七の段
潤の遺体が片付けられた後、庭に残る血の跡に濃は吐き気を催した。胸を手で押さえた。
「姫様、いかがされました」
「何でもない。松、頼みがある」
松は、濃の顔へ耳を近づけた。
「潤の妻子を連れて参るのだ。父上に気付かれるでないぞ」
松は黙って頷くと、すぐさま走って行った。
潤の住まいの場所は知っていた。一度だけ、生まれたばかりの潤の双子を見に行ったのだ。潤の力を借り、松に何とか頼み込み、真夜中に城を抜け出した。
「なんだか胸がざわつくの」
頭に掛けた黒の羽織りを濃はぎゅっと握った。
「怖じ気づかれましたか」
手を引く潤は、意地悪な笑みを浮かべていた。
「何を言うか。無礼な」
たまらず噴き出す潤に釣られ、濃も笑いを押さえきれなくなった。楽しい夜だった。
(父上になど殺させるものか)
潤の妻子をどこに匿おうか考えていると、後ろから男が声を掛けてきた。
「姫様」
「なんじゃ」
顔を見ずに返事をした。
「姫様」
再び声を掛けてくる男に濃は腹が立った。
「だから何じゃと聞いておるのじゃ。…枯錆…枯錆ではないか」
濃は驚いた。
そこには青緑の肩衣を着、近習になりきった枯錆が子供の様に無邪気に微笑んでいたのだ。
「濃姫様、お久しゅうございます」
「懐かしいのぅ、枯錆、そなた何も変わっておらぬではないか。相変わらず愛らしい顔をしておる」
枯錆は苦笑気味に答えた。
「先輩方にも言われる始末です。このままずっと子のような顔つきのままなのではと日々心配する毎日でございまして」
顔をしかめる枯錆に思わず失笑してしまう。しかし、すぐに気になる。
「時に枯錆、何故主がここへ?」
枯錆は拳を床につき、頭を下げた。
「忍頭から姫様宛に伝言を言付かりましてございます」
「藍から、私に?」
枯錆はコクリと頷いた。
「青渴潤、あの者を丁重に葬って頂きたい。もう一つは、潤殿の家族の者については心配なさらぬように…と。姫様にそうお伝えしろとの事でございます」
藍が何故、潤や潤の家族の事を知っているのか。
濃には検討もつかなかった。
「何故知っておるのだ?潤の事は私しか知らぬ。どうしてお主達が」
枯錆は顔を上げ、真剣な眼差しで濃と目を合わせた。
「その潤に頼まれたのです。潤は忍頭達と一太刀交え敗れました。その時、『自分の亡き後妻子を護ってやって欲しい』と」
「訳が分からぬ。何故藍と潤が戦わねばならなかったのだ」
「それが信長様より受けた潤の役目だったからです。向こうが殺る気なら忍頭と言えど、みすみす殺られる必要はありません。…仕方の無い事でございました。潤は斬られた身体で忍頭達に土下座すると、その場から姿を消しました。事の経緯を確かめる為、忍頭と私は潤が戻るであろうこの城に潜り込んだ、とこういう事でございます」
「…そうか」
潤は父の命で藍を襲い、死んだ。
藍は自分の命を守る為に、潤を斬ったのだ。
濃は誰も責める事など出来ないと悟った。