十四の段
その夜―
人々が寝静まった町を藍と塵は密かに、かつ速やかに駆けていた。長屋の屋根から屋根へと飛び移り、足音をたてることなく、前へ前へ突き進んだ。
「そりゃあお前の言い過ぎだ」
隣を走る藍は息を切らす事無く、塵に言う。
その声は、子が悪戯を楽しんでいるように飄々としていた。
「お前は女心ってのを理解してねぇんだ。思い出とか記憶ってのはな、あればあるだけ辛いもんだぜ。できるなら、さっさと忘れた方がいい。それをお前は、『どうして忘れる必要があるんですか?』だなんて……土久里の奥方は可哀想だな」
そう言いつつ、藍は横目でちらりと塵に目をやった。
塵は睨んだ目つきで藍と目を合わせた。
「女の事でお前に説教されるなんてな。胸糞悪い」
「ハハッ、確かに。俺も一緒さ。その辺の事はよく分からねぇけど……もっと優しい言葉でも掛けてやれば良かったのによ」
「最初からそのつもりだったし、困らせるつもりもなかったんだ。ただ、なんていうか……土久里の事を忘れられそうって言われた時、何故かその言葉が俺にとっては寂しかった…だからそう言っちまったのさ」
「そっか」
そこで二人は足を止めた。
暗闇に紛れ前方から敵が現れたのだ。後ろからも現れ藍と塵は完全に挟まれてしまった。
「優忍衆の黒染藍、木蘭塵とお見受けする」
敵頭らしい男が低く濁った声で話し掛けてきた。
藍は刀柄に手を掛けたまま答えた。
「いかにも。悪いが今は主人の使いの最中ゆえ急がねばならぬ。その道、譲って頂きたい。邪魔だてすると言うのなら、斬って捨てる」
すると、敵頭と他の忍達は二人を見下すように高らかに笑った。
「貴様らの腕は我等もよく知っている。が、多勢に無勢という言葉はまさにこのこと。――お前達二人の首を持ち帰るが我等の仕事。その首頂戴致す」
手裏剣、苦無、鎖鎌などを構える敵は殺る気十分だった。その様子に藍は大きな溜息をついた。
「なぁ、塵。今まで俺の警告を聞いた敵は、いるか?」
クククと塵は笑う。
「さぁて、いないね。よくも毎回同じ事を言えるもんだとつくづく感心するよ、お前には」
シュンという音と共に藍は銀色の刀を抜いた。その刃を敵頭の頭に照準を合わせた。
「全く嫌な時代に生まれてきたもんだぜ。俺は根っからの平和好きなのによぅ」
黒い名刀 "無"を抜くと藍の背に自分の背をくっつけた。
「俺は後ろ、お前は前。異存は?」
「ない」