壱の段
短編"優忍"を連載の形で出す事にしました。
短編とは少し話が違いますがご了承ください。
時は戦国――
戦いと血と涙にまみれた世の中に"優忍"と名乗る5人の忍衆がいた。
残忍と殺しの仕事に飽き飽きした"優忍"は、残酷非道極める主人の前から煙の如く消えるように逃げ出した。
怒り狂う主人はありったけの配下を総動員し国中探し回ったが"優忍"の行方はようとして知れなかった。それだけ主人にとって"優忍"は傍に置いておく価値のある者達であった。
「見つければ即刻捕えよ。特に黒紅藍…あの男は手足を切り落としてでも生かし捕えるのだ。首さえ繋がっていればあの者にはそれだけの値打がある。その他の者共もなるべくでいい、傷なく捕えよ――常」
今常道久は主人のあまりにも和やかな声に心底怯えた。その心が邪気で満ちている時程、信長は愛情溢れる父親の様な顔と口調で接するのだ。
額の汗は頬をつたい檜香る豪奢な床板へと落ちた。
「かしこまりました、では」
震える声でそう言うと今常は障子に写る信長の影に深く頭を下げた。
今常が去って行くと信長は将棋の駒を打つ手を止め夜虫の鳴く中庭へと足を踏み入れた。
途端に虫の囀る音がぴたりと止んだ。
「どいつもこいつも腹立たしい―のぅ、藍。
貴様が儂を捨て置くなんざ思いもせなんだ。―じゃが、まぁよい。今この時を楽しめ。存分に餌を喰わせた獣をじっくり飢えさせていくのも楽しき余興の1つじゃ」
信長の顔は相変わらず微笑みを浮かべ優しかったがその目の奥には残忍極まりない邪笑と怒りが混じったものが宿っていた。
その頃―
黒紅藍ひきいる"優忍"は、野を越え山越え谷越えて誰も知らぬ秘境の地へと辿り着いていた。
四季折々の木々が生え出る山々がその地を囲み、天色の川がその地をより一層豊かに栄えさせた。
「うわぁ…綺麗な所ですねぇ」
思わず感嘆の声を挙げるのは"優忍"の中で一番若い下忍 枯錆だ。齢二十になったばかりの若者だが生まれながらに忍の才を持つ強靭忍で、その身軽な身体能力を活かして敵の城に忍び込み情報収集などを得意としていた。歳のわりにしっかりした性格で衆の誰もが可愛がった。
「新しい住処には申し分無い所だ。早いとこ今日の寝床つくろうぜ」
そう言って前に駆け出す"優忍"は中忍 退紅翡翠。女のような美しく端整な顔立ちの持ち主で老若男女の変装が自在だが綺麗な容姿とは裏腹にその口調は荒々しくまさに男そのものなのが何処か惜しい。
「……」
紫苑晶は足を休める為、背を木にもたれさせ座り込んだ。
「晶さん、疲れました?」
枯錆が聞くと晶は黙ったまま頷き疲れ切った様に頭を垂れた。
紫苑晶―"優忍" 衆の中忍であり非常に寡黙な男だった。実際、晶の声を聞いた事があるのは忍頭の藍だけだ。しかし無口だからと衆の中で孤立した存在になっている訳ではなかった。共に笑ったり、泣いたり、怒ったりと感情は人並みにいやそれ以上に持っていた。そんな晶が持つ才能は音もなく目標に忍び寄る俊敏性であり、また"優忍"衆の中で最も武具の扱いに長けていた。
「とりあえずここなら信長の追手も来ないだろう。なぁ、藍」
菅笠を指で回しながら"優忍"上忍 木蘭塵は藍に言う。
「ああ、そう願うね。当分は誰からも追われずにゆっくり休みたいよ」
熱くろしい手甲をガチャガチャと外しながら藍は答えた。
木蘭塵―"優忍"衆の副忍頭 。藍の右腕的存在で幼き頃より忍として互いに切磋琢磨し合う友でもあった。頭脳、武術ともに一流で特に剣術においては忍の世界で塵に並ぶ者はいなかった。それを証拠に塵の腰で漆黒に光る【黒紫】は名高い刀であった。
そして最後がこの男…
黒紅藍―"優忍"忍頭 上忍。忍を生業とする者で知らぬ者はいない凄腕忍者だった。各国の戦国大名達がこぞって藍を奪おうと試みるも、時は信長の時代―信長がそれを許さなかった。藍率いる"優忍"衆は他の忍衆と違い桁外れに強力賢頭で忍嫌いの信長が唯一手元に置いた忍達だった。
「ひとまず今日は野宿だなぁ。枯錆、何か今日の飯になるもんを取ってきてくれ。翡翠と一緒にな」
「分かりました」
枯錆は遠くにいる翡翠を追いかける様に走って行った。
「晶は山道の入口で見張りを頼む。追手の気配がしたらすぐに戻ってこい」
晶はゆっくり立ち上がり、こくりと頷き、消えた。
「しかしあの信長様から逃げ出せるとは藍、お前はやっぱり天才だ」
塵の称賛の言葉に藍は僅かに笑った。
「たまたま時が良かったんだよ。今井が攻めて来ると聞いて信長様の目がそちらに向いたこの時がね。
戦でも始まらなきゃ信長様は俺達から目を離してはくれなかった」
「そうだな。特にお前は信長様のお気に入りだったからなぁ」
流し目で藍の横顔を見るものの、藍は一言も発さず水筒の水を飲むだけだった。全て飲み干すと塵に顔を向けニコリと笑った。
「さて、これから何してやろうか」
遊び心ある子の様に藍は嬉しそうだった。
天色…少し濃い水色。
手甲…江戸時代、旅人が手の甲を太陽で焼けないように填めていた革製品。