九の段
将棋の駒を刺す音が金箔で装飾された寝所に響く。
「独りで将棋を指すのも寂しいのぅ」
信長の声に反応する者はいない…はずだった。
突然、障子に人影が現れた。
影は障子の前で佇んだまま、信長に話し掛ける。
「私が一局、お相手致しましょうか?信長様」
「帰って来たか、藍」
すうーっと静かに障子が開き、そこにはにこやかな笑を浮かべた藍が頭を深く下げた。
その藍に信長も微笑み返した。
近習に扮した姿のまま、藍は信長の対面に静かに座った。
「帰ってはおりません。少し立ち寄ってみただけでございます」
信長は息を漏らすように笑った。
「そう強がるな。儂の元を離れ、何かと大変であろう。思えばお前がこれ程長く居なくなった事はない。いい加減戻ってこんか。今なら家来共々酌量してやらんでもない」
藍は目を伏して笑った。
「これはまたおかしな話ですな。あなた様は私に刺客を送り込んでおきながら、次は帰って来いと仰られる。虫の良すぎる話ではございませぬか」
「儂の刺客に殺られる程、お前達は劣ってはいまい。言うなれば、今日の者共は"噛ませ犬"よ。"優忍"衆の腕が落ちていないか確かめただけじゃ」
藍の内では少しずつ怒りが煮えたぎってきたが、それでも平静を装った。
「"噛ませ犬"。そうですか。先程信長様が弄んだあの忍もその一人ですか?」
「フンッ、馬鹿な男じゃ。わざわざ儂に殺される為、のこのこと帰ってきよった。『妻と子の為に自分が死ぬ』とな。まぁ、望み通り殺してやったわ。あやつの妻子も今頃、儂が送った者共に手討ちにされておる。家族諸共、その首を晒してやろうと思ってな。どうじゃ、共に酒でも呑まんか?馬鹿の首を肴に呑む味は、また格別じゃぞ」