十七の段
「では私はあちらなので」
おしとやかに微笑みを浮かべながら葉紅は頭を下げると反対の道を歩き出した。その背中に颯季は深々と頭を下げた。
温まった身体を包む寝衣は裏地に綿が縫い付けられておりフカフカと優しい肌触りだ。しかし颯季の心はそれ以上に軽く和やかなものになっていた。
葉紅が話してくれた事は深く傷ついた胸の傷を確かに少しではあるが癒してくれた。同じ苦しみを知った者が近くにいるというだけで心強かった。
『私だけじゃないんだ、葉紅さんだって耐えて乗り越えたんだ。おちおち泣いていられないわ。私には潤がくれた子供がいる。あの子達がいる限り私は一人でも頑張れる』
颯季が子供達と一緒に匿われているのは晶の家だ。
4~5人はゆうに住めそうな大きな藁葺きの家だ。
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「俺達がこの地へやって来た時、廃屋になった家が偶然5つ転がっていてな、距離もそんなに離れてないってことで、1人1つ家があるのさ」
始めて家に連れて来られた時、家の大きさに見て驚く颯季に晶はそう教えてくれた。
「使えよ」
そう言って出ていこうとする晶を颯季はあわてて呼び止めた。
「ちょっと待って、あなたはどうするの?」
晶は疲れた身体をコキコキと音を立ててほぐし始めた。
「俺は何処でも寝られるし、枯錆の家にでも転がり込むさ。気にするな」
「そう……ねぇ、1つ聞いていい?」
「ん?」
「どうして他の人とは話さないの?……仲が悪いの?」
颯季は不思議だった。
ここに来るまでの途中、荷台に乗せられた颯季は前で手網を握る塵と隣に座る晶の会話を何気なしに聞いていた。
「藍の奴、何を思ってか枯錆と翡翠を連れて信長の城へ潜り込みやがった。ったく、散々やめとけって俺は止めたんだぞ。今行くと面倒ごとが増えるだけだってな」
晶はただコクリと塵の話にうなずいた。
その後も塵は晶に話し続けるが晶はただただ頷いて聞くだけだ。そんな晶を塵も気にしていない様子だった。
「私とは普通に話してたじゃない。なのに、どうして?」
はじめは思い当たる節がないという顔をしていた晶だが、何かに気付くと ああ、と言って笑った。
「基本俺は話さない。今まで話した事があるのは、忍頭の藍さんだけだ」
「どうして?」
「言葉を交わす必要がないからさ。俺達"優忍"は皆通じ合ってる。話さなくても互いを解りあってるんだ。――まぁ、単に話すより聞くのがいいっていう俺の好き好みでもあるが」
「……おかしな人」
颯季は笑う。
「おかしいだろ」
晶も笑う。
すると今までスヤスヤと眠っていた二人の赤子がぐずり始めた。母親の反射的な行動で颯季は泣いている1人を抱きあやし始めた。
「よしよし、起こしちゃったわね」
颯季は身体を揺らして寝かせようとするもいつもの様にすぐに泣きやんでくれなかった。それに加え、寝かしているもう一人の方も次第に泣き声が大きくなってきた。
「おかしいわねぇ、いつもはこんなに泣かないのに」
泣きやまない子達にほとほと困っていると、土間に降りていた晶が履物を脱ぎ上がってきた。
そして、もう一人の赤子を慣れた手つきで抱くと颯季がする様に身体を揺らしてあやし始めた。
「よしよし、お前ここに来るまで一度も泣かなかったじゃないか。母さんを困らせるな……名前は?」
「名前?」
「この子の名前だよ」
他に誰がいる、という顔で晶は聞く。
「あ、それが……まだなの」
「まだ?」
「潤がね、次帰るまでに考えておくからって……でも………。何かいい名前はと考えてはいるんだけど」
「俺がつけてやるよ」
「え、貴方が?」
懐に抱く赤子は落ち着いたのか晶の腕の中で大きな欠伸をするとスヤスヤ眠り始めた。その愛らしい顔を眺めながら晶は思いついた。
「―そうだな。…じゃ、こっちは杏、そっちは夢空ってのはどうだ?」
「杏と夢空…」
名付けてくれた名を小さく呟くと、颯季はニッコリと晶に微笑み頷いた。
「この子達もきっと喜んでる」
「だといいが」
突然、晶の柔らかい目つきが鋭くなった。
何かに気付くように外の方へ振り向く。
「どうしたの?」
「藍さんが帰ってきた。行かないと」
「え?何も聞こえないけど」
外は静かなままである。虫の囀り以外、颯季には聞こえなかった。
「まだ村の外れ辺りにいるからな。颯季には聞こえないさ」
眠る杏を起こさないようにゆっくりと布団に寝かせると晶は立ち上がり履物を履いた。
「じゃあ、俺はもう行くから。何かあればこの先の塵さんの家に行きな。奥方の葉紅殿がいる。女同士の方が何かといいだろ」
「え?あ、うん――晶」
戸に手を掛ける晶に颯季は声を掛けた。
「ん?」
気だるい目が颯季と目を合わせる。
「杏と夢空…また見に来て」
そっと言ったその言葉に少し驚くも、晶は「うん」と小さく笑って頷き静かに出て行った。