線香花火な君が好き
ミーンミーンと眠眠打破もびっくりなくらい眠気を妨げるセミたちの大合唱が、暑さに拍車をかけている気がする。
木陰に入ってしまえば少しは涼しいのかもしれないが、彼らの愛の歌は極めて情熱的で、涼しさを求める今の俺にはいささかきつすぎる。
それに今更抜けるなんて言えないじゃないか。そんなことを思いながら和気あいあいとした雰囲気で先を進んでいる集団を見て、こっそり小さなため息をついた。
「なんで俺、こんなところにいるんだろう……」
悩ましげに側頭部を抑えながら、俺――多賀直樹は集団の先頭で音頭を取る友人の姿を忌々しげに見つめるのであった。
線香花火な君が好き
そもそも事の発端は、1週間前、俺の数少ない友人――岡村が冷房が効いて快適なキャンパスライフを送っている俺に言ったセリフが原因だった。
「おーい、多賀ー。海、行こうぜ」
「は?」
あまりに唐突なその発言に俺はまともな返事をすることができず、ぞんざいな一文字を返してしまう。
「だから海だよ。Seaだよ。Oceanだよ」
「やだ」
岡村の発言の内容をようやく理解した俺は即座にその誘いをたった二文字で一蹴する。
「即答だな、おい。なんでだよ!」
「暑いのは嫌いなんだよ。後、この季節、人が多く居すぎて人酔いしそうだし……」
げんなりとした表情を見せつつ、俺は岡村にあきらめてくれと見えないサインを送り続ける。
「おい、夏に海に行かないなんてありえないだろ。迸る汗、水着のお姉さんとの素敵な出会い。暑い夏を経験することで俺らはおとなになれる。そうは思わんかね」
バブルの頃に流行っていた夏の情景を好んで歌うアーティストに感化されたかのような岡村のセリフに呆れを覚えつつ、なんとなく彼が言いたいこともわかる気がする。
たまにはお前も外に出たらどうだ――ということだ。
「それに多賀。夏休みは暇だろ。バイトもロクにしてないし、どうせ家でゲームしたりだらだらしてるだけだろ。ちょっとくらい俺に付き合ってくれたっていいじゃないか」
「うっ……」
痛いところを付かれて、俺はぐっと反撃の言葉も出ない。岡村にはいくつか借りもある。それも考えたらなかなか断るのは難しい。
しばし無言の体をとって、俺はグルグルと頭の中で考えを巡らせる。いかに誘いを断るか。
しかし出てきたのは
「仕方ないな…………」
降参のサインという名の承認の言葉だった。
「それじゃあ、決まりだな。詳しいことはまたメールとかで連絡するからそれまで待ってくれよ」
俺の参加を受けて、岡村はさっと携帯電話を取り出し、ありえないスピードでメールを打ち始める。そして送信ボタンを押したのだろうか、不意に指の動きを止めると俺の方を見て、かわいい子が呼ぶからなとぽつりと呟く。
あのな……と苦笑いを浮かべるしかない俺は、心のなかで肩をそっとすくめるのだった。
岡村との会話から二週間あまり、8月に入り夏休みが既に始まっていた。期末テストを何とか無難に乗り切り、俺は冷房の効いた部屋で自堕落な生活を悠々と送っていた。
そんな俺だったのだが、ついに本格的に外出する機会があっという間に訪れていたのだ。岡村との会話で約束させられた海に行くという話。
ジリジリと肌を容赦なく焼き付ける太陽と日本の夏特有の湿気をはらんだ不快感が、俺の冷房に慣れきった体から汗という形で苛む。
駅はまだかと思う俺の前には岡村を含め、約10人の男女がゆっくりと歩いている。
「多賀、大丈夫か?」
「大丈夫そうに見えたらお前の目は節穴だよ」
「うん、軽口を言えるなら大丈夫だな」
「おい……」
岡村はポンポンと肩を叩くと元気だせよとでも言いたいのか、キンキンに冷えたスポーツ飲料を差し出してくる。それをありがたく受け取ると岡村はさっさと前の集団の中へ戻っていく。
こういうさりげない気配りができるやつなのだ、岡村は。普段はおちゃらけた印象が強いが、人当たりがよく気も効くので男女ともに友人が多い。
その気になればいくらでも人はついてくるのに、なんで俺なんかを誘ったのだろうか。日差しにやられた俺のぼんやりした脳ではわからないが、それをイマキにしても仕方ないと俺はもらったスポーツ飲料を一気に煽る。
喉越しの良さと共に体の中にすっと染み渡っていく感覚が心地よい。どうやら思った以上に汗をかいていたらしい。
そうこうしているうちに俺達は駅につき、すぐにやってきた電車に乗り込む。車内冷房に身を当てていた俺にふと隣に立っている小柄な女の子が声をかけてくる。俺自身はいまいち面識がないのだが、岡村とはたまに喋っている姿を見たことがある。確か名前は――夜野涼香。
「多賀くん、さっきは大丈夫だった?」
「え、ああ。岡村のやつにもらったスポーツドリンク飲んだし、今はここが涼しいからだいぶ気分は良くなってきたよ」
水分補給は大事だよねと彼女は小さく笑みを浮かべる。
「そういえば夜野さんはどうして今日ここに来たの? メールに名前なかったけど」
ふと思い出した疑問を俺は、彼女にむけて聞いてみることにする。どうせしゃべる話題が思いつかないのだ、このまま話題がなくだんまりだったら気まずい。
「あ、優ちゃんがどうしても一緒に行こうっていうからね。急だったけど、岡村くんもいいよって了承してくれたから」
「ふーん」
なぜそんな表情を浮かべたのかはわからないが、一緒に行こうっていうからというところで彼女の顔が少し歪んでいたのを俺は見逃さなかった。彼女の友人で岡村と盛り上がっている浅野優にはそんな影はどこにも見当たらない。
「それを言うなら多賀くんだってなんでここに来たの?」
先ほどの影を感じさせず、彼女は朗らかに俺に問う。あんまりアウトドアなイメージないしねという彼女のセリフに引きつった笑みを浮かべながら答える。
「あいつに借りがあって、断れなかったんだよ」
「借り?」
「欲しかったゲームの買う資金を借りた」
そのあまりに単純な答えに彼女はくすりと頬を緩ませ、もっと重いことかと思ったよっとはにかむ。
「岡村くんとはゲーム仲間なの?」
「まぁそんなところだな。あいつには狩りでも世話になってるし」
岡村は某ハンティングゲームをはじめアクション系は得意中の得意であり、奴と友人になったのもそういう接点があったからだ。
「ま、暇だったのもあるし」
「それだけの理由で……」
「確かに大したことないかもしれないけど、それでも俺にとってはそれは十分な理由になるから」
「…………確かにそう、だね」
彼女は何かを噛み締めたようにして頷くと、先程までの表情に戻り、なんでもなかったかのように俺との会話を再開する。そうしているうちに、電車は目的の駅に到着し、プラットホームに降り立った俺達の目の前には青く澄んだ海がどこまでも広がっていた。
ヒャッハー俺達の夏はこれからだー! などと訳の分からないことを絶叫しながら岡村が白い砂浜に無遠慮に足跡をつけていく。
「そのまま打ち切りになれ…………」
遮蔽物がないぶん、直射日光をもろに受けた俺は、スポーツドリンクが与えてくれた水分が体から奪われていくのを感じながらそう毒づく。
「水着のお姉さんなんて……いないじゃないか」
いやそもそも人がほとんどいない。穴場を選ぶわーなどと岡村がのたまっていたが、これはいくらなんでも穴場すぎるだろう。
「へぇ、多賀くん、水着のお姉さんとの出会いを期待してたんだー」
のんきなことをいうのは浅野優だった。女子にしては長身で気立ての良い性格をしているのを俺は岡村と共に会話したことがあるから知っている。
「岡村がそう言ってたんだよ」
俺がそう少し邪険に言っても、浅野は全く表情を変えずに照れっちゃってるのかーとさらりと流す。これが男前と女子連中に囁かれている所以なのだろう。
「まぁ、綺麗どころは私含めいてよかったね」
「それを言わなきゃな、男前さん」
確かに岡村が呼んだ集団はわりかし綺麗どころが揃っているようには思う。浅野にしてもそうだし、続々と更衣室から出てくる女性陣もそうだろう。
「ちぇー、多賀くんは褒めてくれないのかー。ね、涼香」
ちっとも残念そうに見えないセリフを吐きながら、浅野の背後にやってきた彼女をいきなり俺の前にやる。
「――――――――っ! ゆ、優ちゃん!」
慌てたのは彼女だった。もともと奥手な性格ゆえ水着姿で人前に出るのは彼女にとってとても恥ずかしいことなのだろう。
俺はそんな彼女の様子を気にすることはできなかった。華奢な体にさわやかな色合いの水着はとても良く似合っていて、直視することは憚られる。なぜ自分がそんな風になってしまったのかはわからないが、ただひとつ言えるのは顔はきっと熟れたスイカのように真っ赤だということ。
「優ちゃん、行こう」
そんな俺達の様子をどこか面白そうに眺めている浅野の腕を彼女は少し強めに掴み、そのまま引っ張っていく。
その様子をじっと眺めることしかできなかった俺は、しばらくその場で身動きすることができなかった。
ズシンと重たい衝撃とともに岡村の放った渾身のスパイクが俺の顔面を見事に捉える。不意を突かれた一撃に俺は為す術もなく灼熱の砂浜へと倒れこむ。ビニールに空気を入れただけのボールなはずなのにとても痛い。顔面全体がヒリヒリとしている。
そんなわけで岡村が提案したビーチボールに参加した俺は、岡村の強烈なスパイクを顔面に食らったと同時に試合終了の宣告を聞き、空を見上げる。
「おーい、次やるぞー」
「…………たんま」
やる気満々で次の試合を始めようとする岡村に俺は情けない声で、リタイアのサインを上げる。そしてのろのろと起き上がり、ビーチパラソルの下までまるでゾンビのような動きで行き、そこで崩れ落ちる。
ビーチパラソルの下に惹かれたレジャーシートにだらしない格好で倒れ込んでいる俺の首筋にひんやりとした何かが当てられる。
「だ、大丈夫?」
直撃したボールのせいでまだ赤い顔をシートから離し、声の主の方にゆっくりと向く。右手に先ほど当てられたと思しきペットボトルを、左手には緑色に染まったかき氷を握った彼女が、心配そうな表情でこちらを見つめている。
「あ、ああ。まだちょっとヒリヒリするけどね」
差し出されたペットボトルを受け取り、俺は姿勢を変えて、彼女の隣にゆっくりと腰を下ろす。
「岡村のやつ、どんだけ体力有り余ってるんだよ……」
先程俺が食らった威力満点のスパイクを次々と繰り出す岡村の溌剌とした動きをぼんやり眺めながら俺は半ば呆れ気味に言う。
「多賀くん、直撃だったよね……」
「インドアの俺に、スポーツは無理だってことが改めて思ったよ」
側頭部を所在なく掻きながら、俺は苦笑いしか浮かべられない。私も同じようなかんじかなと彼女も俺と同じような表情を浮かべて同意する。
「ところで、これからの予定ってどうなってるのかな?」
「確か、晩飯食って日が沈んだら花火やるとか言ってたけど……」
岡村がメールで送ってきた大雑把な計画表の中身を思い出しながら、俺は太陽の位置を確認する。かなり太陽も低い位置に来ている。後、1時間もすれば日の入りを迎えるだろう。
「そっか、ありがとう。優ちゃん、集合時間しかメールしてこなかったから……」
なんとなく想像がついてしまい、俺は少し吹き出してしまう。実に浅野らしい、そう思った。
そこに岡村の姿が見え、予想通り次はバーベキューだとやたらと明るい声でこっちに向かってくる。俺達は顔を見合わせ、小さく笑みを交わした。
水平線に向かって太陽がゆっくりと沈んでいく。斜陽に染められた茜色は、海での遊びが終わることを告げているようだ。
そんなことを気にも止めず、ジュージューといい音と芳ばしい香りに包まれて俺達は晩飯としてバーベキューを行なっていた。
浅野が持ち前の男前を発揮し、おかんかと思うほどの手際の良さでバーベキューを次々さばいていく。その圧倒的な動きに妙に感心しながら、いい具合に焼けた肉や野菜に舌鼓を打つ。
そうこうしているうちにいつの間にか太陽は深々と海の中へと沈んでいってしまった。
「食った食った」
10人以上の食事をこなした浅野を彼女が労っている。額の汗を拭った浅野と彼女が笑い合っているのを見て仲良いんだなと当たり前な感想が浮かぶ。
「よーし、バーベキューの次は花火だー」
相変わらず体力が有り余っているらしい岡村に呆れと感心の半ばどっちかわからない視線を送りつつ、食後の休憩くらいさせろと一つ毒を吐く。
しかし岡本がそんなことで止まるはずもなくすぐに花火セットを取り出し始める。
俺が浅野や彼女が行なっているバーベキューの片付けを手伝い終わる頃には、岡村の方も準備を終えたらしく花火を取り出しはじめていた。
「やっぱ、最初は打ち上げからだよな」
そう言って岡村はファイヤーなどと叫びながら打ち上げ花火に点火し、次々と夜の闇に刹那の花を咲かせていく。
それを確認した俺はその場をそっと離れ、海とは逆の方向、砂浜から高台の方へと向かう。そして道路脇にある自販機の前で立ち止まり、冷たいお茶を一本手にする。
「こんなところで何してるの?」
不意に聞こえた涼やかな声に俺は自販機に背を向ける。刹那、花火に照らされて、どこかさみしげにも見える彼女の顔が浮かび上がる。
「気分転換だって」
「嘘でしょ。だってまだ始まったばっかりだよ」
彼女の言う通りだった。花火が上がって、すぐに砂浜を離れたのだから彼女が訝しむのも当然と言えた。
「……………………花火、嫌いなんだよ」
「えっ…………」
俺の吐き捨てるような言葉に彼女は一瞬瞠目し、そして聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で私も、と同意する。
「苦手なんだよね、あの大きな音が。自分勝手に開いてバカみたいに自分の存在を主張していく。そういうところが嫌い」
しゅるりと空気をすり抜けるような音がして、閃光が夜の帳を大きく揺らしてすぐに轟音が耳の奥に叩き付けられる。びくりと彼女の肩が大きく震え、瞼の端には少し涙が溜まっているように見えた。
「……けど、線香花火だけは好き」
彼女はそう言って花火セットに寂しく残された小さな線香花火を一本取り出す。そして何も言わず火を点した蝋燭に近づけ、そっと点火する。
静かに涼しげな音を立てて、火の枝が丸い玉を中心に忙しなく放たれる。その光は決して他者に自らの存在を知らしめようとはしておらず、穏やかにひっそりとただそこに佇んでいる。
「何か私達みたいだね」
ぽつりと呟いた彼女の言葉に俺も心の中で同意する。岡村が集めたメンバーのなかで、俺と彼女だけが少し浮いていた。簡単に言えば、岡村、浅野以外とは友達と言えるような関係ではなかったからだ。
だからこそ疎外感みたいなものを感じていた。似たようなものを彼女から感じていたのかも知れない。
それは向こうで打ち上げ花火を楽しげに打ち上げている他のメンバーとここで寂しく線香花火を眺めている俺達の差を如実に表していた。
「本当は、行くつもりなかったんだけどね。木村さん苦手だから」
苦手な相手がいるとは言え、浅野の誘いだったから断れなかったのだろう。女子の人間関係は男子に比べて複雑で不条理だ、一つのことで人間関係が崩れかねないというのはあるらしい。
「でも、今日は悪いことばっかりじゃなかったかな」
最後まで残っていた火の玉がぽとりと落ちる。それを皮切りに彼女の声音が少し変わった気がした。
「多賀くんとなかよくなれたしね」
どこか楽しげなその声音に心臓がどくっと少し大きく脈打つ。きっと夜のカーテンが無ければ俺の少し火照った顔は彼女に見られていたのだろう。そう思うと少しほっとするが、一方で彼女が今どんな表情をしているのかそれが見れないのが少し残念にも思う。
「次は俺も線香花火、やっていいか?」
「うん、一緒にやろう」
二つの小さな花火がそれぞれ違った色の光を出しながらその火花を交錯させていく。ひそやかで刹那なその輝きを楽しみながら、俺はどんどんと彼女に惹かれていることに気がついた。
線香花火には燃え方にいくつかの順序があるらしい。火花が見せる光景が少しずつ変わるように、これから彼女が見せる色々な顔を見てみたい、そんな風に思った。
――線香花火な君が好き――