第零話:皇女シャルロットの憂鬱と、決断の夜
これは、私が「悪徳商人」として名を馳せる少し前。
まだ、ガレリア帝国の「第一皇女」という、窮屈な鳥籠の中にいた頃の話だ。
***
帝都の皇宮、私の私室にて。
私は最高級のシルクのドレスを脱ぎ捨て、ベッドにダイブした。
「あーもう! 無理! 絶対に無理!」
「……お嬢様。声が大きすぎます。廊下の衛兵に聞こえますよ」
部屋の隅で、執事のクラウスが涼しい顔で紅茶を淹れている。
彼は私の専属執事であり、幼い頃からの教育係だ。
「クラウス、聞いてよ! 今日の見合い相手、隣国のジェラール王子!」
「はい。ローゼンバーグ王国の第一王子ですね」
「顔だけよ! 中身は空っぽの宝石箱だわ!」
私は枕を殴りつけた。
「今日の謁見でもそうよ。私が『両国の貿易協定における関税率の見直しについて』って真面目な話をしてるのに、あの人なんて言ったと思う?」
「……伺うのが怖いですが」
「『シャルロット様の瞳は、湖に映る月のようですね』ですって! 関税の話よ!? 関税!」
「……詩的ですね」
「褒めてないでしょ今の!」
私はベッドの上でジタバタと暴れた。
ジェラール王子だけじゃない。
父様(皇帝)が連れてくる見合い相手は、どいつもこいつも「私の血筋」や「帝国の後ろ盾」しか見ていない。
私という人間を、私の知性を、誰も見ていないのだ。
「……父様も父様よ。『シャルロット、お前は何も考えなくていい。ただ美しく笑っていれば、パパが世界一幸せにしてやるからな』って……」
「陛下なりの愛情表現かと」
「それが重いのよ! 私は人形じゃないわ! 自分の頭で考えて、自分の足で歩いて、自分の手で稼ぎたいの!」
私は起き上がり、クラウスを睨みつけた。
「ねえ、クラウス。あんたはどう思う?」
「……と、申しますと?」
「私がこのまま、あの豚野郎と結婚して、一生飾り物として生きる人生。……あんたはそれで満足?」
クラウスの手が止まった。
彼はゆっくりとティーカップを置き、眼鏡の位置を直した。
その瞳の奥に、一瞬だけ、執事らしからぬ鋭い光が宿る。
「……個人的な意見を申し上げても?」
「許可するわ」
「反吐が出ます」
即答だった。
「あのような男に、お嬢様の才覚を浪費させるなど……国家的損失どころか、人類史における汚点です。お嬢様は、もっと広い世界で、その強欲さ(才能)を発揮されるべきです」
「……ふふっ」
私は思わず笑ってしまった。
やっぱり、この男だけだ。
私のことを「皇女」ではなく、「強欲な女」として正しく評価してくれるのは。
「じゃあ、決まりね」
私は立ち上がり、クローゼットを開けた。
煌びやかなドレスを押しのけ、奥から取り出したのは、地味な旅装束と、大きな革袋。
「家出するわよ、クラウス」
「……はい?」
「この国を出て、隣の小国へ行くわ。そこで商売を始めるの。元手は……私のヘソクリと、あんたの貯金全額ね」
「私の貯金もですか?」
「当然でしょ。あんたも来るんだから」
私はニヤリと笑って彼を見た。
「どう? 皇帝に仕える安定した人生と、指名手配犯になるかもしれないスリル満点の貧乏生活。……どっちに賭ける?」
クラウスは、一秒も迷わなかった。
彼は恭しく一礼し、いつもの穏やかな、しかし共犯者の笑みを浮かべた。
「愚問ですね、お嬢様。私はギャンブラーではありませんが……勝算のない賭けには乗りません」
「なら、これにサインして」
私は懐から、一枚の羊皮紙とペンを取り出した。
古びた、しかし効力のある『契約書』だ。
「私の『パートナー』として、死ぬまで運命を共にする契約よ。……文句ないわよね?」
「もちろんです」
クラウスはペンを受け取ったが、その手は微かに震えていた。
私の顔を直視できず、耳まで赤くしている。
……あら、可愛い。
彼は内容をろくに確認もせず、上の空でサラサラとサインをした。
……甘いわね。
私は契約書の隅に書かれた、虫眼鏡でしか読めない『第108条』を指でなぞり、ニヤリと笑った。
これで、こいつは法的にも私のものだ。
「あら、勝算はあるの?」
「ええ。お嬢様という『最強の商材』がある限り、どこへ行っても黒字です」
こうして、夜逃げの準備は整った。
私たちは窓からロープを垂らし、皇宮の闇へと降り立った。
さようなら、父様。
さようなら、窮屈な鳥籠。
私は行くわ。
自分の価値を、自分で決めるために。
これが、すべての始まり。
「悪名高きゴールドバーグ商会」の、最初の第一歩だった。
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**【本日の営業報告】**
**文責:クラウス**
* **売上:** 0ゴールド
* **経費:** 逃走用ロープ、変装用マント
* **放棄資産:** 皇位継承権、ドレス100着、宝石箱3つ
* **獲得資産:** 自由
**【クラウスの一言メモ】**
お嬢様が窓から飛び降りる際、「見てなさい! 世界中の金をかき集めて、この城より高いビルを建ててやるわ!」と叫んでおられました。
……衛兵に聞こえなかったか心配です。
(第零話 完)




