第二十九話:禁断の名前と、引き返せない契約
カジノでの騒動の後、私たちは宿のスイートルームに戻っていた。
部屋の空気は重い。
いつもは軽口を叩くルナや賢者も、クラウスの異様な雰囲気に口を閉ざしている。
「……お嬢様」
クラウスが、重い口を開いた。
彼は眼鏡を外し、疲れ切った瞳で私を見つめた。
「奴の正体について、お話しせねばなりません。ですが……警告しておきます」
彼は一呼吸置き、告げた。
「奴の名を聞けば、もう引き返せません。貴女も奴の『ゲーム盤』の駒として認識され、命だけでなく、魂まで奪われる可能性があります。それでも、聞きますか?」
脅しではない。
長年連れ添った私だからわかる。彼は本気で怯え、そして私を守ろうとしている。
普通なら、ここで引くのが賢明な商人だ。
でも。
「……バカね」
私は笑って、彼の眼鏡をかけ直してあげた。
「商人がリスクを恐れてどうするの? ハイリスク・ハイリターン。私の大好物よ」
「……ふっ。そう仰ると思いました」
クラウスは観念したように笑い、そして静かにその名を口にした。
「奴の名は……**『サイレント・ゴースト(S.G.)』**」
「……え?」
私は耳を疑った。
その名は、商人の間では御伽噺として語られる伝説だ。
「『静かなる亡霊』……? あの、一夜にして大国を破産させ、音もなく市場から消えたという?」
「はい。奴は実在します。そして、奴は人間ではありません」
「は?」
「奴は『システム』そのものです。S.G.とは個人の名前ではなく、**『サイレント・ゴースト』という役割を共有する集団(組織)の総称**です。
数百年前から、その名は受け継がれ、増殖し、世界中で暗躍しています。
戦争、飢饉、疫病……あらゆる災厄を意図的に引き起こし、その変動相場で利益を得る。世界そのものを食い物にする、巨大な悪意の集合体……それがS.G.です」
クラウスは拳を握りしめた。
「私はかつて、奴の『端末』の一つでした。奴の手足となって国を滅ぼし、人を殺しました。……ですが、ある時気づいたのです。奴の目的は金ではない。**『世界の破滅』**そのものを楽しんでいるのだと」
部屋が静まり返る。
死の商人。市場の亡霊。
スケールが違いすぎる。私のような小悪党が相手にしていい存在じゃない。
でも。
「……上等じゃない」
私の口から、自然と言葉が漏れた。
「世界を食い物にする? 破滅を楽しむ? ……ふざけんじゃないわよ」
腹の底から、熱いものが湧き上がってくる。
それは正義感ではない。
商売人としての、プライドだ。
「市場は、みんなが参加するから面白いんじゃない! 一人で独占して、挙句に盤面をひっくり返すなんて……そんなの、ただの『クソゲー』よ!」
私は立ち上がり、宣言した。
「決めたわ。その亡霊、私が除霊(買収)してやる。
世界中の金をかき集めて、奴の資金力を上回って、完膚なきまでに叩き潰してやるわ!」
クラウスが目を見開く。
そして、深く、深く頭を下げた。
「……御意。この命に代えても、お供いたします」
「面白そうじゃねえか。俺も混ぜろ」
「亡霊退治か。怪盗の腕が鳴るわね」
「騎士として、悪は見過ごせません!」
「私も……戦います!」
賢者、ルナ、レオナルド、ソフィア。
全員が立ち上がる。
最強のパーティだ。
「よし! まずは手始めに、あの魔王軍幹部から情報を吐かせるわよ! S.G.の資金源、アジト、弱点……全部洗いざらい調べ上げるの!」
賽は投げられた。
相手は世界の裏側。市場の亡霊。
悪役令嬢シャルロットの、人生最大にして最後の「大博打」が始まる。
***
**【本日の営業報告】**
**文責:クラウス**
* **売上:** 0ゴールド
* **契約:** 対S.G.殲滅契約(期限:無期限、報酬:世界の平和と莫大な富)
* **ターゲット:** サイレント・ゴースト(S.G.)
* **勝率:** 計算不能(ですが、お嬢様ならあるいは……)
**【クラウスの一言メモ】**
お嬢様が「除霊してやる」と仰った時、亡霊であるはずのS.G.が少しだけ哀れに思えました。
物理的にも経済的にも、骨の髄まで浄化されることでしょう。
(第二十九話 完)




