骨と珈琲
第3回SMD競演に参加させていただきました。
『出会い』『別れ』『再会』の中から、『出会い』をテーマに選びました。
いつものスーパーをいつもと違う出口から出ると、道路の向こうに知らない店があった。いつからあんな店があったんだろう?
東口を使ったのは、その横にある衣類コーナーを眺めたからだが、出てすぐに後悔した。
職場と家の中間地点にあるこのスーパーの、正面は職場との、裏の北口は家とのアクセスがいい。今日出てきた東口に面した通りはどちらへ行くにも信号のつなぎが悪く、私は滅多に使わない。バス停横にある東口は、バスに乗る、従って信号を気にしない人がよく使う出入り口なのだ。
でもその後悔は、新しい店を見つけたことで解消した。あそこはかなり長いこと、空き家だったはず。以前はインドの雑貨とカレーの店だった。今度はどんな店なんだろう?
私はつなぎの悪い信号を待って、その店の前に立った。赤茶色をした遮光ガラスの扉の向こうは、薄暗くてよく見えない。扉のそばには、小さな行灯看板。『古民具と喫茶 不思議屋』。この小さな店で、なんという謎な組み合わせ。この店に喫茶コーナーを作ったら、置ける骨董品の数は知れている。
どんな店なんだろう。中が、見たい。
私は好奇心に促されるまま、ガラスの扉を引いた。
扉の向こうは、混沌の世界だった。どれが商品でどれが店の備品で何がゴミなのか分からない荒れ様。この小さな空間を、どうすればここまで荒らせるのか。小さな混沌の真ん中に黒い布をかぶせたソファと、煙草のヤニがこびりついたガラスのテーブルが大きく陣取っていた。テーブルを挟んだソファの向かいには、やはり小汚いベンチ。ベンチの奥の棚にはびっちりと古いCDが並んでいる。それは売り物なのか、それとも店の趣味かインテリアなのか? この空間が喫茶コーナー? いやまさか。でもこれ、売り物には見えないし。そしてテーブルの横にはゴミとしか思えない空の段ボールが積み上がり、更にその奥に陳列棚という配列。店として大きく間違ってると思う。
しかも店だというのに、鍵が開いているというのに、人の気配がない。店員はどこにいるんだろう。まあいいか、誰もいなければゆっくり店内を物色できる。
そして私は『彼』と出会った。
段ボールの向こうに白い顔が見えた。綺麗な丸い頭。秀でた額。その下には二つの円らな眼孔。ぽっかり空いた眼孔の真ん中やや下、本来鼻があるところにも穴が空いている。
段ボールの向こうには、頭蓋骨がいた。堂々と売っているのだから作り物だろうが、良く出来ていると思う。近くで見たい。私は頭蓋骨へたどり着くための道筋を探し始めた。段ボールを乗り越えるか。いや、その中か下に商品があって壊したら、弁償できない。喫茶コーナーを回り込むか。しかし、狭い。狭すぎるぞ。これ、消防法とかに引っかかるんじゃないの?
そんなことを考えていると、突然声がした。
「誰?」
一瞬、頭蓋骨が声を発したかと思った。それにしては低音。
人がいたのか、この混沌の中に。店だから当然と言えば当然だけど。
「あ、ドアが開いてたから入っちゃったんですけど」
「え、ああ、お客さん?」
奥から出てきたのは、人の好さそうな中年の男だった。おそらくは店主だろう。もっさりとくたびれた服と豊かな腹周りが、どことなく熊のぬいぐるみを思わせる。
「とりあえず座って、コーヒー三百五十円ね、二杯目からは百円だから」
店主はそう言いながら、体を揺らして冷蔵庫へ向かう。
「あ、いえ、コーヒーを飲みに来たわけじゃ」
「じゃあ古民具に興味あるの? 若いのに」
いや、古民具への興味云々より、この店でお茶を飲みたい若者は多分いないから。
「いえ、今までここ知らなかったから、どんな物があるのかと思って」
「ああ、なるほどね。この店、目立たないから」
道路際に駐車場を取っているせいで、周りより一段引っ込んだその建物は住宅兼用で、周りの家に飲み込まれていた。私も、以前ここに店があったと知らなければ、今日も気付かなかったかもしれない。
その時、店主の手に握られている物を見て私はさすがに呆れた。コーヒーの一リットルペットボトル。コーヒー豆を出すのかと思ったのに。それで一杯目の三百五十円はぼったくりでしょう。飲まないからいいけど。
「ゆっくり見ていってよ」
店主が暢気そうな声で言った。
遠慮なく店内を眺め回す。商品と言えそうな物は少なかった。小抽出が二個、木製の衣装箪笥、やたら大きな木箱、壁際の水屋箪笥は、売り物なのか備品なのか。どれも値札などついていない。
そして、頭蓋骨。立ち位置を変えたときちらりと見えたのだが、骸骨には首から下もあった。全身骨格標本らしい。ちょっと小柄。私より頭一つくらい小さい。頭だけより魅力的だが、その分値段も上がるのだろう。
私は骨董にそれほど興味があるわけじゃないし、ましてや骨格標本業界にはまったく詳しくない。値段を訊ねれば、おそらくふっかけてくるだろう。相手は骨董屋なのだ、古い物を『同じ物は手に入らないから』と値をつり上げるのが商売なのだ。人の好さそうな見た目に騙されてはいけない。
私はとりあえず、買う気のかけらも無い小引き出しの値段を聞いてみる。
「あれは五桁の真ん中くらい」
「色の薄い方は?」
「同じくらいかな」
「水屋箪笥は?」
「あれは備品だけど、売るなら六桁の最初の方」
なんてアバウトな金額設定。買うといったら、そこから実際の価格を決めるに違いない。
「あれ、欲しいの?」
「買えませんよ、そんな高いもの。いくらくらいなのか知りたかっただけです。あ、あれはなんですか?」
衣装箪笥の上に奇妙な形の物を見つけ、訊いてみた。
「あれは糸車」
「え? 糸車って、糸を紡ぐあれですよね? あれ、支柱と歯車しかないですけど」
「糸車って、実はいろんな形のがあるんだよ。あれは六千円くらいだよ」
いきなり現実的な金額設定。買わせる気か? その手には乗らない。欲しいのはそれじゃないんだし。
「あの骨格標本は?」
「あれは五桁の零に近い方」
お、意外に安い。一万、いや、欲しいと言えば二万に上がるか。当面は極貧生活になるが、買えなくはない。
「ありがとうございました、また見に来ます」
私は次の給料日までいかにしのぐか算段しながら、店を出た。
家についてテレビをつけると、ローカルニュースが流れた。アナウンサーが、冬の初めに家出した中学生の少年がまだ見つからないことを告げた。行方不明になってすぐの頃、いくつかのSNSで話題になったが、警察はあまり報道したがらなかったようだ。家出少年ごときに時間を割きたくなかったという事だろうか。
今からどんなに報道しても、誰かにかくまわれてでもいない限り、見つかるのはふやけた凍死体だろう。どうしてこうも後手に回るのだろう。子供が少ない時代に、子供の命を軽視しているとちょっと思う。
数日後、私は骨格標本を買うめどをつけて、また不思議屋へ行った。
「あの骨格標本、おいくらですか?」
「あれは、五万だったかな?」
いくら何でもふっかけすぎだろう。
「この前は五桁の零に近い方って言ってましたけど」
「そうだった? じゃあ二万でどう?」
「えー、もう一声行きませんか?」
「いやあ、他にも欲しい人は見つかるかもしれないしね」
「分かりました、じゃあ近くで見て確かめてから決めたいんですけど」
「いいよ、こっち回って、あ、そこの段ボールはまたいでね」
商品とガラクタで囲まれた細い通路に、段ボールとその中身と思われる小山がある。やはり配列に問題があるな、この店。
何とか骨格標本にたどり着く。頭蓋骨には、細かな線でヒビが描かれていた。丸い頭蓋骨は一つの骨ではなく、いくつかの骨の組み合わせで出来ている。そのパーツを表現した線のようだ。頸椎はちゃんと七個。そこに古いロザリオをかけている。この骨、模型のくせにキリスト教徒なのか? 薄く開いた口元は、微笑んでいるのか何かを訴えようとしているのか判別がつかない。
「それ、本物の骨なんだよ」
後ろから店主が声を掛けてきた。
「ええ!?」
「本気にした?」
人のいい顔に悪戯っぽい笑顔を浮かべている。なんだ、からかわれたのか。
「質の悪い冗談やめてくださいよ、買うの止めますよ」
「ああ、それは勘弁。本当は隣町で小学校が廃校になって、買い付けに行ってきたの。知ってる? 学校の備品ってね、全部教育委員会で登録してるんだよ。だから買うときも学校と直接交渉出来なくて、面倒でね」
いや、そんな苦労話的豆知識は要らないから。
「プラスチックはよく出てくるけど、これはホントに古いんだよね、紙でできてるんだよ」
「紙ですか?」
「そう。紙を固めて、ニスとかの樹脂で整えてるの。貴重だよ」
「あのロザリオは?」
「似合うと思って。買ってくれるならサービスにつけるよ」
「家まで運ぶ手段がないんですけど」
「配達してあげるよ」
「いつですか? 昼間は働いてるから無理なんですけど」
「じゃあ、今運ぼう。今日はまだ飲んでないし、店もこんなだしね」
確かにこの前も今日も、それなりの時間を過ごしているのに客は私一人だった。
「ありがとうございます」
店主は部屋まで骨格標本を運んでくれた。
「どこに置く?」
「テーブルの横に置いてください」
「骨見て食事するの?」
「一人よりいいかと」
「悪趣味な」
「あ、コーヒー飲みます? ペットボトルじゃなくて、落としたの」
「いいの?」
「運んでもらったお礼です」
私は三人分のコーヒーを落として、テーブルに運んだ。店主と私と、骨格標本の三つ。
小柄な標本は、立ったままでテーブルにちょうどいい高さだった。これからは時々、『二人』でお茶を飲める。ちょっと楽しいかも。
「うまいね、やっぱり、ちゃんと落としたコーヒーは」
店主が満足そうに目を細めて言った。
こうして、私と『彼』の共同生活が始まった。
それから一週間ほど経って、私はまた不思議屋へ行った。入り口には貼り紙がしてあった。閉店の挨拶だった。
ずいぶん急だなあ。
まあ、いいか。
私は骨が待っている家へ帰る。
骨と二人で見るローカルニュースでは、隣町で行方不明になった女の子について報道していた。質の悪い人間に誘拐されたのでなければいいけど。そんなことを骨に話しかけながら、私は二人分のコーヒーを落とし始めた。『彼』のカラッポの眼孔に涙が光った様に見えたのは、きっと私の気のせいだろう。
***
『骨董・コーヒー 過去屋』
新しい看板を眺めて、僕は首をかしげた。ついこの前までは、パワーストーンの店だったと思うんだけど。ああいうの、男女問わず好きな人間はいるよね。そういう僕も、念珠を一つ手首に巻いているけど。あの店、なんで無くなったんだろう?
そんなことを考えながら扉を開くと、そこはカオスだった。どう見ても商品より真性のガラクタの方が多い。そして小さな店の真ん中に喫茶コーナーと思われる汚い応接セット。
店内を見回すと、商品らしき物の中に骨格標本があった。小柄な標本は薄く口を開いて、微笑んでいるように見える。
何となく可愛いな。そういう趣味はなかったんだけど。
「気に入りましたか?」
「うわ」
ぼんやり眺めていると、急に後ろから声をかけられた。驚きすぎだろう自分、店なんだから店員がいるのは当たり前だ。
声をかけてきたのは中年の男だった。メタボ腹に着古した普段着のままで髪もぐしゃぐしゃ。この店のカオスそのままだった。店主だろうか。ふっくりした頬に浮かぶ笑みは、いかにも人が好さそうだ。
「その骨、実は本物の女の子なんですよ」
「ええ!?」
店主は悪戯っぽく笑った。僕はからかわれたのだろう。骨董屋で本物の骨を売っているなんて、ありえないものな。
「止めてくださいよ、悪い冗談は」
「本気にしました?」
「行方不明になった女の子のニュース、知りませんか? この街なんですよ」
「それは失礼しました。最近来たばっかりで」
「でも、女の子って感じしますね、これ。何だか可愛いです」
骨格標本のぽっかり空いた眼孔が、『連れて行って』というように僕を見ている。
「これ、高いんでしょう」
「まあ、コーヒーでも飲みながら、骨董の話をしませんか?」
店主が冷蔵庫からコーヒーのペットボトルを取り出しながら言った。
え、コーヒーってそれで金取るの? マジ?
お楽しみいただければ幸いです。