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「……賊にねらわれただと?」
イースはトゥーレとマグメル、詩人を順に見て、低くつぶやいた。
低い、凍りつくような声だった。暖炉にはたっぷり薪がくべられているのに、トゥーレは肝が冷える心地がした。
不穏な空気を感じたか、イースの足下で寝そべっていたアシュリンが頭をあげ、耳をすませるような様子を見せる。だが詩人がアシュリンをなだめて微笑みかけると、また頭をさげ、前肢のあいだに顔をうずめた。
「三人とも無事なようだが、怪我はないのか」
「は、はい。イース様」
「最初からくわしく話せ」
「はい。俺たちは——」
言いかけたトゥーレの肩をマグメルがおさえ、とめた。
「マグメル?」
「これ以上話す前に、人払いを頼めるかな。当事者である俺たち三人とあんた以外は皆、ここからでてほしい」
マグメルの言葉に、イースのかたわらに座っていたキーンが腰を浮かした。
部屋にはほかに、商人のリメリックとカイがいた。彼らも困惑したようにマグメルを見ている。
「それは少し、無礼ではないですかな。私をなんだと思っているんです」
リメリックが不快感もあらわに言った。キーンも白い眉をひそめた。
「マグメル殿。リメリック殿はイース殿の最大の支援者です。そして私は、およばずながらイース殿の参謀で——」
「そして俺はイースの迷宮管理者だ。迷宮に関するかぎり、口を控えるのはあんただよ」
マグメルはそっけなくキーンをさえぎった。キーンは息を飲んだが、食いさがる。
「あなたはフィリグラーナの迷宮管理者だ。むりやりさらわれて協力を強いられているだけで、イース殿の家臣ではないはずです」
「俺がさらわれてきてむりやり働かされてる異国人だとか、おまけにイースを嫌っているとか、そんなことはいっさい関係ない。ことは迷宮にかかわる。迷宮とそこに封じられた権標の秘密は、王となる者と迷宮管理者以外、たとえ王妃や王太子であれ近づくことは許されないんだ。それが迷宮の大前提だ」
よくとおる声で、きっぱりと断じた。キーンは言葉なく、ただ目をみはっていた。
キーンを黙らせたマグメルは、今度はイースに目をむけた。
「もちろん、あんたが迷宮管理者としての俺より参謀のキーンを信用するなら、俺だけをこの部屋から追いだして、トゥーレと詩人から事情を聞けばいいと思うけどね」
挑発するように問うた。
イースは青い瞳でマグメルを見すえながら、しばらく黙っていた。
手をのばし、アシュリンの頭をなでる。それからおもむろに、キーンを見やった。
「席をはずしてくれ」
「——イース殿!」
キーンは愕然として叫んだが、イースはくりかえさなかった。
カイが立ちあがった。
「ま、迷宮に関することなら仕方ないさ。王になるのはイースなんだ。関係ない俺たちは外にでようじゃないか」
そう言って、不満そうなキーンとリメリックをうながし、部屋をでていった。
マグメルは三人がでていくと、肩をすくめて言った。
「意外だな。追いだされるのは俺だと思っていたよ」
「俺はお前に、迷宮を解くように言った。お前も迷宮を解くと承諾した。だからだ」
マグメルは目をすがめた。
「俺はたった今、あんたを嫌いだとも明言したんだけどね?」
「それはお互い様だ。俺もお前が大嫌いだ」
マグメルは一瞬目をみはり、それから満足そうににやっと笑った。詩人は小さく吹きだし、トゥーレはほっと息を吐いた。
アシュリンが頭をあげ、イースの膝の上に顔をおいた。イースはアシュリンの耳のうしろをかいて、トゥーレに目をむけた。
「話を聞かせてもらおうか」
「はい」
途中、マグメルや詩人に補強してもらいながら、トゥーレは簡潔に、しかしもれなく伝えた。そのあいだ、イースは黙って聞いていた。
「——弾弓か。聞いたかぎりではかなり手慣れた様子だな。転がっていたという死体も気になる」
マグメルは無言でイースに歩みよると、死体から見つけた古い護符を取りだしイースの面前にぶらさげた。
「旅人の護符か?」
「そう。迷宮で死んでいた男の持ち物だ。二枚にわかれる。内側を見ろ」
イースは言われたとおり、護符の表と裏をはがすように二枚にわけた。トゥーレと詩人もよく見ようと前にでる。
ふたの内側には銀が張られ、蛇の紋様が彫られていた。みずからの尾を咥えて円環をなす蛇だ。ただしこの蛇には角がない。ふつうの蛇である。
詩人が護符に手を伸ばした。
「迷宮のしるし……しかも、マグメルの胸飾りと同じ銀の蛇だわ」
「銀に彫ったってだけじゃないの?」
詩人はマグメルをちらりと見た。
「これは紋章よ。紋様にも地色にも意味があるし、それにまったく同じしるしは使えない決まりなの。でないと混乱するでしょ? たとえば大地の神殿では、正式には銀の地に黒で蛇を描くわ。大地の神は黒蛇だったから。地色は、正式には神聖銀だけど、これは高価すぎるから、ふつうの銀を使うことがほとんどかしら。それさえ無理でも、蛇だけはかならず黒で描くものなの」
詩人は護符の内側がトゥーレによく見えるように、護符をさしだした。
「これは銀の板にそのまま蛇を打ちだしている。塗料のあとすらないでしょ。もともとこういう図柄なのよ」
「塗料が落ちたとか——違うか」
護符の内側に隠されていた紋様だ。顔料が落ちることなどないだろう。少なくとも、護符の外側の塗料は落ちていない。
「それじゃ、これ……」
マグメルの胸には、今も銀の胸飾りが下がっている。マグメルはそれに手を触れ、うなずいた。
「そう。銀の地に銀の蛇は、フィリグラーナ迷宮管理庁のしるしだよ、トゥーレ。フィリグラーナ建国初期には、迷宮の管理は地神殿がしていたんだ。それがフィリグラーナ王国の権標を守るためだけの組織として、神殿から独立したから、大地の神の色である黒を抜いたってわけ。だから銀の地に銀の蛇なのさ」
「フィリグラーナ迷宮管理庁?」
トゥーレはマグメルを見あげ、次いでイースの様子をうかがった。
イースは黙ったまま、マグメルを見すえている。
マグメルは護符を振り子のようにゆらした。
「このしるしは、いざというときに身分を証明するためのものだ。あの死体の男は、フィリグラーナの迷宮管理庁で働いていたんだよ」
イースは青い目で、振り子の動きを追う。
「フィリグラーナから、トリスケルの迷宮をあばくためにやってきたってわけか」
「フィリグラーナ迷宮管理庁には、それ専門の隊があるって噂を聞いたことがあるね。俺は、自分に関係ないからくわしく知ろうともしなかったけど」
トゥーレも息をつめて、ゆれる護符を見つめていた。マグメルと同じ、迷宮に関して大陸随一の知識と技術を誇るフィリグラーナの人間が、列柱の迷宮に忍びこんでいたのだ。まだ権標を奪われていないとしても、他国の間者に迷宮の重大な秘密を先んじて暴かれたかと思うと、焦燥感にいてもたってもいられない心地がした。
イースは護符をあらためて手にとって、眺めた。
「マグメル。死体は、お前も顔を知っていた奴か?」
「いや。死体の顔を見たかぎりだけど、顔をあわせた覚えはないね。俺は人の顔をちゃんと覚えているほうなんだけど」
詩人が首をかしげた。
「死体と襲撃者は、仲間なのかしら。それともあの死体の男は、襲撃者に殺されたの?」
「……もし仲間じゃなかったら、フィリグラーナ以外の勢力がトリスケルの迷宮に忍びこんでいるってことになるよ」
トゥーレはますます気が重くなる。
だがマグメルは、首をふった。
「複数の勢力が迷宮に忍びこんでいたら、お互いばれずにいられるはずがないと思うな」
「なぜだ?」
「迷宮の丘で、測量をしていたからさ。三脚や棒を立てたあとが丘のあちこちにあったし、死体は巻き尺と測量用の棒を持っていた。彼らは迷宮の丘の、正確な地図を作ろうとしていたんだよ」
「……地図!?」
トゥーレは思わず大きな声をあげた。
「教えてあげただろう? 迷宮のなかには、結界のもとになる図形や数が隠されている。列柱の迷宮なら、たとえば同じ太さ、高さの柱を結べば、ある図形があらわれるということが考えられる」
「その隠された図形が、結界のもとになっているんだね」
「そう。地図を作れば、隠された図形や数を見破られるかもしれない。それができなくても、正確な位置を把握するだけで、結界の効果をある程度薄めることができるよ。時間はかかるけど確実な手段だ。トリスケルが落とされた直後から忍びこんで実施していたとしたら、時間もあったし、測量はけっこうすすんでるんじゃないかな。襲撃されたときに、奴らが場所に慣れてる感じがしたのも、そのせいだろう」
イースは眉間のしわを深くして考えこんでいた。
「いずれにせよ、測量は数人で行うから目立つよ。他勢力の侵入者がいるなら、ばれないはずがないし、そうしたら衝突は避けられない」
「なるほどな」
「……で、でも俺、あそこで測量をしてたなんてまったく気づかなかった……」
つぶやくと、皆がトゥーレのほうを気づかうように見た。
「迷宮管理庁独特の手法についての知識がないと、ふつうは気づかないと思うよ」
「気づかなくてよかったんだ、トゥーレ。奴らはお前を見はっていただろうからな」
マグメルとイースがつづけて言った。
自分が迷宮にかよいつめていたときも、迷宮のどこかに侵入者たちが隠れていたかもしれない。もし侵入者の痕跡に気づいていたら、そしてそれを侵入者に感づかれていたら、自分はどうなっていたのだろう。考えて、トゥーレは大きく身をふるわせた。
詩人が手をのばし、トゥーレを抱きしめてくれた。肩をさすられて、トゥーレは自分が体をこわばらせていたことに気づく。
指先にあたたかいものを感じた。見ると、アシュリンがいつの間にかトゥーレのそばに来て、しめった鼻先を押しつけていた。
いつもおそろしかったアシュリンだが、このときばかりは動物の偽りない優しさが身に染みた。悪意を持った異国の間者たちにくらべれば、獣の本能など、どれほどのことか。手をのばして頭をなでると、思った以上に細くやわらかい毛皮に、手が沈みこむように感じられた。
イースは護符の鎖を指に引っかけて、くるくるとまわしている。
「襲撃者もフィリグラーナの人間なら、奴らはお前の素性もわかっていたはずだ。それでも襲ってきたのか」
「俺が裏切り者だって思ってるんじゃない? 脅されているにせよ、俺が優秀な迷宮管理者には違いないわけだし、そうしたら俺が奴らより先に権標を探しだすかもしれないと危惧したんだろうな。だから襲撃してきたんだ」
マグメルの言葉に、トゥーレはふたたび体をかたくした。
マグメルの推測どおりだとすれば、彼は同郷の人間に命を狙われたことになる。
「まさか……だって同じ国の、しかも同じ迷宮管理庁の人間なんでしょう? 狙ったのは俺だけで、マグメルのことは助けようとしていたのかもしれないよ」
必死で言ったが、マグメルは苦笑した。
「残念ながら、そんな優しい機関じゃないんだよ。特に今の迷宮管理長は完璧主義の厳しい人でさ。他国に拉致された俺のことなんて、迷宮管理庁の傷みたいに思ってるんじゃないかな。俺がウルガゾンテにフィリグラーナの迷宮の秘密をもらすんじゃないかと警戒して、始末しようとしたっていうほうが、可能性としてはずっと高いね」
イースは顔をしかめている。静かに怒っているようだ。詩人は無表情だった。
トゥーレはただ、混乱していた。なんと言ってマグメルを慰めればいいか、わからなかった。
「マグメル……あの……」
「きみが気にすることじゃないよ、トゥーレ。それよりきみをまきこんでごめんね。きみは最初から俺をかばってくれたのに」
トゥーレは必死で首をふった。
イースは話を打ちきるように、首をふった。
「ともかく、話はわかった。カイに言って、そのフィリグラーナからの侵入者どもを見つけさせよう」
マグメルは片方の眉をあげ、イースを見やった。
「フィリグラーナからの間者たちは手強いと思うよ? 他国で間者なんかしてる奴らは、俺みたいに迷宮の結界を張ることはできないだろうけど、迷宮の知識はあるだろうし、結界のなかでもある程度動けるよう、特別に訓練されているからね」
「たしかに迷宮のなかで対決すれば苦戦するだろう。だがそいつらもどこかで食糧を調達するはずだし、寝ぐらも必要だろう? かならず町に出入りしているはずだ。そして相手が生き物なら、ノズの民はかならず狩りだしてみせる」
イースは楽しげに笑う。トゥーレは、その硬質でひややかな笑みに、はじめてイースに会ったときに連想した氷山をふたたび思った。
もしやこれは、殺気というものではないのか。
マグメルも気圧されたように息をのんでいる。
「とにかく、トゥーレとマグメルは、しばらく迷宮の丘に行くのは控えろ。それと、あたりさわりのない程度にカイに今の話を説明するが、かまわないな?」
「ああ、もちろん」
そこで詩人が口を挟んできた。
「ねえ、侵入者は迷宮の丘の測量をしてるんでしょ? だったら侵入者を見つけてその測量した地図を没収すれば、トゥーレとマグメルはずいぶん楽できるんじゃないかしら」
トゥーレはひるんだ。
「う、奪いとるってこと?」
「だめ?」
「だめっていうか」
相手はトゥーレたちを殺そうとした奴らだ。それを考えれば、荷物を没収するのも当然かもしれないが。
(でももしかして、イース様はその人たちを殺すつもりじゃないかな)
殺した人間から奪い取ったものを利用すると考えると、少し怖かった。少なくとも、喜べない。
けれどイースのやり方に口出しするのもためらわれて、トゥーレはもじもじと床を見るしかできない。
マグメルが肩をすくめた。
「ともかくさ。フィリグラーナの迷宮管理庁の測量技術は、自慢じゃないけど自慢できるしね。地図はぜひともほしいところだな。地図さえ手に入ったら、ほかのことは見逃してもいいくらいだよ。それくらいの価値はあるからね」
そう言って、イースを見やった。イースはマグメルと見て、ついでトゥーレを見てから、わずかに眉をひそめた。
「……まあ、フィリグラーナと険悪になりすぎるのも得策じゃないからな。慎重に行くとするか」
イースの言葉に、トゥーレはさまざまな意味で安堵した。
詩人が小さく笑った。
見ると、詩人はすぐにトゥーレから目をそらせてしまったが、口元には笑みが残っていた。