も嫌いだ」

「リメリックか」

 イースは声もなく笑う。

「まあ、嫌うのは勝手だが、ほどほどにしてくれ。リメリックは俺たちに戦の金を提供してくれたし、キーンという参謀までつれてきてくれたんだ」

「キーン様は、もとからイース様に仕えていたのではなかったんですか?」

 意外だった。てっきり、イースが幼い頃から仕えているとでも思っていたのだ。

 イースは肩をすくめた。

「狩人であるノズの民に、戦の参謀なんかいないさ。俺たちが反乱を計画していると知ったリメリックが、戦のための組織の作り方、兵の鍛え方を教えるために、キーンをノズの地によこしてくれたんだ。以前は異国のどこだかの貴族に仕えて、同じようなことをしていたらしいな」

「じゃあ、ウルガゾンテの方でもなかったんですね」

「さてな。興味ない。奴は優秀な参謀だ。それで充分だろう」

 本当に興味がなさそうに言った。

「それより食事だ。昼飯を食ってないんだろう? たくさん食え」

 並べた料理をトゥーレにおしやるようにしてすすめた。トゥーレはあまり食欲はなかったが、イースに命じられたのでがんばって食べはじめる。

 詩人がマグメルに話しかけた。

「マグメル、異国の料理はお口にあってる?」

「問題ないね。おいしいよ。食事の時間は毎回楽しみなんだ」

 本心らしく、マグメルは実に楽しそうにスープの豆を匙ですくい取った。

「フィリグラーナでは見たことない野菜や豆ばっかりでさ。これはなんて種類の豆だい?」

 そう言って、黄色の豆を目の高さにあげ、仔細に眺めた。

「俺たちは長豆って呼んでるよ」

「長豆? でもこの豆、むしろ真ん丸だけど」

「さやがすごく長いんだ」

 マグメルは気にしたふうもなく、豆のスープを口に含む。

「うん——うまい」

 頬をゆるめた。トゥーレもほっとしてスープを口に入れる。ほっくりとした甘みのある豆に、少しくせのある燻製肉がよくあっていて美味だった。

「この豆、さやが長いってどれくらいの長さなんだい? このあたりで採れるのかな」

 マグメルは匙で豆をつつきながら問うた。トゥーレはくすっと笑う。

「マグメルって動物だけじゃなくて植物にも興味があるんだね」

「興味があるってほどじゃないけど、でも動物や昆虫を研究するなら、植物のことも調べる必要があるからね」

 意味がよくわからなくて、トゥーレは首をかしげた。

「つまりさ。大きな獣は小さな動物を食べ、小さな動物は木の実や葉を食べるわけだろ。だからある植物が病気になって枯れたら小動物も減るし、大型の動物も減るんだ。植物と小動物、大きな動物は、ぜんぶつながっているんだよ」

 マグメルの表情は、少年のように生き生きと輝いていた。

「ウルガゾンテは大陸でいちばん北の国だから、ここの植物や動物に関心を持ってる学者も多いんだよ。北の大森林なんて、珍しい生物の宝庫だしね。でも資料や文献が少なくてさ! 誘拐されて北の森をとおったときも、腕や脚を縛られているんじゃなきゃ、いろいろ調べたかったくらいだよ。ホント、誘拐されてる途中じゃなきゃね!」

 マグメルはあてつけがましくイースを見たが、イースは呆れたように見返した。

「森なんて、あんなところ、学者が酔狂で調べ物をするところじゃないぞ。俺たちでさえ、弓や鉈を持っていてもひとりで森に入らないのに」

「酔狂じゃない、真剣だ」

 トゥーレはなんだかおかしくなった。

「ウルガゾンテなんて、どこも荒野だと思ってた。フィリグラーナみたいにゆたかな国の人が興味を持ってくれるなんて、思ってもなかったよ」

 マグメルはむきになって反論してきた。

「でも鳥だって虫だって、たくさんいるだろう? このあたりの丘に生えている草の綿毛も、ちょっと金色がかったきれいな品種だ。人間が食べる麦や野菜はそれほど育たないかもしれないけど、ウルガゾンテの自然はゆたかだよ」

「……ゆたかな自然か」

 イースが、はじめて聞いた言葉のようにつぶやいた。

「この国で生まれ育ったが、そんなふうに思ったことはなかった」

 マグメルはイースに目をむけた。わだかまりのない、まっすぐな視線だった。

「この国の王になろうって奴が、なにを言ってるんだ。広い大地に、美しい狼をはじめ兎も虫もいて、きれいな草花もあるのに。この国だってゆたかだ。あんたはこの国をもっと誇るべきだ」

 マグメルは強く訴えた。

 いつのまにか、トゥーレたちの周囲から話し声が消えている。夕食を取りに来た皆が、マグメルとイースの話に耳を傾けているのだ。

 イースは顔を伏せ、スープの椀を見つめた。

「誇っているさ。ただ、もう少しだけでも人間の食べるものがあればな」

 マグメルが、ぐっと言葉につまる。

 マグメルのウルガゾンテに対する称賛は、この国の自然の厳しさを知らぬからこそ言えるものだろう。ウルガゾンテの自然はゆたかというよりも、激しく強いのだ。人間はただ圧倒されるしかない。

 だがトゥーレは、マグメルの無知を愚かとは思えなかった。むしろその無邪気さがありがたく、嬉しいとさえ感じた。

 トゥーレは匙でスープの椀をかきまぜる。そうしていても椀の底は見えなかった。

 とろりと動く豆を見ていると、言葉が自然にでてきた。

「……俺、石のスープを飲んだことがある」

「石?」

 唐突なトゥーレの言葉に、マグメルが頓狂な声で聞き返した。トゥーレはうなずく。

「かまどの石。はずして煮こんだんだ。もちろん石は食べずに、スープだけすすったんだよ」

 マグメルには意味がわからないようだ。困惑して瞬きした。

「なぜだ? なぜそんなこと……」

 口を挟んできたのはイースだ。

「——以前作った料理の吹きこぼした汁とか、こぼした塩や胡椒の味がかまどの石にしみこんでいるんじゃないかと思ったんだろう? で、煮こめば味がしみでるんじゃないかと思ったんだよな」

 ひどく優しい声だった。マグメルが驚いたようにイースにふりかえり、それからトゥーレを見た。

 トゥーレはこくんとうなずいた。

「おわかりになりますか、イース様」

「わかるさ。俺も似たようなことをした。俺は、食卓を斧で砕いて煮こんだよ」

 笑うことではないはずなのに、トゥーレは笑った。

「考えることは誰も一緒なんですね。お腹、壊しませんでした?」

 イースも静かに笑った。

「壊したさ。だがほかに食うものがなかったからな」

 トゥーレにはイースの気持ちがよくわかった。

 空腹で、ほかのことが考えられず、食べ物を探して家中を探しまわる。食べ物もそれを買う金もない

 まともに判断する力もなく幽霊のようにさまよう姿は、今思えば迷宮の結界にとらわれたときの状態に似ていた。飢えていなければ、石や木を煮こんで食べるという判断をするはずがないのに、あのときは本気でそれがいい案だと思ったのだ。

 だとすれば、あのときの自分は飢餓という迷宮にとらわれていたのか。

 いつのまにかマグメルも詩人も食事の手をとめ、身動きせずに息を詰めていた。周囲の食卓もしんとしている。

 トゥーレとイースだけが、世間話のように訥々と言葉を交わしていた。

「でもイース様、飢えをご存じなのに体格いいですよね。俺なんかこんなんですよ」

「ノズの地が飢饉におそわれたのは七年前で、俺はもう体はできていたからな。狩りの腕もあったから、なんとか生きのびた。……けど、死んだ奴も多かったよ」

 食堂のどこかで、誰かが鼻をすすりあげた。

「それがきっかけで、戦を起こそうとなさったんですか?」

 トゥーレは正面から尋ねた。以前から訊いてみたかったことだった。

「そうだ。国や領主のやり口さえ違っていれば、死なずにすむ奴も多かった」

 イースもまた、トゥーレをまっすぐに見つめ返して答えた。

「イース様はやっぱりお強いです。俺は故郷から逃げるしかできませんでした」

 トゥーレの故郷であるアルティマが飢餓に襲われたのは、二年前のことだった。垣根の葉も雑草も、川の魚も鳥もとりつくされ、食べる物はなにもなくなった。

 金持ちは食糧をためこんでいたが、彼らは持たぬ者に分け与えてくれなかった。

 だからトゥーレは故郷を捨てた。世界は広いから、べつの土地には食べ物もたくさんあるだずだと父は言っていた。トゥーレはその言葉を頼りに歩いた。餓死する前に、王都にたどりついた。

「俺、イース様は飢えをご存じの方だと思ってました」

「そうか?」

「俺たち丘の麓の宿なしに、城の食べ物を与えてくださったでしょう。それまでも城から施しを受けたことはありますけど、本当に残飯だったんです。でも城主がイース様になってから、あたたかい、ちゃんとした食べ物がいただけるようになりました」

 湯気の立つ食べ物が喉をとおり腹におさまったとき、トゥーレは生き返ったように感じた。体だけの話ではない。身ひとつでさすらい、やっとたどりついた王都で野良犬のように生きていたトゥーレだったが、あのとき自分が人間だと思いだしたのだ。

「だから俺、イース様に王様になってほしかったんです。俺にできることがあるなら、なんでもしようと思いました」

「それで、知恵試しに応じてくれたのか?」

 トゥーレはうなずいた。赤毛がゆれて頬にかかった。

「食い物につられたんだな」

 あたたかな、いたわりの声だった。

 トゥーレは顔をあげる。

「……イース様、もう少し待っていてください。俺、マグメルと一緒に、きっと迷宮を解きますから。そしてイース様に王様になっていただきますから」

「ああ。待ってる」

「だからどうか、皆が飢えないよう、誰にも殴られないようこの国を治めてください」

「わかってる」

 誰かが泣いていた。自身の飢えを思いだしたのだろうか。それとも誰かを思いだしたのだろうか。

 ふと見ると、マグメルも泣いていた。なにも喋らず表情も変えず、ただ大きく見ひらいた目からほとほとと涙を落としている。

 トゥーレは気がとがめた。苦労自慢をして、他人の気持ちを暗くしたいわけではなかったからだ。

「あの、マグメル——」

 呼びかけられて、彼ははじめて自分が泣いていることに気づいたようだ。あわてたように涙を拭うと、席を立って広間からでていった。

「マグメル」

「放っておいてやれ」

 意地悪でもなさそうに、イースは言った。

「でも、イース様」

「お前が追いかければ、奴はお前を慰めかねないぞ。やめておけ」

 トゥーレはしばらくマグメルの消えたほうを見ていたが、けっきょく席に戻った。

 吟遊詩人が歌をうたいはじめた。そっと、かすかにうたいだされたそれは、旅の空で死んだ者を悼む歌のようだった。

 ——荒野をさすらっていると、花がひとむら咲き乱れたところがあった。どこから種がやってきたのか、このあたりでは見かけぬ花。そのなかに、小さな人骨が残されていた。

 はるかな空、果てない大地、故郷の村は見えない。

 ここに花が咲くと知る者もいない。



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